第19話 轍に咲く花 <5>

 敷地内に一歩踏み込むと、寒さが少しだけ増したような気がして外套の前を引き寄せる。

 冬の夕刻は訪れるのも早ければ色濃くなる速度も早い。見上げた空は東ほど淀んだ蒼を過ぎて紺色に染まりつつあり、西には落ちゆく夕陽の最後の強さが地平から黄金色の炎を揺らしていた。登り始めている月は満月より少しだけ歪な形をしながら自分が主役になる時を息を潜めて待っているように見える。その頃には彼を抱く星の海も共に輝きを主張することだろう。


 たくさんの墓石を眺め、リリーは凍りゆく土を踏みしめる。始めは物悲しく、そして少しだけ怖く感じられた。しかし一つ一つに眼を向けているうちに、それらは不思議と穏やかな心持ちへ変わっていく。

 たった一石の下に縁繋がるいくつもの魂が眠り、それが見渡す限りに寄り添っている。そして彼らの安らぎを願う心はこの墓地に埋葬された全ての遺灰より遥かに多いだろう。

 お墓とは死の象徴ではないのかもしれない。きっと、その人が生きたという事実を忘れないための、生の象徴なのだ。誰だって生きているうちに幾つもの過ちを犯してしまうけれど、死は最後にその多くを赦してくれる。墓地に溢れているのはそんな許しの心……とても強くて優しい想い。


 気が付けば犇めく墓石の端まで来ていた。

 墓と墓の間に通る路が途切れ、眼前は葉の枯れ落ちた鼠色の木々による林だった。冬の到来を感じさせてくれるのは、まず風の冷たさで、次に木々の露わな枝ぶりと色褪せた幹だ。包容力を失って一本一本が自分だけを守るように引き締まっているその林をリリーは静かに縫っていく。一歩ごとに、まだ土に還っていない枯葉が耳心地の好い音を立てる。

 枯れ木を避け、枯れ木を避け……やがて視界に現れたのは、物ではなかった。こちらへと向かってくる一人の男性。リリーがその存在に気付いた時には向こうも同様だった。十歩ほどを残して互いに足を止め、驚きに両目を見開いたままほぼ同時に口を開く。

「ケイオスさん……」

「リリー……殿」

 ケイオスはこの事態が呑み込めていないようだった。

 リリーは、スピナーがこれを予想して自分に地図を渡したのかを考えた。しかし、ケイオスに再会することの意味が分からないし、そもそも会えるかどうかすら定かではなかったはず。彼がスピナーと申し合わせていた可能性も、今の反応からは窺えなかった。


 少し沈黙が降りて、それからリリーが口を開いた。

「あの……実は、スピナーさんに言われて来たんです……」

「スピナーに?」

 ケイオスは金色の眉を片方だけ浮かせて、それから口元を押さえると何か考え込む。

「ケイオスさんは、どうしてこちらに?」

 問いかける彼女に、彼は落としていた視線を上げて静かに注いだ。

「……そうか……」

「え……?」

「いや、なんでもない。俺がここに来たのは……」彼は背後を振り向いた。「……あれだ」

 彼の手ぶりを追ってリリーは眼差しを奥に向け、その先に小さな墓石を認めた。

「……見させて頂いても……いいですか?」

 顎を引いた彼の横を通り過ぎ、彼女はそれに近づいていく。

 一歩ごとに明瞭になっていくその歪な姿。そして大きく彫られている墓碑銘が読めた時、その歩みは近づくごとに重く、とても鈍くなっていった。ようやく墓の眼前に辿り着いた彼女は自分の胸を知らず知らずに押さえながら、瞬きをすることすら忘れて見入っていた。

「レストリア兵士……慰霊碑」

 枯葉をリズムよく踏む音が聴こえて、すぐ後ろにケイオスが立つ。

「貴女になら見られても構わないだろう。どうやらスピナーも知っているようだが」

「……ケイオスさんが、造ったのですか?」

「まぁ……な。時間がかかった割にこの出来だが……」

 少し声に笑みが滲んでいる。しかしリリーは笑う気には微塵もなれなかった。指で石の上部を撫でる。

「お酒、みたいですね」

 彼が短く肯定する。彼女はさらに、墓石の上に乗せられていた首飾りを手に取った。細い紐が繋ぎ止めているのは宝石などではなくロケット。彼女は躊躇いながらしかし、両手を使って丁寧にそれを開いた。

「あの時の……レストリアの青年が付けていたものだ」

 ケイオスの辛そうな呟き。彼女は小さくうなずいた。あの時のケイオスの沈痛な表情を思い出しながら。だがその中身を見つめる自分の顔もまた同じような色を浮かべていることには気付かずに。


「また……」

 囁く声で言いかけて、彼女はロケットを閉じるとそっと墓石の上に戻した。

「また、ここに来てもいいですか……?」

 今度は確かな声で、ケイオスに顔も向けて。

「ああ、好きな時に来るといい。誰でも訪れていい場所だ……」

 戦場では“死の轍を生む者ラット”と呼ばれて敵味方から鬼神の如く扱われているその男が、きっと誰も見たことがないのではと思わせるような柔らかな微笑みを浮かべた。そして、その奥に一抹の悲哀を感じ取ることが出来たのは、リリーだからこそかもしれない。



 翌日、リリーは治療の跡も痛々しいトッドと共に玉座の間にいた。


「昨夜は眠れたか、リリー?」

 王は開口一番、彼女の身を気遣った。

「は、はい……。十分に……」

 歯切れ悪く返すリリー。どうやら余り眠っていないらしいと誰もが感じ取る。しかし王はそれ以上追及せずにただ頷いた。

「トッドも、まだ治療を始めたばかりの身と言うのにすまんな」

「いえ、お気遣いには及びません。特に今日は……」

「うむ……」

 二人の遣り取りが何となく引っかかるも、リリーはトッドの右後方にて膝をついたまま王の次の言葉に耳を傾けていた。


「さて、今日話すのは言わずもがな猛虎兵団の再編に関してだ。ライゼン殿の死は余も辛い。共に死線を潜ってきたそなたらは尚更のことだろう。しかし、どの部隊もそうであったように、将軍を失ったならば早急に次の指揮官を立てねばならない。最近では去年の春、マルク殿を失った勇獅子隊がケイオスを将軍に迎えて金獅子隊として再始動した……そなたらにとっても記憶に新しいだろう」

 とは言うものの、と続けながら王は傍に立つ重臣の一人に眼をやる。

「ライゼン殿の訃報をいち早く渡されたのち、すでに余とフィリップは熟考と幾度もの協議を経て大綱を練った。つまり、猛虎兵団再生のイメージはもう出来つつあるということだ。だがその為には一点、非常に重要で根底的な問題を解決しなければならない」

 軍事参謀長フィリップ・モルディーノは、王の眼差しに顎を引くと二人に視線を戻す。軍の人材登用の責任者として口を開いた。

「問題とは、新しい将軍のことです。猛虎兵団の兵達を最も理解し、彼らの信頼篤く指揮力も高い……トッド・ゾブリ殿を後任とするのが順当」

 リリーは静かに聞いていた。誰が考えても当然の判断、特に驚きもなければ挟むべき言葉もない。むしろ問題はその後、自分がどうすれば良いのか……ということ。

 しかし、フィリップの次の言葉に彼女は凍りつく。

「……だが、王と私で協議を重ねた結果……リリー殿、貴女に新しい将軍として猛虎兵団を纏めてもらいたいと考えています」

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