捌(はち)の章 姫巫女流対土御門陰陽道

 楓は、風を切りながら、高尾山を目指していた。

(土御門晴信……)

 宿敵である建内宿禰と通じている晴信を楓は許せなかった。

(闇に力を借りれば、おのれも闇に落ちるがわからぬのか……)

 許せないと同時に、哀れとも思う。そこが楓の優しさであり、弱さだ。


 その楓の接近を、晴信も感じていた。

「早くも気づいたか、小野宗家め。邪魔はさせぬぞ」

 晴信は袂からたくさんの呪符を取り出し、宙に投げた。

「我が命に従え!」

 晴信の言葉が響くと同時に、呪符は風を巻いて飛び去った。

 しかし、晴信自身、すでに建内宿禰の妖気に取り込まれている事を知らない。

「私の願いは、神道の絶滅。日の本は、陰陽道により栄えるのだ」

 晴信はニヤリとした。

「この封を破らねば、私は強くなれぬのだ。恨みを晴らせぬのだ」

 彼は社に目を向ける。

(確かに相当の術者がかけし封。あの小娘のような訳にはいかぬな)

 晴信は、袂から別の呪符を取り出した。そして、社の角々に貼って行く。それが貼られるたびに、社が鳴動する。

「封が逆ろうておるのか。面白い」

 晴信は愉快そうに呪符を貼り続けた。その時だった。

「ぐ!」

 社に仕掛けがされていたらしく、彼の右手を小さな矢が貫いた。

「このような小細工を!」

 晴信はギシッと矢を左手で握り、一気に引き抜いた。すると矢は消えてしまった。

「術か?」

 姫巫女流の神官が、社を築いた時に仕掛けた術のようである。

「ぬう」

 右手が痺れる。感覚が失われて行く。

「おのれ!」

 晴信は素早く呪詛封じの呪符を取り出し、右手に貼った。

臨兵闘者皆陣列前行りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょう!」

 札の呪力が、矢の呪力に勝ったため、晴信の右手の痺れは消えた。

小賢こざかしい」

 晴信は歯軋りした。そして再び社を見た。

「行け!」

 晴信は式神を放ち、社を破壊させた。

「他愛もない」

 たちどころに崩れた社を見て、晴信はニヤリとした。その時、山全体が揺れ出した。

「何!?」

 晴信は何事かと周囲を見渡す。すると、崩れた社の下から、どす黒い妖気が噴き出して来た。

『ようやった、土御門晴信よ。我の力を授けよう。ちこう寄れ』

 その妖気から、建内宿禰の声がする。

「……」

 晴信は不安ではあったが、ゆっくりと妖気に近づいた。

『我の力、受け取るが良い』

 妖気が晴信の身体に纏わり付く。

「ぐ……」

 晴信は息ができなくなりそうだった。妖気は次第に晴信の身体に沁み込むように消えた。

「おお」

 その途端、晴信は力がみなぎるのを感じた。

『どうじゃ? それならば、小野の者等、恐るるに足らぬぞ』

 建内宿禰の声が聞こえる。晴信はフッと笑い、

「如何にも。建内宿禰様、かたじけのう存じます」

と頭を下げた。

『程なく、小野の小娘が参る。思い知らせるのじゃ』

「はは」

 晴信は跪いて応じた。

 

 楓は高尾山の近くまで来ていた。

「いずこか?」

 彼女は降下しながら、付近を見渡す。楓の姿に気づいた人々が、仰天して彼女を指差している。

「こちらか?」

 楓は無関係な人達を驚かせてしまった事を悔やみ、また空高く舞った。そして、再び建内宿禰の妖気を強く感じた。

「これは?」

 晴信の気と建内宿禰の妖気が入り混じるのを感じ、楓はゾッとした。

「これは如何なる事か?」

 彼女は気を感じる方角へと飛翔した。


 晴信は、自分が自分でなくなるような感覚を抱いた。

(もしや、建内宿禰は私を取り込むつもりか?)

 しかし、もしそれができるなら、あの時そうしているはず。晴信は疑心を振り払う。

「今は小野一門の根絶やし。そして、神道の絶滅を求むるのみ!」

 彼の目は、妖気のせいか、酷く血走っていた。

「む?」

 その時、空の彼方から、楓の気を感じた。

「よもやそのような事が……」

 晴信は驚愕していた。楓は空を飛んでいる。それを感じ、恐ろしくなった。

(姫巫女流古神道は、やはり底知れぬ……。一番に滅ぼすべきだな)

 怖気づきそうな己の心を奮い立たせ、晴信は空を見上げた。

 やがてそこには、光に包まれて飛翔する楓の姿が見えて来た。

「行け、式神共!」

 先程放った式神が具現化し、楓に向かった。容貌はやはり、鬼か魔物に見える。

「神剣、草薙剣くさなぎのつるぎ!」

 楓は姫巫女流最強の剣を出した。本来であれば、十拳剣を先に出すのが流儀なのだが、一度戦っているため、始めから草薙剣を出したのだ。

「斬!」

 草薙剣が式神をたちまち斬り裂き、消滅させた。

「社が……」

 楓は社が無残に破壊されているのに気づいた。

「おのれ!」

 そのまま急降下し、晴信に向かう。

「臨兵闘者皆陣列前行!」

 晴信は陰陽道の印である五芒星を浮かび上がらせた。

「急急如律令!」

 晴信の唱えた呪文で、五芒星が回転しながら楓に襲いかかった。

「く!」

 楓は剣で五芒星を弾き飛ばした。しかし、五芒星は再び彼女に迫って来る。

「滅びよ、小野一門!」

 晴信が叫んだ。楓はその声を聞き、小野源斎を思い出した。

(やはり、この男、建内宿禰に取り込まれている……)

「はあ!」

 楓は剣に気を込め、向かって来る五芒星を斬った。五芒星は真っ二つに裂け、燃え上がりながら消滅した。

「むう……」

 それを見た晴信は思わず後ずさった。楓の力が怖くなったのだ。

『恐るるな、土御門晴信よ。うぬには我がついておる』

 建内宿禰の声が頭の中を駆け巡る。

「これ以上その魔物に関わると、闇に取り込まれますぞ、晴信殿」

 楓は地上に降り立ち、晴信を見た。

『うぬは負けぬ。我を信じよ、晴信』

 尚も語りかけて来る建内宿禰の声に、晴信は混乱しかけたが、

「貴殿ら神道は、我が土御門一門の敵。敵は全て滅する!」

と叫び、目を更に血走らせた。

「哀れな……」

 楓は、もはや晴信が人に戻れない事を悟った。

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