第6話 月下の病 <4>
王都グラン・ダナス。
この日“凱旋帰還”したオルトラス隊28士は、病院へ直行した者達を除いて王宮前の広場に待機していた。その中に隊長スピナーは居ない。彼は王への報告のために奥の玉座の間に入っている。
そして、手当てと拘束の二つを施された黒髪の少年が彼の後ろに
「―――それは隊の総意ではなかろう、スピナー?」
まだ20歳のグレゴリア王の声が玉座から下りてくる。しかしそこに幼さはない。すでにして名君の威風を感じさせる彼の言葉には、いつも不思議な深みや説得力が漂っていた。
「……はい、むしろ私の独断です」
傷ついた兜を右腕に抱え、片膝をついた最敬礼の姿勢のままスピナーは答える。伏せた面の中でその視線は赤い絨毯をじっと見つめていた。
王と重臣の視線の中心で項垂れるその少年を生かしたのは彼の判断だった。
28名の部下達はその半分近くがあの場で息の根を止めることを主張した。まだ15、6の少年……そこに僅かな同情を持てた者の多くは20後半から30代の部下であり、それよりも若い者達は殺された仲間の報復を果たすことに強く拘った。なにしろ前夜の闇討ちと合わせて10人以上が彼の手にかかったのだ。あの黒豹も少年の意思に沿って動いていたに違いない。もはやそこに居るのは人ではなく血塗れの悪魔だと、そう罵る気持ちも分からなくはなかった。だが、スピナーはそれを押し切って隊長としての権限で彼を捕虜にしたのだった。
「何故だ? 如何に若いといえどもその凶行の凄まじさを鑑みれば死罪。しかしその方は此処まで連れてきた。それはつまり、余に対してその者の助命を訴えているのであろう」
「……然様にございます。すでにご報告致しました通り、彼らのアジトは隠れた集落と呼ぶべき規模であり、その暮らしぶりは貧窮の一言でした。そこで育ってきたのだとすれば山を下りるという選択を持ち得なかったことも、賊として生きてきたことも、斟酌に値する実情ではないかと私は考えました。畏れながら申し上げれば……彼もまた被害者なのです」
玉座の間に響きわたる彼の言葉に、居並ぶ重臣たちもひそひそとざわめく。後ろ手に拘束され足にも枷を付けられた少年はただ膝を落として俯いている。その脇を挟む槍持ちの兵士達は複雑な表情で彼を見下ろしていた。
「……確かに、大人達ならばまだしもその若さでは……自らの道を省みて真っ当な生き方を探すにはまだ足らなかったのかもしれん。そなたの言うとおり酌量の余地はあるだろう。だが……」
王は、その瞳に厳格さを灯す。
「最も重要な問題は、その者がこの先、真っ当な人間へと変われるかということだ。恐らくはすでに十代半ばであろう。それだけの時間を山奥で、賊として育ってきた者が……だ」
彼は眼差しをその黒髪へと注いだ。
「少年よ、この男はお前を助けたがっている。これでもまだ名乗らぬか? それとも名を持たぬのか? お前が心を改めぬ限り我々はその身を救うことは出来ぬのだぞ」
王の問いかけに、だが玉座の間に沈黙がおりる。その不遜に重臣たちが顔をしかめる。兵士達も戸惑いに視線を交わし合う。あるいはこの少年は言葉を理解することも操ることも出来ないのではないだろうか、そんな囁きすらひそやかに生まれる。と……
「国に……」
不意に聴こえたつぶやき。その声の色、高さは、明らかに取り囲む誰のものでもなかった。皆の視線が改めて一点に集まる。
「貧困の中で……国に助けられたことなんて一度もない」
そして、あろうことか少年は唾を吐き捨てた。
「ッ……貴様! 王の御前で!」
少しの同情を抱いていた兵士たちだがさすがに捨て置けず、槍の柄で激しく打ちすえた。鈍く乾いた音が幾度か響く。ややあって王が止めた時には少年は芋虫のように身体を丸めて気を失っていた。
重臣の一人が王に一礼を置いて口を開く。
「
グレゴリア王は何も言わずにそれを聞いていたが、次に返す言葉はその重臣にではなくスピナーへ向けたものだった。
「そなたはどう考える。この者、もはや望みなし……かな?」
「……いえ、私はそうは思いません」
少しの間のあと、しかし、彼の返答に淀みはなかった。あの重臣がやや険の混じる驚きを顔に浮かべる。
「ふむ、それは何故に?」
「彼に……心を見ました。上手く説明出来かねますが……それは、互いに命懸けで闘ったからこそ感じられたものです」
それを聞いた重臣が憤りも露わに割り込む。
「不確かに過ぎます! 根拠としては乏しすぎる、武力に頼る者の野蛮な発想です……!」
「慎めザウル」
王が静かに、だが重く厳しい口調で咎めた。ザウルと呼ばれた彼は顔色を変えて口を噤む。
「それが言葉であろうと、刃や拳であろうと、深い接触には必ず互いの何かを知るという結果が生まれる。それは得てして大切な“何か”なのだ……。根拠とは形のあるものばかりではない。胸の中にのみ存在する説明しがたい確信……それもまた根拠と呼ぶに足りるだろう」
多くの視線がぶつかり合う。ざわめき。そして、別の重臣が発言の許可を仰いだ。
「では、王はこの者に可能性を……?」
皆と共にスピナーも顔を上げて玉座を見つめる。そこに座る主君は微笑みを浮かべた。
「余は、その少年が唾棄した先刻の一言に可能性を感じた。彼は言葉を持ち、そして怒りを持っている。それは人としての怒りだと……余には思えたのだ」
スピナー、と彼は呼びかける。
「処刑は保留とし投獄して様子を見る。ひとまずそれで構わんな?」
彼は銀髪を揺らして少年を振り返り、その憐れな姿を眼に焼き付けたのち王に頭を下げた。
山賊討伐隊の帰還から10日が過ぎた。
王都城下町や郊外の村、地方の里……などでは、オルトラス隊の戦死者その訃報がそれぞれの身内に届けられていった。この10日間、受け取る者の数だけ哀しみが生まれ、それぞれにしめやかな弔いがとり行われた。
スピナーは出来る限り遺族に会い、謝罪を尽くした。
にべもない態度も取られた。
赦され、慰められもした。
彼の胸がひどく痛んだのはむしろ後者の時だった。王に直接下された重要任務、その隊長として得た小さな栄誉と引き換えに22人の人生を喪わせたのだ。
今回は彼にとって初めて本格的な死地に赴いた任務だった。そしてそれは城下町の警備や地方の犯罪行為の検挙とはまるで違った。この先、もっと大きな死地……つまりあの最前線に遣わされることになったなら、そのとき自分に指揮すべき部下が下限の百人でも与えられたなら、もっと多くの責任と罪を背負うことになるだろう。
――“彼”は、その上であんなに多くを自ら背負っているのですね……
追いかける孤高の後姿を思い出してスピナーは拳を握った。ここで自分に負けるわけにはいかない、と。
弔問からグラン・ダナスへと戻った彼は、実家オルトラス家の屋敷に向かうより先にその足で城を目指した。あの投獄から10日……あの少年の様子を窺わずにはいられない。
咎人たちに費やせる国費などさして無い。特にいまは戦時中。地下へ螺旋状に下りていく石造りの階段は一歩ごとに暗さと湿度を深めていき、辿りついた通路は点々と灯火に照らされた灰色の空間だった。敷かれている石は冷たく黒ずみ、隙間から雑草の頭が何本も覗いている。時折鼠が小さな足で駆ける音が響く。
両壁に等間隔で現れる分厚い木の扉は鉄で補強され、大人の顔辺りの高さにある格子状の小さな窓からは陰鬱な気配ばかりが漏れてくる。あるいは本当に生者が入っているのか疑問に思うような無機質さも。
奥へ進める歩の踵がコツコツと乾燥した音を立てる反面、何処かから繰り返される水滴の音はカビ臭い湿り気を失わせない。助けてくれ、出してくれ、そんな憐れな呻きを投げ掛けてくる者達はまだマシなのだろう……。
「ここです」
先導していた看守は足を止めると、一つの扉に松明を近づけて目的の監房であることを強調する。
「投獄から今日まで一切れのパンも水も口にしていません。置いていっても次に見る時には鼠か虫の餌になっていますし、水は温く淀んでいるだけで嵩を下げていませんから」
看守はスピナーの顔を見ながら溜息交じりに明かす。
「怪我だけは毎日医師が診ています。その治りの早さは山で育っただけのことはありますが……身体の表面は回復していっても内側は衰弱していくばかりです。おそらく―――」
彼は声を潜めた。
「―――生きる意思はありません」
スピナーは無言でうなずくと、彼に錠を外させて中へ踏み込んだ。
「ッ……」
眉間に皺を寄せて絶句する。眼前、いや、眼下で少年は石床に背中をあずけて四肢を投げ出していた。スピナーが驚いたのは、その瞳だ。眠っているわけではなく低い天井を見つめている彼の双眸は、まるで何もかも見限ったかのように茫漠としていた。
動かない水はあっという間に腐ってしまう。
あの美しかった黒曜の瞳もいまや一切の潤いを失って闇に沈みきっていた。
「……何を……」
見下ろすスピナーの喉の奥から漏れた声は、深い怒りを内包して微かに震える。
「何を悟った気になっているのですか、貴方は……。その浅はかな答えが貴方の牙だと言うのなら……そんなものは針ほどにも通用しないと教えて差しあげます―――」
踵を返して監房を出た彼は、呆気に取られる看守を残して足早に地上へと戻っていった。
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