拾壱の章 晴信狂乱
土御門晴信は呪符で破った結界の下に更に張られている結界を破るため、袂から別の呪符を取り出す。
「あらゆる宗派を超え、我が土御門家の呪法が一番。神道で一番と噂の姫巫女流も、我らの呪符を以ってすれば、赤子の手を捻るも同然」
晴信はニヤリとして、結界に呪符を貼った。
「む?」
先程とは違う波動が伝わって来たので、晴信は眉をひそめた。
『晴信よ、姫巫女流を侮るでない。うぬはまだその恐ろしさを半分も知らぬ』
建内宿禰が囁く。晴信はそれでも、
「我が土御門家には、敵はございませぬ」
と言い放った。次の瞬間、結界に貼られた呪符が燃え尽き、四方から光の矢が放たれた。
「ぬう!」
晴信は素早くそれをかわし、式神を放って防御する。式神は四体現れ、あるものは矢を叩き落とし、あるものは矢に射抜かれ、消滅した。矢の攻撃が終わった時、式神は二体残っていた。
「またしても、
晴信は歯軋りした。更に次の呪符を手にした時、
『小娘が参ったぞ、晴信』
建内宿禰が言った。晴信は邸の方を見た。そこには、夕闇の中、光に包まれて舞い降りる楓の姿があった。
「やれ!」
二体の式神が晴信の号令で楓に襲い掛かる。
「く!」
楓は迫る式神に気づき、剣を構えた。
(この剣、ご祭神がお帰りになっても消えなかった。如何なる事なのか?)
草薙剣と十拳剣を融合させたその剣は、式神に反応したのか、輝きを増している。
「はあ!」
楓は地面を蹴り、式神に向かう。剣が一閃し、式神の一体が消滅する。もう一体も、たちまち楓に斬り捨てられた。
「晴信殿、その井戸を開けてはなりませぬぞ! この世が地獄に変わりまする」
楓は晴信を睨みつけ、大声で言った。しかし晴信は、
「地獄か。地獄なら、すでに見た。我ら、追い落とされし者は、すでに地獄におるわ!」
と言い返す。
「千年以上の長きに亘り、朝廷を、帝を、そしてこの日の本を支えて参った我らを追い落とし、南蛮人共の力を手に入れようとしている輩は、我らにとっては、地獄の鬼も同じ」
晴信の怒りと怨みの矛先が維新政府であるのを知り、楓は息を呑んだ。
「時代は変わるもの。それを嘆いて元に戻ろうとするは、愚か者のする事ぞ」
在りし日の父栄斎の言葉を、楓は思い出していた。
(晴信殿の気持ちもわかる。いきなり職を解かれてしまう事がどれほどの驚きか、そのような事をなした方々にはわからぬのだ。しかし……)
建内宿禰の力を借り、復讐をしようとしている晴信を認める事はできない。
「それでも、今貴方のなそうとしている事は、見過ごす事はできませぬ!」
楓は晴信に向かって走った。
「賢しい小娘め!」
晴信は印を結んだ。
「臨兵闘者皆陣列前行!」
土御門の家紋である
「
晴信は楓に五芒星を放った。それは回転しながら楓に迫った。
「はあ!」
楓はそれを飛び上がってかわす。
「何!?」
晴信は楓が自分の遥か頭上を飛んで行くのを見て、驚愕した。
「えい!」
楓が狙っていたのは、晴信ではなく、晴信の後ろにある建内宿禰の妖気であった。
『おのれ!』
建内宿禰は、晴信を縛っていた妖気を楓に斬られ、声を上げた。
「ふうお」
晴信自身も、妖気の繋がりを絶たれたので、すうっと力が抜けるのを感じた。
「お気を確かになさいませ、晴信殿。建内宿禰の妖気に取り込まれれば、おのれを失いますぞ」
楓の力強い声に、晴信はハッとなった。
(私は一体何をなそうとしておったのだ?)
今更ながら、自分のしようとしていた事の恐ろしさを感じ、晴信は身震いした。
「私はかつて、身内である小野源斎と申す者と戦いました。その者は、建内宿禰に取り込まれ、黄泉路に落ちました。そうならぬためにも……」
楓は振り返って晴信を見た。すると晴信は、また妖気を身に纏(まと)っていた。
「これは!?」
楓は仰天した。
(繋がりは絶ったはず。如何なる事か?)
楓はもう一度前を見た。そこには建内宿禰の妖気はない。
『愚か者め。晴信は、黄泉の気を骨身にまで沁み込ませているわ』
建内宿禰の声が響いた。
「何!?」
楓は弾かれたように晴信を見た。妖気は、晴信の身体から湧き出していた。
『一度我と結びし者は、決して我から離るる事能わず』
建内宿禰の笑い声が轟く。
「く……」
楓は歯軋りした。そして、剣を地面に突き立て、柏手を四回打つ。
「姫巫女流古神道秘奥義、姫巫女合わせ身!」
楓は倭の女王の霊を召喚し、その身に宿らせた。彼女の身体が、再び強く輝く。
『楓よ、結界が弱っておる。急がねばならぬぞ』
女王が声をかけて来た。
「はい」
楓は大きく頷き、晴信を睨む。
「ぐおお!」
晴信は口から大量の妖気を吐き出した。
(すでに戻れぬのか……)
楓は悲しくなった。
(源斎も、晴信殿も、どちらも建内宿禰のせいで……)
楓は涙を拭い、
「今はここを守る。そして……」
できる事なら、晴信を救いたい。楓はそう思った。
その頃、日が暮れる前に宗家に辿り着こうと急いでいた耀斎と亮斎は、品川を越えたところだった。
「楓様」
耀斎はそればかり呟いている。亮斎は呆れながらも、同情していた。
(許婚ですからね。ご心配ですよね)
「急ぎましょう、耀斎様」
亮斎は走り出した。
「あ、亮斎様!」
ハッと我に返り、耀斎は慌てて亮斎を追った。
他方、土御門宗家の当主である晴栄は、ようやく船に乗り、東京を目指していた。
「お休みになって下さいませ、晴栄様」
従者が進言したが、
「いや、構わぬ」
と晴栄は夜の海を眺めたままである。従者達は溜息を吐き、顔を見合わせた。
「晴信……」
身分は自分が上だが、年は晴信の方が倍以上上であるため、晴栄は晴信を慕っていた。だからこそ、道を踏み外して欲しくなかった。
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