拾陸(じゅうろく)の章 最終戦(序)
東京の夜空を紅く染める幾つもの炎。楓はそれを見ているうちに、多くの神道者の断末魔を感じた。
(これは……)
東京に宗家を移転させた時、挨拶に回った神社の宮司や
「晴信が仕掛けたのですね。何という事を……」
土御門宗家の当主である晴栄の気持ちはどれ程のものかと、楓は心を痛めた。
「晴栄様はここでお待ちを」
楓が一人で行こうとすると、耀斎と亮斎が着替えをすませて現れた。
「では、参りましょう、楓様」
耀斎が言った。楓は彼に何か言おうとしたが、
「亮斎は晴栄様をお守りして」
と一緒に行こうとしている亮斎に言った。
「え?」
あからさまに残念そうな顔をする亮斎を楓は叱る。
「我が儘は許しません。ここにいなさい」
「はい」
亮斎は意気消沈して応じた。そして、
「お二人のお邪魔をするつもりはありませぬ」
と少しだけ嫌味混じりな事を言った。楓と耀斎は思わず顔を見合わせて赤くなる。その様子に気づき、晴栄が微かに笑みを浮かべた。
「余計な事を申すでない、亮斎」
楓は火照る顔を触りながら言い返した。そして、晴栄に視線を移し、
「すぐに戻ります」
「お気をつけて」
楓は耀斎と目配せし、宗家を出た。
土御門晴信は、燃え盛る炎を遥か遠くの丘の上から眺めていた。
「うぬら外道の浅ましき企み、微塵に砕いてやる。あの世で地団駄踏むがいい」
晴信の目は炎を写し、赤く染まっていた。
「来るか、宗家の小娘」
晴信は小野宗家がある方角を見た。
「今度は容赦はせぬ。あの愚かなる者共の後を追わせてやろう」
晴信は袂から呪符を出し、宙に放った。
「急急如律令!」
呪符は五羽の烏の姿に変わり、夜空を飛翔した。
「来るなと仰るかと思いました」
走りながら、どこか嬉しそうな耀斎が言った。楓は不思議そうな顔で耀斎を見て、
「何故ですか?」
耀斎も楓を見、
「私は楓様の足元にも及ばぬ身なれば……」
「耀斎様!」
楓はムッとした顔で立ち止まり、耀斎を見る。
「は、はい」
耀斎も立ち止まり、楓を見た。その顔はどこか楓を恐れているのがありありとわかる。
「そのような事、ありませぬ」
「楓様……」
耀斎は急に心臓が大きく脈を打ち始めるのを感じた。
「急ぎます故、天翔術を使います」
「はい?」
耀斎は楓が飛翔するのは聞いた事はあるが、見た事はないのだ。
「私に続いて、祝詞を唱えて下され」
「はい」
先程から、同じ事しか言っていない、と耀斎は心の中で苦笑する。
「高天原に神留ります、天の鳥船神に申したまわく!」
耀斎がつかえながらもそれに続く。
「た、高天原に、か、神留ります、あ、天の鳥船神に申したまわく!」
楓が耀斎の手を握る。耀斎の心臓は口から飛び出さんばかりに動く。楓の身体が輝き出し、それが耀斎にも広がる。
「ああ!」
二人の身体は空高く舞い上がった。
「ひいい!」
高い所が苦手な耀斎は、悲鳴を上げながら飛翔した。しかし、許婚である楓にそのような事は断じて言えない。
「あそこです」
楓は一番近い炎を目指して方向を変える。遠巻きに炎の行方を見ている野次馬が多くいる。
「わわ!」
耀斎はすでに目が回りそうだった。その時である。
「む!?」
楓が空中で停止した。耀斎は勢い余って楓に抱きついてしまった。
「も、申し訳ありませぬ」
真っ赤になって楓から離れようとする耀斎を楓は止めた。
「このままで」
「え?」
思ってもいない言葉に驚く耀斎であったが、楓は只単に、耀斎が離れると堕ちてしまうから言っただけなのだ。知らぬが仏である。
「降ります」
そのまま、神社の境内に垂直に下りる二人であったが、夢見心地な顔の耀斎と違い、楓は空のある方角を睨みつけている。
「耀斎様、来ます」
楓はスッと耀斎から離れ、
「神剣、草薙剣!」
と右手に輝く剣を出した。耀斎は楓の気が張り詰めたものになったのを感じ、身震いした。
「はあ!」
分家の耀斎には、十拳剣も草薙剣も出せないが、普通の剣は出せる。
「あれは?」
楓が夜空を滑空する烏の姿を借りた呪符に気づく。
「やはり、式神か」
その言葉に更に緊張する耀斎。
(式神……)
陰陽師が使うのは知っているが、見た事はない。先日、晴信の影が宗家を襲撃した折にも、耀斎は一人道場にいたからだ。
「耀斎様!」
楓は叫びながら耀斎をドンと突き飛ばす。よろけた耀斎を、式神の烏が掠めた。
「く!」
ようやく夢から覚めたような顔になった耀斎は、剣を中段に構えた。
「おのれ!」
楓はまた飛翔し、式神の一体を斬った。
「キイイ!」
式神は雄叫びを上げて消滅した。
「えい!」
二体目を斬り捨てた時、耀斎に式神が襲い掛かるのが見えた。
「待て!」
楓は急降下し、耀斎を突こうとする式神を斬った。
「耀斎様、ご無事ですか?」
楓の声に、耀斎は背筋を伸ばし、
「はい」
と応じた。自分はまだ一体も斬っていないのに、楓様は……。一人落ち込む耀斎である。
晴信は、式神が足止めにもならない事を知り、立ち上がった。
「私が行かねば、決着はつかぬか」
彼は大きな呪符を出し、それに乗って飛翔した。
結局、五体の式神は全て楓が斬った。その上、楓は「
「耀斎様、晴信殿が参ります」
「え?」
式神であれ程苦戦した自分は、晴信になど敵うはずもない。耀斎はついて来た事を後悔し始めていた。
「うわ!」
晴信が巨大な呪符に乗って現れたので、耀斎は思わず叫んでしまった。
「死ぬる覚悟ができたか、小娘?」
晴信は地面に降り立ちながら楓に言った。楓は剣を下ろし、
「死ぬるつもりはありませぬ、晴信殿」
耀斎の心配は要らなかった。晴信には、耀斎など眼中にないのだ。
「この私と戦うなら、秘術を尽くせ、小娘」
晴信は、楓に「姫巫女合わせ身」を催促しているのだ。楓は頷き、
「元よりそのつもりです」
と言うと、剣を地面に突き立てた。そして、柏手を四回打つ。
(これが、姫巫女流の一番の奥義か……)
耀斎は生唾を呑み込み、楓を見ている。楓の身体が輝き始める。
「姫巫女流古神道奥義、姫巫女合わせ身!」
天から光が差し、楓を照らす。そして、倭の女王が降臨し、楓に溶け込むように同化する。楓の輝きが増し、辺りは昼のように明るくなった。
「こ、これは……」
普段より更に美しく見える楓に、耀斎は目も虚ろである。
「では、私も秘術を尽くそう」
晴信はその身に妖気を漂わせる。
(やはり、それか)
楓はキリッと歯軋りする。
「参るぞ」
晴信はニヤリとして言った。
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