伍の章 襲撃

 耀斎との話を終えた楓は、亮斎を伴い、邸奥にある道場に行った。耀斎は楓の稽古を見た事がなかったので、同行した。


 東京と名が変わっているが、まだ何ら庶民の暮らし向きは変わっていない。次第に丁髷姿が減り始めてはいるが、将軍家のお膝元であった名残はまだあちこちに残っている。

 宗家も、武蔵分家を改築して移って来たので、京都にあった邸よりはいくらか小ぶりだ。それでも、事実上、宗家と京都小野家に分かれたので、人数自体は、武蔵分家に仕えていた者達を含めても、減少しているため、楓達は手狭とは思っていない。むしろ、京都の邸が広過ぎたと思っているほどだ。

 宗家と言っても、先代の栄斎の子供である徹斎、慶斎、斎英の三人が故人となったため、宗家は楓と徹斎の嫡男亮斎のみだ。亮斎の弟である享斎は、宗家での修行を終え、京都小野家に戻った。今は近隣の分家の長老達が享斎の教育係である。


 耀斎は道場に足を踏み入れて、仰天した。広さは五十畳ほどで、端に畳が敷かれていて、あとは板の間なのだが、その中の空気が凄まじい。

(これが、楓様の気?)

 耀斎は思わず両手を握りしめた。

(小野源斎が逃げ出したのも合点が行くというもの。これほどとは……)

 耀斎は一部誤解している。楓と源斎が戦った時、楓の力は今ほどではなかった。あれから四年余り、楓は自分を磨き、亮斎と享斎を育てる事にのみ集中して来た。そのため、耀斎が身じろぐほどの気を纏うようになったのだ。

「始めますよ、亮斎」

 楓の凛とした声が道場に響く。耀斎はハッとして畳の上に正座した。

(楓様の気も凄まじいが、亮斎様も負けていない)

 二人の気がぶつかり合うのが耀斎には見えた気がした。

「いつでもどうぞ、楓お姉様」

 楓の気を見ても、亮斎は余裕の笑みを浮かべていた。

「では、参る!」

 楓の攻撃が始まる。突き、蹴り、正拳。

(その一つ一つに気が込められている。当たれば、恐らく只ではすまぬ)

 耀斎の額を汗が流れ落ちた。楓は手を抜いているようには見えない。その楓の動きを寸前で亮斎はかわしている。耀斎は怖くなって来た。

(楓様を第一分家になど、滅相もない事かも知れぬ)

 次に亮斎が仕掛ける。楓もまるで先を読んでいるかのように亮斎の攻撃をかわす。

「ありがとうございました」

 二人の動きが止まった。楓も亮斎も呼吸も乱れておらず、汗も掻いていない。一番呼吸を乱し、汗も掻いていたのは、見学していた耀斎だった。

「耀斎様、亮斎に稽古をつけて下さいませぬか?」

 楓のその言葉に耀斎はハッと我に返り、

「あ、いや、亮斎様の方が私よりお強いですから、稽古をつけるなど……」

と言った。すると亮斎が、

「楓お姉様は、私に本気で打ち込んで来ないのです。ですから稽古になりませぬ」

「これ、亮斎、嘘を申すでない」

 楓が秘密を暴露されたのに驚いて言った。慌てているようだ。

(あれで本気を出していない?)

 耀斎は震え出しそうだった。

「それに、いつも稽古相手は楓お姉様ばかりなので、稽古にならないのです。お願い致します、耀斎様」

 亮斎が耀斎の前で正座し、頭を下げた。

「亮斎様、そのような事をなさってはいけませぬ。仮にも亮斎様は宗家、私は分家の身……」

 耀斎がそこまで言った時、楓と亮斎の顔つきが変わった。

(何かまずい事を申したか?)

 耀斎はギクッとして身じろいだ。しかし、二人は敵の存在を察知していたのだ。

「何奴?」

 楓は亮斎に目配せし、

「耀斎様、失礼致します」

と言うと、道場を出て行ってしまった。

「何事なのだ?」

 何も感じていない耀斎は、道場にポツンと残された。


 楓と亮斎が邸の門の外に出ると、門番が打ち倒されており、そこに衣冠束帯に長髪痩身の男が立っていた。

「何奴? ここを小野宗家と知っての狼藉か?」

 亮斎が怒鳴った。すると男はニヤリとして、

「承知。だからこそ参ったのだ」

「貴方はもしや?」

 楓は男の動きを警戒しながら尋ねる。男は楓を見てゾッとする笑みを浮かべ、

「お察しの通り、私は土御門晴信。朝敵と言われた男よ」

「おのれ、愚弄しおって!」

 楓はいきり立つ亮斎を押しのけ、

「我が小野宗家にどのようなご用向きです?」

と重ねて尋ねた。

「宗家の小娘がどれほどの力か、試すため。よもやお前がその小娘とは、拍子抜けしたぞ」

 晴信は挑発的な物言いだ。しかし楓は冷静だ。

「私を怒らせるおつもりか、晴信殿? 無駄ですぞ」

「そのようだな」

 晴信はそう言うと、懐から無数の呪符を取り出した。

式神しきがみ?)

 楓は亮斎を下がらせようとするが、亮斎は頑として退かない。

(この男、亮斎を狙っている。だが、そうはさせない)

「我が命に従い、敵を滅せよ!」

 晴信は呪符を宙に投げた。呪符は鬼とも妖怪ともつかない姿に変わり、亮斎に襲い掛かった。

「船戸の神よ、魔を押し留めよ!」

 楓は柏手を二回打ち、魔封じの結界を張った。

「そのような児戯が、いつまでつかな?」

 晴信は慌てた様子もなく、式神を見ている。

「神剣、十拳剣とつかのつるぎ!」

 楓は右手に光り輝く剣を出した。

「む?」

 初めて晴信は驚きの表情を見せた。

(あれが噂に聞く姫巫女流の剣か?)

「斬!」

 楓の気合と共に振り下ろされた剣は、その先端から光を放ち、式神を次々に斬り裂いた。

「退きなされ、晴信殿。我らの争いに意味はありませぬぞ」

 楓は鋭い目で晴信を見た。晴信は再びニヤリとし、

「わかった。今は退こう。またいずれ」

と言うと、フウッと消えてしまった。

彼奴あやつ、影でしたか?」

 亮斎が晴信がいた所に落ちていた人形ひとがたを拾って尋ねた。

「ええ。影であれほどだとすると……」

 楓の額を汗が伝わった。

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