第12話 病の花 <5>

 さらに約一年が経った。

 リリーがダナスに現れてから三度目の春、グレゴリア王は主力である猛虎兵団の抱える難題を解決するために一計を案じた。


 猛虎兵団の問題点、それはライゼン将軍とトッド・ゾブリ副官の性質が違いすぎるということだった。

 片や勇猛果敢な後姿で兵士を引っ張り、片や兵を効率的に動かすことが軍の強さに繋がると繰り返す。蛮勇と理論派の二人だが、それでもかつては何とかバランスを保っていた。ライゼンの突進は二割ほどの余力を残していたし、その後ろでトッドが苦心しながら兵を束ねて陣形に変えていたからだ。

 だが、去年の戦いではそのバランスが崩壊し始めた。原因はライゼンの余力を考えない特攻だ。彼は強い。“馬斬り”の異名を取るほどの攻撃力を持ち敵は恐れおののいている。その迫力と無謀さが一回りも二回りも増したのは間違いなく親友マルク将軍の死の所為だろう。その為に危険なところまで踏み込みすぎ、何度かあわやという場面が見られるようになってしまった。そしてその度に率いられる兵士が何人も犠牲になっている。トッドはそれが許せず、しかしそもそも気性の荒いライゼンとは言い争いになるばかりで事態は好転しなかった。

 その二人の間に、王はリリーを放り込むことを考えたのだ。

 ライゼンもトッドも部下の信望はある。それだけに猛虎兵団の兵士達は二派に分かれてしまっていた。これでは一軍として実力を発揮しきれない。かと言っていっそ二軍に分けてしまえば、ライゼン側は完全に歯止めを失いただの特攻部隊と化すだろうし、トッド側は攻撃性の薄い集団になってしまう。

 そこで、今やダナス軍全体の人望を集めているリリーを新造の役職に就けて中心に据えれば、その求心力が猛虎兵団の結束を高めてくれるのではないかと期待したのだ。彼女に戦闘や指揮はまったく求めていない。ただ隊の中に居ればいい。それだけで兵達は彼女を守り抜くだろうし、ライゼンも後方を意識しないわけにはいかず、トッドはその持ち味を存分に発揮できるようになるかもしれない。これは賭けだが、王は試してみる価値はあると考えた。


 王直々の指令が下ったとき、それは全軍に波紋を呼んだ。

 リリーを戦場に向かわせるなど、誰一人として想像したことがない。何より本人がすぐには理解できずに混乱していた。

 兵達は陰で激しく王を批難し、表でも口々に反対する。だが王は自分の憂いと深慮を彼女に真摯に説明した。そしてその上でどうしても受け入れられないのならば令は取り下げると言った。

「このままでは、猛虎兵団はいずれ近いうちに壊滅するだろう。そして多くの兵が犠牲になりかねない」

 おそらく王のこの言葉が決め手になったのだろう。リリーは未来に見える悲劇を回避する為に彼の策を受け入れた。

 ただ部隊の中に居ればいい、それを自分に言い聞かせて。


 王の試みは、始まってみると彼の期待を上回る成果を見せた。

 まず兵士達の士気が非常に高まったのだ。しかもそれが前方だけでなく、リリーを守る為に全体として堅固な集団になろうという方向へ向いた。

 そして、最大の功労者と言えるトッド。

 彼は部隊に現れたこの変化を逃さずに、どうあれば兵達の願いが最大限に実るかということを陣形や戦術に変えながら伝えていった。そしてその上でライゼンの勇猛さを発揮できるよう、巧みに全体を指揮したのだ。兵士達の臨機応変な翼の上でライゼン将軍は思う様に力を揮う。だが部隊に確かな意思があり戦場にはっきりとした流れが生まれ始めた為、彼自身が暴走するようなことはなくなっていった。

 銀鳳隊や黒狼隊はその変化に驚きを隠せなかった。王の英断を認めざるを得ず、自分達もまたリリーの立つ戦場を勇敢に駆けた。

 彼女が戦に参加する……この状況を今まで反対していた誰もが受け入れ始めたその時、ジョシュは皆とは違う眼でそれを見つめていた。



 ……剣と剣のぶつかる音は恐ろしい。

 刃が鎧を突き破る音はもっと恐ろしい。

 人が死を悟ったときの最後の悲鳴は、もはや心臓を握り潰すほどに耐え難い。

 リリーはただ馬の上に跨っている。王に与えられた白馬、そして白いローブ。髪は結えずに背中へ流れ落とし、渓谷に吹く風が時おり波打たせた。

 彼女は常に真っ直ぐ前を向いていながら、その瞳は焦点をぼやかして何も取り込んではいない。嫌でも聴こえてくる様々な“音”も、必死で右から左、左から右へ抜けさせようとしていた。まるで心を手放したようなその佇まいの中、グローブに包まれた両の手だけが痛ましいほど手綱を握り締めている。

 しかし、戦の真っ最中に彼女のそれらを見抜ける者はほとんどいなかった……。



「―――ちょっと来な」

 ある日のこと。負傷者の陣営でリリーの姿を見つけるなり、ジョシュは有無を言わせずにその手を引っ張った。

 暫くぶりにまた彼が彼女を叱責しようとしている……周囲の兵士達は眉をひそめて二人を見送る。だが、その中から二、三名が腰を上げてこっそりと近くの物陰に潜んだ。あまりに理不尽な状況なら相手が将軍といえどもリリーに助け舟を出してやる、そんな義侠心に衝き動かされていた。


「……あんたさ、戦なめてるのか?」

 放り出すように腕を放して、彼女が恐る恐るこちらを向いたところでジョシュは不躾に尋ねた。

「え……いえ、なめてなんて……」

「ない、つうのか? フザけるなよ? 戦場のド真ん中でぼーっと突っ立ちやがって」

 その言葉を耳にして物陰の三人は腰を浮かした。リリーは王の命を受けて仕方なしに猛虎兵団に混ざっているのだ。そして王も周囲も彼女に戦闘や指揮は求めていない。なのにこんな風になじられるのは理不尽以外の何ものでもない。いかにジョシュが将軍でも許し難い。しかもまだ若僧のくせに……。

 だが、兵士達が怒りに固めた拳は、次に聴こえた言葉で震えを失う。

「周りは気付いてないだろうけどさ、オレの眼は誤魔化せない。あんたは戦場を眼に入れないようにしている。音も耳に残さないようにして、あの真っただ中にいながらそれを意識から追いはらっているだろ」

 リリーの瞳が少し膨らむ。細い手が胸の中心を押さえ、微かに乱れた呼吸を庇う。

「兵士達がどれほどの覚悟で命をなげうっているか解かっているなら、その闘いから目を逸らすなんて出来ないはずだ! あんたを護りたくて相手を殺す者も、殺される者もいる。それらを蔑ろにしてぼーっと突っ立っているあんたを……オレは“なめてる”って言ったんだ!」

 彼の怒声が久方ぶりに響いた。二つ三つ離れた幕舎からも人が顔を出す。何事か、と野次馬にも近い気持ちで。しかし一番近いところで隠れて聞き耳を立てていた男達は違った。三人とも俯き、そして拳にはもう怒りは握られていなかった。

「あんたが本当に戦と向き合うなら、あいつらの闘いから目を逸らすな。もし次もそれが出来ないようなら……オレは自分の立場を懸けて王に直訴する。あんたを王都に引っ張っていけ、それが聞き入れられないならオレが将軍を辞めるってな」

 言いたいだけ言うとジョシュはリリーの答えを待たずに彼女の脇を通り過ぎた。

 隠れていた三人の側を通る時にちらりと彼らを一瞥する。だがそこに何の色もない。おそらく最初から気付いていたのだ……それが彼らにも解かった。

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