漆(しち)の章 二人の宗家当主

 楓は、父と兄達の命を奪い、自分や甥達の運命を翻弄した建内宿禰の事を思い出し、身体中の血が沸騰しそうだった。

(何年経とうと、彼奴の事だけは許せぬ。もし、土御門晴信と繋がりがあるなら、此度こたびこそ必ずや……)

「楓様」

 末吉の声で楓は我に返った。末吉を見ると、何やら怯えているようだ。

「如何しました、末吉さん?」

 楓が微笑んで声をかけると、

「はあ、楓様が、その、鬼のようなお顔をされていたので……」

 末吉の言葉に楓はハッとした。

(憎しみの心は、建内宿禰に力を与えてしまう。何と愚かな……)

 楓は末吉の手を取り、

「末吉さんを驚かせてしまったようですね。ごめんなさい」

 末吉は更に驚いたようだ。

「とんでもない事でございます、楓様。私こそ、宗家である楓様を、よりによって鬼のようなお顔などと申してしまい……」

 末吉は楓から離れ、

「申し訳ございませぬ!」

と土下座した。そして、

「それに、宗家の楓様が私のような者を呼ぶのは、呼び捨てで構いませぬ。どうぞ、末吉と呼んで下さい」

「末吉さん……」

 楓は子供の頃から知っている末吉を呼び捨てになどできないのだ。

「顔を上げて下さい。私は気にしておりませぬから」

 明治の世になって、四民平等とか言われる遥か以前から、楓は人を身分で縛ることの愚かさを肌で感じていた。だから、使用人も年上の者は敬称を付けて呼んでいた。

「貴方は私の心の愚かさを教えてくれました。そんな貴方の事を呼び捨てになどできませぬ。これからも末吉さんと呼びます」

「楓様……」

 末吉は涙ぐんでいる。楓は末吉に手を貸して立ち上がらせると、

「皆を集めて下さい。話があります」

「はい」

 末吉はお辞儀をすると、邸へと走り出した。

(ここは危うい。関わりなき者は、いずこかへ逃がさねば……)

 楓は焦っていた。


 土御門晴信は、洞窟の中で建内宿禰と話を続けていた。

「では、私が高尾山にある貴方を封じる社を打ち壊す。貴方は私に不老不死の術を授ける。それでよろしいか?」

『それで良い。不老不死となれば、思いのままぞ。力も今より遥かに強くなろう』

 建内宿禰の言葉に晴信はニヤリとした。

『急げ、晴信よ。宗家の小娘に気取らるる前に』

「はい」

 晴信は立ち上がり、洞窟を出た。

(建内宿禰が何を企んでいるかは知らぬが、今は従ってやる。全ては土御門家のために)

 晴信は、その歪んだ考えが建内宿禰に利用されていると気づいていなかった。


 土御門宗家の当主である晴栄は、早馬で移動中だった。

「晴栄様、大事ありませぬか?」

 供の者が馬上の晴栄を気遣う。

「大事ない。私は土御門家の当主ぞ。見くびるでない」

「はは」

 供の者は慌てて頭を下げた。

「伊勢に着けば、船が待っておる」

 まだ十一歳の晴栄にとって長時間の乗馬が身に堪えないはずがない。彼は堪えていたのだ。

(何としても、晴信を止めねばならぬ。彼奴は間違まちごうておる)

 晴栄は晴信の身を案じていた。

(何やら、晴信の周りに怪しげな気が漂うておる。面妖な)

 晴栄もまた、建内宿禰の気を感じているのだ。只、楓と違い、それが何者なのかは知らなかったが。


 楓は宗家にいる使用人を庭に集め、話をした。

「皆が危うき目に遭うは、私の望む事ではありませぬ。相模や、上総、下総、常陸の分家に行っていて欲しいのです。全てがすんだら、また戻って下さい」

 使用人達は驚いていた。彼らの多くは、京都で源斎の事件を目撃している。だから楓の強さを知っている。そして何より、楓を慕っているのだ。

「私達も、楓様のお力になります」

 若い男の使用人が言う。彼は楓に思いを寄せている。その願いが叶わない事はよくわかっているが。

「駄目だ。お前達が残っても、楓様の足手まといになるだけだ。みんな、ここを出るのだ」

 末吉が一同を見渡して言った。

「私が何よりも案じておるは、貴方達の命です。お願いです」

 楓は頭を下げた。使用人達はそれを見て仰天した。

「お止め下さい、楓様。そんな事、宗家がなさってはいけませぬ」

 彼らは口々にそう言った。

「ありがとう、皆さん」

 楓は顔を上げ、皆を見た。その時だった。

「これは!」

 楓は邸の遥か西の方角に晴信の気を感じた。

「まさか!」

 宗家の当主となった時、楓は一門の長老達から、日本全国にある建内宿禰を封じた社を教えられた。小野一門の役目は、帝を守護する事、そして建内宿禰の封印を守る事。

(やはり、土御門晴信、建内宿禰と繋がりがあったのか……)

「皆さんは早く邸を発つように」

 楓は邸の反対側にある神社の本殿に向かった。


 その土御門晴信は、高尾山山頂に来ていた。

「この更に奥か」

 彼はニヤリとして、木々の間をすり抜け、社がある場所へと向かった。

「む?」

 木々がなくなり、少しだけ広くなっている所に小さな社があった。

(成程、これは術者でなければ見えぬ仕組み)

 社の周りには結界が張られており、普通の人間には見えない上に入れないようになっていた。

「しかし、この程度の結界では、私を止められぬ」

 晴信は袂から呪符を取り出し、結界に貼った。その途端、結界が揺れ、消滅した。

「さて。建内宿禰よ、約定を果たそう」

 彼はゆっくりと社に近づいた。


 楓は本殿の前に立ち、柏手を四回打った。

「姫巫女流古神道奥義、姫巫女合わせ身!」

 空から一条の光が差し、倭の女王が降臨する。楓は女王と一体化し、輝きを増した。

「高天原に神留ります、天の鳥船神に申したまわく!」

 楓は飛翔の祝詞を唱え、大空を舞った。

「土御門晴信、封を解かせはせぬ!」

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