第18話 轍に咲く花 <4>

 七日後、夕刻。

 王都グラン・ダナスの西門で無数の民衆が労いの花道を作った。帰還した屈強な金獅子隊の勇姿を見上げながら。

「ケイオス将軍、戦場から還るたびに凛々しさを増しますわね」

「きっとまた数えきれないほどにレストリアの蛮兵を倒してくれたのでしょう」

「前のマルク将軍も今のケイオス将軍も武勇ばかりが鳴り響いていて……少し怖いです。私は知的で騎士らしいウィーゴ副官が好きですわ」

 憧れを眺めて口々に囁き合う人々。

 中年、老齢の大人達からは戦に疲弊する国を憂う声も多いが、若い娘などが騎士達を見れば色恋の話ばかりが持ち上がる。しかもここはダナスで最も栄えている城下町。民衆の心にゆとりも残っていた。


 にわかにざわめきが走る。金獅子隊に続いて猛虎兵団が門をくぐって現れたのだ。

「ライゼン将軍がいない……やっぱり噂は……」

 いつもならば先頭に立って堂々と肩をそびやかすはずの歴戦の将軍。その姿が在るべきところに居るのは包帯が痛々しいトッド・ゾブリ副官だった。そもそも猛虎兵団と金獅子隊では、マルク将軍亡きあと最古参であるライゼン率いる前者こそが格上。先に城下へ足を踏み入れて然るべきなのだ。それにも拘わらず金獅子隊が先に西門をくぐったこと自体が、すでに民衆へ異変を教えていたと言える。

 嘆く声、悼む声、勇者を喪って今後を絶望視する叫び、左右を埋め尽くす人波から沢山の痛みが溢れて来て、猛虎兵団の騎士達はきつく歯を食いしばった。ライゼンの死を誰よりも重く感じているのは他ならぬ自分達なのだ。町でぬくぬくと過ごしながら前線を想像するだけの市民よりも遥かに、圧倒的に。だから悔しかった。腹立たしかった。不安だった。必死で絶望感と闘っていた。猛虎兵団はどうなるのか。自分たちはどうなるのか。将軍を守れなかったこと、最高の勇者を失ってしまったこと……悔やんでも悔やみきれない。

 ――簡単に……“絶望”なんて口にしやがって……

 馬上で騎士は怒りに震える。地上で歩兵は拳を握りしめる。戦いも知らずに一目見ただけで簡単に諦めるな、と。仮に泣き言を許されるとすれば、それは共に命を懸けて恐怖と闘い、血の海の上で胸を痛めつづけてくれたあの人だけだ……と。ライゼン将軍を救おうとした時のあの我を忘れた姿は今でも生々しく眼に焼き付いている。


「リリー補佐官、さすがにお辛そうですね……」

 トッドの少し後ろに続く白馬とその鞍上を見て、道の脇で中年の男が顔をしかめる。

「何せ王に祭り上げられた場所ですから。あの優しいお心で戦場に居たこと自体が悲劇でしょう」

「しかも補佐すべき将軍が討ち死にともなれば……」

 彼女の心中を推し量って憐れむ者達。また別のところでは若い男どもが彼女の美しさや清楚な雰囲気を色めいて論じていた。だが、彼女自身はただただ沈んだ面持ちで、町の奥に聳える王城を目指し進み続けた。

 冷たい風が建物を冷やしながら縫っていき、人々は暖かな装いで行き交う。王都の初雪はすぐそこに感じられながらまだ降りてきてはいなかった。



 ケイオス、そしてリリーの報告が終わった。

 グレゴリア王は溜息を吐くと、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。

「トッドからも治療が済み次第、話を聞くが……リリー、大変な想いをさせたな」

「……いえ……私は何も……出来ませんでした……」

 報告の始めの辺りは緊張によってか震えていた声も、いまは酷く沈痛な色に塗りつぶされて抑揚を失っていた。王はもう一度嘆息し、柔らかな微笑みを浮かべた。

「明日の朝もう一度参ぜよ。それまでは身を休めるが良い……御苦労だった」

 リリーは深く敬礼をすると、静かに玉座の間を退いた。


 城の正門を出る際、リリーはきょろきょろと周囲を見回したのち衛兵の一人に駆け寄った。

「あの……すみません」

「こ、これはリリー補佐官! お疲れ様です!」

 官位の上ではリリーは四軍の将軍に次ぎ、各副官と同等の立場にある。しかし衛兵の強張った表情と上擦った声の原因はそこから来る緊張とは別物だった。もっとも彼女自身はそれに気付いてはいないが。

「この地図の場所って分かりますか? 私、あまり町の隅々まで歩いたことがなくて……」

 リリーはスピナーから渡された紙を広げて尋ねる。

 彼女は猛虎兵団の休息月と冬場以外は前線に身を置いていた上、王都に居るあいだの多くは町医者や負傷兵の療養施設で傷病者の看護にばかり時間を費やしていた。自身の生い立ちの記憶もなければ、この国に身寄りも居ないため、他にすることも望むこともなかったのだ。

 時には王宮内の医療機関に顔を出して学ばせてもらいもしたが、反対に中枢を離れて町を散策したり盛り場に混ざっていったりということは殆どなかった。まれに兵やライゼンの誘いを断りきれなくて、ということが数える程度あったくらいだ。

「ああ……ここでしたら南の外れです。しかしライゼン将軍のことでしたら……」

「あ、いえ、違うんです。ありがとうございます。行ってみます」

 リリーは頭を下げると堀にかかる橋を急ぎ足で渡っていった。細い背中でゆっくりと揺れている雪色の髪を、衛兵達は惜しむように見送り続けた。


 地図を手に町を歩いていると様々な人が声をかけてきた。小さな子供からお年寄りまで幅広い。

 あまり町に溶けこんでいないつもりの彼女だが、これまでも相手から親しくしてくれることが多々あった。子供は“リリーお姉ちゃん”と呼んで遊んでほしいとねだってくるし、お年寄りは彼女の戦場での日々を労い、心配してくれる。

 若い男は時に緊張しながら、時に気取りながら話しかけてきたりデートに誘ってきたり、若い娘は彼女の雪のような髪や、戦場に身を置きながらいつも艶のある美肌の秘密を探ろうとしてくる。また、意中の人はいるのか……なども。

 酒場の側を通れば酔った男が席に誘う声を通りまで響かせるし、買い物をしている年嵩の女性などに出会えば「結婚しないのか、うちの息子はどうか」と訊ねられることが何度もあった。

 色々と、リリーのことは伝わっているはずだ。戦時中の流れ者、雪のような珍しい外見、記憶喪失、戦場に留まっていること……人の噂と言うものは何より速く伝わっていくし、大抵は事実に余計なものまで付着して興深いものへと育っていく。それでも気さくに、ごく自然に接してくれる町の人々がリリーは好きだった。


 接する一人一人に、少しだけ応えて、急いでいることを伝えて、時にはついでに道を教えてもらって……城を出てから四十分くらいは掛かっただろうか、辿り着いたその場所は町外れにある共同墓地だった。

 とても広い土地を囲う鉄柵は古く錆ついている。入口を示す石造りのアーチも風に晒されて黒っぽく染まり、彫られているセメタリーの綴りが辛うじて読めるかどうかだ。

「リリーさんってこの国の人じゃないんですよね? なんでここに?」

 最終的にここまで案内してくれた町の青年に、彼女は少し寂しげな表情でうなずく。

「はい、私に縁のある方は入っておりません。戦死者の慰霊墓はお城の近くですし……ここへはスピナーさんに勧められて来たんです」

「銀鳳将軍殿ですか……それならば無視できませんよね。僕も中までご一緒してよろしいですか?」

 リリーはすぐに答えずに、手の中の地図に目を落とす。何度も読んだ“奥の林の中”というスピナーの丁寧な文字。そしてそれ以上は与えられなかった説明。

「……ごめんなさい。ここから先は私一人で行ってみます。たぶん、行けば分かる何かがあるのでしょうし、そこは一人で訪れなければいけない気がするんです」

「そうですか、分かりました。本当はもう少しお傍に居たかったのですが……」

 青年ははにかんだ微笑みを浮かべて「お気を付けて」と付け加えた。リリーはここまでの案内に感謝を述べて深いお辞儀で別れた。彼にとって自分と並んで歩いていた時間がどれほど誇らしいものだったのか、それに露と気付かないまま。

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