第11話 病の花 <4>

「早く運んで来い! こっちの寝台が空いている!」

「止血剤用意してくれ! それから縫える衛生兵を!」

「水だ! 誰か水飲ませてやれ!」

「包帯足りないぞ! 洗ったやつは纏めとけって言っただろ!」

 戦傷者陣営はまさに第二の戦場と言える騒々しさに満ちていた。負傷者を救けるためなら元気な者同士で気遣う必要はないとばかりに、荒々しい怒声や容赦のない言葉が飛び交う。

 そんな中に、一人だけ女性物の看護衣を纏ったリリーがいた。

「我慢してください! 破片を取りますから力を抜いて……どなたか彼を押さえてください!」

 後頭部で結えた髪を揺らしながら、手元で苦しむ兵士に必死で向き合っている。

 その身体は一年前と比べて随分と健康を取り戻していた。ちょっと捻れば折れてしまいそうだった手首なども、相変わらず細いが痛々しいほどではなくなってきている。白い肌の艶も増し、全体としていっそう美しくなっていた。

 彼女の声に応じてすぐに衛生兵が駆けつけ、喚く患者の脚を抱え込む。しかし兵士の抵抗が一層激しくなり、リリーは傷口から離れて彼の手を握った。その途端、少しだけ動きが鈍くなる。彼女はさらに残る手を彼の額に添える。すると苦しげに瞑られていた双眸が少しだけ開いた。

「お願いです、頑張ってください。貴方の強さを、私に見せてください」

 その言葉を拾えたのか、彼は脂汗に満ちる顔をふと綻ばせ、そして微かに顎を引くと再びぎゅっと目を瞑った。奥歯を強く噛みしめているのが判る。

 リリーは握られている手をゆっくり離させ、そして彼の脚へ戻る。そこを押さえている衛生兵はしばらく彼女に見惚れていたが、「いきます」と彼女が刃の破片を摘まんだのを見て我に返った。

「―――はい、これで終わりです。まだ縫ったばかりですので動かさず安静にしていてくださいね」

 彼女が額の汗を拭いもせずに微笑むと、見上げる兵士もまた疲弊の奥から笑みを浮かべて礼を言った。それを受けて少し頬を染めて優しくうなずく。誰かを救った時の、この瞬間の彼女が一番美しかった。

 次の負傷者へと駆け足で遠ざかるリリー。その白い後姿を見送りながら、兵士はあの微笑みを護りたいと強く思う。彼女の為ならさっき以上の痛みにだって耐えられる、そんな気がした。


「奴ら、次いつ攻めてくるかな」

 篝火に囲まれての夕飯の時間、黒狼隊の兵士達はシチューを味わいながら言葉を交わしていた。傍らにはウイスキーの入ったコップが置いてある。

「さぁなぁ、一昨日の一戦じゃ猛虎兵団の働きが凄かったからな。しばらくびびって震えてるかもしれないぜ?」

「はは、ライゼン将軍が半端じゃなかったしな。しっかしあの人ほど猛将って感じの人いないよな……トッド副官、苦労してるぜ、ありゃあ」

「だろうなぁ。でも最近のライゼン将軍ってよ、ちょっと突っ込みすぎじゃないか? あれってやっぱマルク将軍が討ち死にしちまったせいなのかな?」


 ……いま、ダナス関の防衛には四軍中の三軍が投入されている。この黒狼隊、ライゼン将軍率いる猛虎兵団、そしてスピナー将軍の銀鳳隊だ。その三軍の中では最も経験豊富なのが猛虎兵団であり、将軍の中で最古参となってしまったのがライゼンだ。なってしまった、と言うのは、残る一軍である勇獅子隊のマルク将軍が半月ほど前に壮絶な戦死を遂げたからだ。彼はこの戦争の開戦時から生き残っていた唯一の将軍にして、ライゼンにとっては親友ともライバルとも言える壮年の騎士だった。

 毎月、主力四軍のうち一軍を休ませて他の三軍で渓谷を守る。そうして戦を続けてきたダナスは、凶報の早馬を受けて急遽銀鳳隊を出陣させると、入れ替わりで勇獅子隊を都に戻した。あと数日で彼らは王都に帰り着くだろう。


「勇獅子隊の次の将軍っつったら……」

「まぁ、間違いなくケイオス副官の繰り上がりだろ。あの人は強いぜ……今じゃマルク将軍より上って噂もあったしな」

 二刀を鮮やかに操る金髪の青年、24歳。

 大方の予想通りこの数日後にケイオス・オブ・スタンフォードは将軍に昇格し、部隊名も“勇獅子隊”から彼の金髪と兜の装飾にちなんで“金獅子隊”へと改められることになる。

 それにしても、と輪の中の話が変わる。

「リリーさん、ずいぶん馴染んだよな。現れた最初の頃なんかさ、すげぇおどおどしながら手当てを手伝っていたろ」

 一年前の冬の終わりを思い出し、兵士は懐かしそうに言いながら酒に口を付ける。

「今じゃ彼女が居ない状態なんて想像しにくい。もし王宮の医療班に転属なんてなっちまったら……」

「だよな。なんか俺、最近さ、戦うことに前より遣り甲斐みたいのを感じてるんだよ。もしここで俺達が負けちまったら、故郷とか王都とか国とかより真っ先にリリーさんが殺される。殺されなくても捕虜になったり……って考えちまうんだ。そうすっとさ……」

 他の兵士達が大きくうなずく。俺もだ、と口々に。

「負けらんねぇよな、本当に背水の陣を敷いてる気分だもんよ」

 そう熱く語っている時だった。少し先にジョシュの姿を認めた兵士が「しっ!」と口元に指を立てて眼差しで皆に教える。少年が離れていくまでの十秒ほどを、彼らは沈黙の中でウイスキーに舌を濡らした。


 ――何がリリー“さん”だよ……こいつらを骨抜きにしやがって

 遠くから拾った会話を聴こえなかったフリで歩きながら、ジョシュは胃の奥にムカムカと熱を感じていた。

 去年の、あの初めての叱責以降も、リリーは治療が終わって傷病者の陣幕を出ていけるようになった兵士に必ず言葉を贈っていた。もう怪我をしないでください、無茶をし過ぎないでください……そんな生温い言葉を。

 若く、美人で、優しい。まさに掃溜めに鶴の状況なのだから、見る間に人望が高まったのは当然と言えば当然。それがある意味での士気に繋がっている。おそらく王が感じた予感というのはこれだったのだろう。

 だが、兵士達は粘り強さを手に入れる代わりに苛烈さを少しずつ失っている気がする。かつては「力を見せなければ認めない」とジョシュに試合を挑んできたほどの連中が、今や相手を怖気づかせるような殺気を放てなくなってしまった。戦闘技術は伸びているし、陣形や戦術と言った部分で将軍のジョシュの指揮力も含めて黒狼隊は成長している。強くなっている。それは確かだが、これはジョシュの望む姿ではなかった。相手に恐怖を植えつけなければ戦争は終わらない。

 そしてそう言った信念や理屈以上に、ジョシュはリリーの甘ったるい博愛が嫌いだった。憎しみすら感じると言っても過言ではない。

 ――お前のソレは……殺さなくては生きられない世界を……死から逃れられない人生を知らない人間の甘ったれた理想なんだ。死に物狂いで相手を殺さなきゃ自分が殺される、それが世界の真実だってことから目を逸らしてるだけなんだ……!

 何度、それを胸の中で喚き散らしただろう。ジョシュはリリーの振る舞いを目にするたびに、自身の過去を踏みにじられたような気がして苛立ちに顔を歪めた。

 彼が彼女をひどく嫌っていることは、この頃、兵士達には周知の事実だった。

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