拾漆(じゅうしち)の章 最終戦(破)

 妖気を身に纏った土御門晴信は、もはや陰陽師ではなかった。

 確かに使う術は陰陽道であろうが、その全てが黄泉路古神道の影響を受けている。

(晴信殿を救う事はできぬのか?)

 楓はそれでも何か手段がないかと考えていた。

「何を考え込んでおる? 私を見くびっておるのか?」

 晴信が呪符を投げつけてくる。その呪符には黒い妖気が纏わりつき、楓に向かって飛翔して来る。

「何故闇の力に頼るのです、晴信殿!? 土御門一門を汚すおつもりか!?」

 楓は呪符を草薙剣で斬り捨てて叫んだ。

「黙れ! お前達神道の者達には、この私の屈辱などわからぬ!」

 晴信は自分自身も妖気を身に纏い、怒鳴り返す。

「ならば何故、古神道に頼るのです!? その妖気は黄泉路古神道のもの。貴方の仰る事、道理に合いませぬぞ」

 楓は尚も言い返した。

(楓様、その者には貴女の心は届きませぬぞ)

 二人の戦いを離れて見ている事しかできない耀斎は心の中で楓の事を心配していた。

「わからぬのか? 此度こたびの所業、全てお前に罪を被ってもらうのよ。そのために黄泉路古神道を使つこうておるのだ」

 晴信の恐るべき策略に、楓と耀斎は驚愕した。

「私を愚弄した小野一門は、朝廷から追い落とすだけでは飽き足らぬ! 朝敵とし、追われる身とするが、我が願いよ」

 晴信は目を血走らせ、高笑いをした。

「小野宗家が血迷い、神道を滅そうとした。そして小野宗家も、自ら発した邪気に取り込まれ、滅んだ。どうだ、よくできた筋書きであろう?」

 楓は唖然とした。

(この人は、建内宿禰を封じたはずであるのに、心は取り込まれている……)

 楓は、晴信の思惑よりも、建内宿禰の執念に戦慄した。


 根の堅州国。黄泉路古神道の使い手が利用する死の国である。そしてまた、建内宿禰が支配する国でもある。

「建内宿禰様、まだ私は現世に戻ってはなりませぬか?」

 真っ暗な空間を歩いている男がいた。彼の名は小野源斎。今の彼の姿は、楓の父である小野栄斎である。

『焦るな、源斎。うぬが出番はまだ先よ。あの陰陽師にできる事は皆してもらう』

 建内宿禰の声が答えた。源斎はそれでも不安そうだ。

「楓はうぬが戦った時より遥かに力をつけておる。うぬが戻るはまだ早い」

「はい」

 源斎は右手を握りしめ、歯軋りした。

(おのれ、宗家の小娘め)


 小野宗家の道場で、土御門宗家の当主である晴栄と、小野宗家の後継者である亮斎は向かい合って正座していた。

「晴信は、まだ取り込まれたままです」

 晴栄が呟くように言う。亮斎は眉をひそめて、

「それは、如何なる事でしょう?」

 晴栄はゆっくりと亮斎を見て、

「晴信は、闇を振り払ったつもりでおりますが、闇はまだ晴信を封じ込めようとしております。危うき事になりかねませぬ」

 亮斎はそこまで見抜いている晴栄に驚嘆していた。

(まだ十一と聞いた。何というお力なのだ)

「では、参りましょう、晴栄様。晴信殿をお救いになれるは、貴方様しかおりませぬ」

 亮斎は片膝を立て、晴栄に近づいた。晴栄はフッと笑い、

「楓様が、心配のご様子ですね、亮斎殿?」

「あ、いえ……」

 亮斎は赤面して正座し直す。亮斎は、楓に叔母以上の感情を抱いてしまっている。かつて、小野宗家でも、奈良時代以前には、近親婚が行われていた。しかし、時代は明治。いや、それ以前に楓が亮斎を相手にしてはくれない。

「恥じる事ではありませぬ、亮斎殿。貴方が楓様に惹かれるは、男女の情ではありませぬ。楓様のあのお力が、貴方を引きつけるのです」

「はい……」

 亮斎は年下の晴栄にそんな事を言われるとは思わなかったので、顔が破裂するくらい赤くなった。

「では、参りましょう、亮斎殿。土御門家の不始末は、当主の私が責めを負わねばなりませぬ故」

 晴栄はスッと立ち上がると、道場を出て行く。亮斎は我に返り、晴栄を追った。


 楓と晴信の戦いはまだ続いていた。二人の周囲には、無数の斬り捨てられた呪符が落ちている。

「私を疲れさせる策ですか、晴信殿?」

 楓は前の戦いで疲労し、力尽きてしまったのであるが、今回は体力を長時間持続させる「息吹永世いぶきながよ」の祝詞を書いた襦袢じゅばんを着ているのだ。決して同じ失敗はしないのが、楓の強さなのである。

「……」

 一向に動きが衰えない楓を見て、晴信は心の中で歯軋りしていたが、

「いや、そのような愚かなる策は弄しておらぬ」

とぼけた。

(おのれ、小娘。何をしたのだ?)

 晴信は作戦変更を余儀なくされた。

「呪符ではお前は倒せぬようだ。私自らが、斬り捨ててくれようぞ」

 晴信は何かの呪文を唱え、右手に剣を出した。楓はそれを見て眉をひそめた。

「これは、我が一番の式神を変化させし剣。お前の使う神剣にひけは取らぬ」

 言うが早いか、晴信は一足飛びに楓に迫り、剣を振り下ろした。

「く!」

 楓はそれを辛うじて受け止め、弾き返す。

「剣の差は、互いの腕の差が埋めてくれよう」

 晴信は間髪入れず、また踏み込む。楓もそれを見切ったかのように後ろへ飛ぶ。

「……」

 楓の額に汗が滲んだ。

(力勝負では、楓様の分が悪い)

 耀斎は思わず両拳を握りしめた。

「どうした、小娘? 怖気づいたか?」

 晴信が挑発する。楓はその言葉にキッとして、

「姫巫女流古神道を甘く見るでない、晴信殿!」

と叫ぶと、剣をススッとはすに構え、一歩前に足を踏み出した。

「えやあ!」

 雄叫びと共に、晴信が突進した。楓は微動だにしない。

「血迷ったか、小娘!」

 晴信が笑い、剣を振り下ろす。

「わ!」

 耀斎は見ていられず、目を背けた。

「ぐおお……」

 しかし、次の瞬間、膝を折っていたのは、晴信の方であった。

「剣術は、一朝一夕でなし得るほど浅くはありませぬ、晴信殿」

 楓の剣の柄が、晴信の鳩尾みぞおちに入ったのだ。

「ぬぐう……」

 晴信は呼吸もままならず、そのまま地面に突っ伏してしまった。

「おのれ、何故、つかを使うた?」

 もがきながらも、晴信は楓を睨んだ。斬り捨てようと思えば斬り捨てられたのに、それをしなかった楓に、晴信は憤りを感じているのだ。

「この剣は、魔を斬るもの。人を斬るものではありませぬ」

 楓は厳しい表情で言い返した。

「楓様!」

 耀斎は楓の勝利を確信し、叫んだ。

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