参の章 新しき時代の中の古き者達
小野一門の第一分家である出雲分家の後継者である小野耀斎が、宗家の暫定後継者である小野楓からの文に喜び、東京を目指していた頃。
その新都で、復古神道の者達が、恐ろしい事を話し合っていた。
「土御門晴信は我らを怨んでいる。しかし、それを利用し、あの邪魔な姫巫女流の小野家を潰せば、まさに一石二鳥だ」
衣冠束帯の老人が言った。
「そのような事がうまくいきますかな。土御門晴信は、先代の土御門晴雄の信奉者で、こうなる以前から、我らを敵視しておりましたぞ」
白装束姿の壮年の男が異を唱える。
「だからこそだ。まだ幼い土御門晴栄を使って、晴信の目を小野家に向けさせる。さすれば、我らは安泰。小野家は晴信に潰されよう。小野の後継者は若い女だと言う。晴信ならば、造作もなく殺してしまうであろう」
巫女姿の老女が言った。
「小野が潰れれば、我らの地位も上がる。
衣冠束帯の老人がニヤリとする。白装束姿の男は、
「そうですかな」
と半信半疑の顔で呟いた。
「とにかく、土御門晴栄に働きかけ、小野家に出向いてもらう事にしようではないか」
巫女姿の老女が言った。老人は頷いたが、壮年の男は返事をしなかった。
こうして、復古神道の者達の密談で、土御門家と小野家の運命の歯車が動き始めてしまった。
耀斎は、その日の夜、東京の小野宗家に到着した。
「ようこそいらっしゃいました、耀斎様」
楓が後継者候補の亮斎と玄関で出迎えてくれた。
「耀斎様はお止め下さい、楓様。貴女は今は宗家の当主なのです。私などは呼び捨てで構いませぬ」
耀斎はしばらくぶりに会った楓の美しさに頬を紅潮させて言った。
「そうでございますか。わかりました」
楓は何故か悲しそうだ。彼女にしてみれば、耀斎の言葉は突き放された感じがしたのだ。
(やはり、耀斎様は私の事がお嫌いなのかしら?)
「
耀斎は客間に通された。そのまま下がってしまおうとする楓を、耀斎は引き止めた。
「お待ち下さい。お話がございます」
楓は耀斎の言葉にキョトンとして彼を見た。
「亮斎、お部屋に戻っていなさい」
「はい、楓お姉様」
もう十四歳になり、大人びて来た亮斎は、耀斎には、自分より立派に見えてしまった。
「如何なさいましたか、耀斎様?」
楓は正座して耀斎に尋ねた。すると耀斎は、
「私は、幼き頃より、宗家と分家の何たるかを父晋斎に教えられて育ちました」
「はい」
楓が真っ直ぐな目で自分を見ているので、耀斎は言葉に詰まってしまった。
「耀斎様?」
楓が耀斎の顔を覗き込むようにして声をかけた。
「あ、申し訳ありませぬ、楓様」
楓の顔があまりに近いので、耀斎は思わず身を引いた。
「宗家は小野一門を束ねる、小野家の頭領です。その宗家の当主である楓様が、一分家の私を『耀斎様』と呼ばれるのは、如何なものかと思うのです」
「はい」
急に楓の顔が明るくなった。耀斎はその反応に合点がいかない。
「では、耀斎様は私の事がお嫌いなのではないのですね?」
「え?」
耀斎は天地がひっくり返ったかのような衝撃を受けた。
「め、滅相もありませぬ。私如きが楓様を嫌うなど、あり得ませぬ」
耀斎は慌ててひれ伏した。
「耀斎様、お止め下され。そのような振る舞い、私が困ります」
「はい」
耀斎はまた慌てて顔を上げる。すると目の前に楓がいた。
「ありがとうございます、耀斎様」
楓は耀斎の手を包み込むようにして握って来た。
「……」
耀斎は心臓が止まりそうになった。
「か、楓様……」
それだけ言うのが精一杯だった。
「で、ですから、『耀斎様』はお止め下され」
「はい」
楓は微笑んで応じた。耀斎はその顔が眩し過ぎて、俯いてしまった。
どことも知れぬ深い森の奥。
そこには、自然にできた洞窟があった。その最深部に蝋燭の火が灯され、一人の男が書を読んでいた。
肩まで伸ばされた長い髪。鋭くつり上がった切れ長の目。高い鼻、小さい口。そして、衣冠束帯。
「晴栄様が動かれたのか」
男は呟いた。彼こそが、復古神道の者達が噂していた、土御門晴信である。
「下衆な者共の企みが感じられる。賢しい者共よ」
晴信はスッと立ち上がり、洞窟を歩き出す。
「うぬらの賢しさ、虫酸が走る。そして何よりも、あの小野宗家。我が恨みの元。必ずや、潰してくれる」
晴信は始めから一番の標的を小野宗家と定めていた。復古神道の者達が画策するまでもなかったのだ。
「我らから全てを奪いし者共よ、覚悟するが良い!」
彼は洞窟の外に出て、森中に響き渡るような大声で叫んだ。
夕餉の後、再び楓と耀斎は話をしていた。今度は楓の部屋、すなわち当主の間である。
「そのような事が起こっておるのですか」
耀斎は土御門家の事は噂に聞いていたが、土御門晴信の事は知らなかった。
「その者が我が小野家に恨みを抱くは、全くの逆恨み。明治の御世になり、陰陽寮が廃止されたは、我らとは関わりのない事です」
耀斎は言った。楓は頷き、
「しかし、それは我が方の言い分。その者はそうは思うておらぬという事です。いくら説いてみても、詮無き事にございましょう」
「そうでございますが……」
耀斎は晴信の思い上がりと、宗家である土御門晴栄の立場を考えない彼の身勝手さに腹が立ったのだ。
「宗家を差し置いて、
耀斎は激高している自分に気づき、ハッと我に返った。
「申し訳ありませぬ、楓様がいらっしゃる前で、大声を出してしまい……」
「構いませぬ。我らは
楓があっさり言ったので、耀斎は赤面した。
(確かに、父上がそのような事を宗家にお話になったのは伺っておるが……)
まさか、いきなり楓の口から「許婚」という言葉が出るとは思わなかったのである。
「亮斎が宗家を継ぎ次第、私は第一分家に参りますので、よろしくお願い申し上げます」
楓は三つ指をついて頭を下げた。
「は、はい」
耀斎は思った。私は多分、楓様の尻に敷かれると。
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