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「ほら、着いた」
ふわり、と汗ばんだ額に少しだけ涼しげな風が抜けて行った。拓けた場所に足を踏み入れると視界の全部が海になった。
「ね、綺麗でしょ」
これを見せたかったの。そう言って振り返ると、その顔には穏やかな微笑みがあった。
「ん、確かに」
真っ赤に燃えた大きな太陽。風まで橙に染まったかのような空。淡く燃える雲。キラキラと宝石のように輝く海。優しくて柔らかな潮の香り。
「綺麗、だな」
母と自分のためだけに彩られたような景色に、感嘆の吐息が漏れた。今まで見たどの夕日よりも一番綺麗だった。
「そうでしょ? 綺麗でしょ」
心底嬉しそうに、ふふふと声を上げた。まるで、少女のように。
「これを、見せたかったの?」
「そうよ」
さらりと答えると、夕日を振り返りながら口を開いた。
「ここからの夕日を見せたかったの。大好きな景色を。お母さんと――お父さんが大好きだった景色を、ね」
「とう、さんも?」
「そうよ。お父さんも大好きだった。昔はあんたを連れて何度も見に来たのよ?」
憶えてない? とどこか悲しげに首を捻った。
曖昧な表情を浮かべる。憶えて、いない。
「そうよね。お父さんが死んだの、あんたが二歳の時だったもんね」
自分の中の、父の記憶はほとんどない。黒縁の写真立てに飾られている、微笑んでいる男性。アルバムに並ぶ、幼い自分を抱いている優しい微笑みの人。背が高くて、少し筋肉質で、白い歯が綺麗で。この人が自分のお父さんなのだと理解したのは、母の言葉と遺影だった。
そう言えば、父が亡くなる前は海の近くに住んでいたのだと言っていた。もちろん俺はそれを知らない。物心ついた時には、母の実家に住んでいたのだから。
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