陸の章 闇からの声
土御門晴信の襲撃を退けた楓は、亮斎と共に道場に戻った。
「何があったのでございますか、楓様?」
耀斎がすかさず尋ねた。楓は耀斎の前に正座して、
「土御門晴信が現れました。しかし、影でした」
「影?」
耀斎は楓の言葉の意味が分からず、眉をひそめる。
「晴信本人ではなく、人形だったのです。それでも、恐るべき力でした」
耀斎は目を見開き、確かめるように亮斎を見た。亮斎は黙って頷いた。
「ですが、まだ様子見程度と思われます。次に現れし時は、この邸が打ち壊されるやも知れませぬ」
楓は真剣な表情で耀斎を見ている。
「耀斎様は一刻も早く出雲へお戻り下さい」
「そのような事、できませぬ。私も楓様と一緒に戦いまする」
耀斎は楓の言葉を遮るように言い放つ。しかし楓は、
「なりませぬ! 私が倒れし時、亮斎を守り、宗家を守るは貴方様のお役目。第一分家の跡取りである耀斎様と、宗家の後継者である私が一度に倒れてはならないのです」
「……」
耀斎はその言葉に声を失った。
(楓様はそこまで先の事をお考えなのか……。そして、そこまで楓様を追いつめたのか、その陰陽師は……)
「お願い致します、耀斎様。出雲へお戻り下され」
楓の目に涙が光るのを見て、耀斎は決意した。
「承知致しました。出雲に戻りまする」
「申し訳ありませぬ、耀斎様」
楓は板の間に頭を擦り付けるようにして詫びた。
「お顔をお上げ下され、楓様。私は貴女に詫びられるような事は何もありませぬよ」
「耀斎様……」
二人が熱い眼差しで見つめ合うのを見て、
「私はお邪魔ですか、楓お姉様?」
と亮斎が口を挟んだ。楓と耀斎は赤面して、顔を離した。楓は咳払いをしてから、
「余計な事を申すでない、亮斎。貴方も出立の支度をなさい。耀斎様と共に出雲に行くのです」
「はい」
亮斎はクスクス笑いながら、道場を出て行った。楓は改めて耀斎を見ると、
「亮斎の事、よろしくお願い致します」
「承知仕りました」
耀斎は深々と頭を下げた。
一方、小野宗家に仕掛けてみたものの、思った以上に楓が強かったので、土御門晴信は驚いていた。
(あの小娘、恐るべき手練。侮れぬな)
式神を放ち、多少の傷を負わせるつもりであったが、まるで返り討ちに遭った心境なのだ。
「神道で一番という噂は偽りではないな。そして、宗家でも随一と言われた先代の栄斎が跡取りと考えていたという話も
晴信もまた、楓を恐れていた。彼は洞窟に戻り、その心の乱れを静めようと瞑想した。その時である。
『土御門晴信よ』
どこからか声が聞こえて来た。晴信はハッとして目を開き、
「何奴?」
と周囲を見渡す。しかし、薄暗い洞窟には自分しかいない。
『
声の主が名乗った。
「何? 姫巫女流だと?」
晴信は眉をひそめた。
『案ずる事はない。我はうぬに力を貸そうと言うておるのだ。心して聞くが良い』
更に建内宿禰は言った。
「力を貸す、だと?」
『如何にも。我にとっても、小野宗家は憎みても余りある存在。だが、我は根の堅州国から出られぬのだ。我に代わりて、小野の者共を討ち滅ぼしてはくれぬか』
晴信は建内宿禰の言葉の全てを信用した訳ではなかったが、「力を貸す」と言っているのは魅力だった。
(先代の栄斎を殺めたは、源斎という下級の小野分家の嫡男と聞いた。源斎もまた、建内宿禰の力を借りたのか?)
晴信には気がかりな事があった。
「貴方の言葉を信ずるとして、貴方の力を借りた思われる小野源斎と申す者が、宗家の小娘に敗れたと聞く。これは如何に?」
晴信は自分が源斎の二の舞を演じるのはご免被りたいのだ。
『源斎は未熟者であった。じゃが、うぬは違う。必ずや、我が願いを果たしてくれよう』
建内宿禰の言葉に、晴信は思わずニヤリとした。
「承知した。お話を伺い申そう」
と晴信は答えた。
京都。
維新政府によって陰陽寮を廃止され、陰陽頭の職を解かれ、大学星学局御用掛に任じられたが、その年末にその職も解かれた土御門晴栄は、東京に晴信が現れたとの知らせを受け、仰天した。
「何という事だ。あの者は、私の言葉を聞いてはくれぬのか」
まだ若干十一歳の晴栄は、自分の力のなさに消沈していた。
「晴栄様、ご落胆なさいますな。あの者は、すでに我が土御門一門とは縁もゆかりもなき者。お気になさる事はございませぬ」
先代の晴雄に恩義のある者がわずかに残った土御門宗家は、かつての栄光は見る影もなかった。晴栄の周りには、以前の使用人のうち、ほんの一握りの者しかいない。
「私も東京へ行く。支度を致せ」
晴栄は立ち上がった。側近達は驚いてその幼い後継者を見た。
「晴信の事はともかく、小野一門に申し訳ない。宗家にお会いして、お詫びする」
晴栄の言葉に、側近の一人が、
「晴栄様がそこまでなさる事はございませぬ。先程も申しました通り、晴信は我が一門とは縁はなき者で……」
「ならば訊くが、もし仮に我らが小野宗家の立場であったなら、同じようにすませられるか?」
晴栄の鋭い目を、側近の誰もまともに見る事ができない。
「早う支度を致せ。一刻も早く京を発つ」
晴栄は重ねて命じた。
「はっ!」
楓は、門の前で旅立つ耀斎と亮斎を見送りながら、ある気を感じた。
「これはもしや……」
何かを尋ねたそうな使用人の末吉達が見つめる中、楓は邸へと戻り始めた。
(これは間違いなく、あの者の気……)
楓は建内宿禰の気を感じていたのである。
(よもや今になって建内宿禰の気を感ずるとは……。晴信と何か繋がりがあるのか?)
楓はギュッと両の拳を握りしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます