第4話 月下の病 <2>

 翌日、後続の25人が追いつくまで数時間を警戒して過ごし、やがて合流した小隊はさらなる奥地を目指して進軍を開始した。

 五名。

 昨夜の闇の中で犠牲になった騎士の数だ。あの短い間にそれだけの命が奪われた。二名が獣の牙による凄絶な死に様、三名が喉や心臓部を一突きにされた無慈悲な最後だった。どちらの方が悲惨か……そんなことが思わず頭を過ぎらないでもない。だが、即席の墓の前でスピナーは頭を振ると瞑目した。

 本来なら遺体を丁重に運び家族の元へと返してやるのが人道。しかし王がこの任務に見ている重要性とその期待を思えばここで諦めるわけにはいかず、また任務続行こそが彼らを犬死にさせない唯一の選択だろう。命懸けの仕事であることは全員が理解していたはずだ。

 彼は隊長として己にそう言い聞かせ、喪った部下達には胸の中だけで静かに詫びた。


 昨夕あの西の彼方へ見送った太陽が、今はまた頭上に巡ってきて無数の木漏れ日を生んでいる。そしてやや中天を過ぎて午後へと傾き始めたころ……。

 スピナーと45騎の騎士達は、立ち並ぶ木々と、多くの賊たちに囲まれていた。

「現れましたね、全員戦闘態勢を。外側に馬首を向けたまま敵を引きつけなさい。飛び道具は盾で警戒、こちらから飛び込んではいけません!」

 林立する樹木は敵の総数を正確に掴ませてはくれない。一見出来る数は20人ほど……しかし、幹の裏側に潜んでいる者がいるかもしれないと考えてしまうと途端に、辺りが敵だらけに見えてくる。自分の中で圧力を育てるのは危険だ。だがその反面、息を潜めている存在の可能性を意識しておくこともやはり怠れない。

 ――たかが山賊……では、ありませんね

 スピナーは実際に目の当たりにしたことで認識を改めた。手強いことは過去の討伐隊の失敗から予想出来ていたが、眼前の連中は想像を超えて危険な戦闘集団だ。無数の死角を見事に利用して消えたり現れたりを繰り返しながらじわじわと包囲網を狭めてくる。45人の部下達が感じている圧力は相当のものだろう。彼らの緊張が見る間に高まっていくのが肌に感じられた。

 葉が一枚、二枚三枚、視界の中に舞い降る。


「―――ッ! 上です!!」


 弾かれたように頭上を仰いだスピナーの瞳に、木の枝から跳躍した5、6人の人影が映り込んだ。漏れ込む陽の光を背負って騎士団へと落ちてくる。

 幾つかの声と打撃や斬撃の音が鳴った。いち早く気付いたスピナーの槍は相手の先手を取ってその身を貫いたが、対応が遅れて馬から叩き落とされた部下や斬りつけられた者も何人かいる。そしてこの乱れを待っていたのだろう……周囲の賊たちが一気に襲いかかってきた。


「怯むな! オルトラス隊の力を見せてやりなさい!」


 おおッと気合の声があがり、騎士達は馬に踏み出させて敵の殺気を跳ね返した。

 遠巻きに宿っていた鳥達が一斉に飛び立つ。リスや兎が散り、鹿や猪が身を硬くする。麗らかな春の山中に、まるで不似合いな激しい剣戟の響きが巻き起こった。

 鼠のような素早い動きで馬を狙ってきた敵の首に、スピナーは電光石火の薙ぎを見舞う。直後に今度は馬上の高さまで跳躍してきた男へと逆の穂先で打突を放ち、胸の中心を穿った。そこへ木々の間から小さな刃が飛来し、咄嗟に敵の骸を盾にして防ぐ。

 下かと思えば上、凌いだかと安心する暇もなく次の攻撃、その一人一人の動きは鋭くて連携力は熟達している。この山賊たちは先刻改めたばかりの認識すら上回って脅威だった。

 訓練を重ねてきた精鋭騎士団といえども苦戦を強いられている。取り囲む環境のせいで馬上の有利があまりない。図らずも、これまでの何度かの討伐部隊が、この賊たちに騎馬隊との闘い方を練磨させてしまったのだろう。


「うわあああああッ―――!」


 裂帛の気合ではなく恐れ戦く悲鳴が飛び込む。顔を向けたスピナーはその先に信じ難い光景を見た。

 ――黒い……狼? いや、あれは豹……!

 仔馬ほどもある巨躯の黒豹が木々の間から風のように飛び出し馬上の騎士へ躍りかかったのだ。落馬した彼はそのまま喉笛を喰い千切られた。四肢が激しく痙攣している。その近くの騎士達は慌てて距離を取った……というより、馬の方が恐怖して退がった。

 騎馬数騎が作るサークルの中でその獣はゆっくりと身を起こす。仕留めた獲物を踏みつけたまま食そうとはしない。ただ殺すことが目的なのだろうか? これではまるで山賊に手を貸しているようではないか。

 猛獣を前にして身動きが取れない数名。その近くにある樹の陰から、すぅっと黒い何かが姿を現した。スピナーは驚きに目を見開く。黒尽くめの装備、漆黒の髪、そして黒曜石のような瞳……昨夜の襲撃者なのは推察できたが、それはどう見ても15、6歳としか思えない少年だった。

 新たに二人の敵が飛び掛かってきたためスピナーは視線を切らざるを得なかったが、あの少年と黒豹がただならぬ存在であることは確信していた。

 特にあの瞳―――。


 黒い風が、騎士団の中で吹き荒れる。

 動き出した少年は他の賊たちを遥かに上回る疾さで鞍上の騎士達に飛びついていく。そしてその一瞬で騎士は首筋や腋の急所を切り裂かれ、心臓を貫かれ、あるいは大量出血、あるいは即死と次々に倒れていった。少年の両手に握られる二振りの短剣は彼の全身と同じように黒塗りで、自分が噴き出させた鮮血の紅すら目につかせない。そして、彼の口元には常に冷たい弧が浮かんでいた。

 馬上の高さに吹くのが彼なら、地上を這うように吹き抜ける黒風はあの豹だ。馬の脚や腹をその鋭い爪や牙で無惨に切り裂いていく。このたかが一人と一頭の暴風によって騎士団の一画が崩壊し始めた。

 一方、スピナーの槍捌きもこの戦場の中で別格の強さを見せていた。

 他の騎士と賊の戦闘は一進一退の接戦を演じていたが、彼だけは殆どの敵を一合のもとに切り裂き、あるいは貫いて捨てる。すでに七、八体の骸がその足元に転がっていた。そして彼は返り血を殆ど浴びていない。


 10分……いや、15分ほどが経過しただろうか。45騎は居たはずのオルトラス隊は、30騎を切るほどにまで減らされていた。

 対する山賊の数も、いつの間にか10人居るかどうかにまで落ちていた。倒した数は20人強というところか……。どうやら総数は30人程度だったようだ。

「敵は残り少ない、殲滅しなさい!」

 趨勢を見極めたスピナーはもう一度部下を鼓舞したあと、愛馬アッシュを動かして先頭から逆流していく。目的は当然、最も被害を被っているあの一画だ。

「副長! その豹を囲んで仕留めるのです! 少年は私が相手をします!」

 了解の声が返る。スピナーは翼のように伸ばした右手に双刃の長槍を構えて中空の少年を睨んだ。それに気付いた彼もこちらを一瞥する。底深い碧眼とぬばたまの瞳が一瞬、戦場の時を止めて紡がれ合った。

 その時、賊の誰かが指笛を吹いた。

 細く高く澄んだ音が山中に響き、そして数名の残党が一斉に背を向けて離脱を試みる。その姿を見た騎士達は馬を駆り立ててその後を追い、一人、また一人と討ち果たしていく。

 退いたのは彼らだけではなかった。少年もまた最後に取りついた騎士の喉元を裂きながら馬の背を蹴り剥がし、ひと際大きな跳躍で土の上に降り立つ。そのまま林中へと疾風の速度で走り出した彼を、さらにもう一陣の黒い風が追従した。

 スピナーの瞳は遠ざかっていく一人と一頭の後姿を捉え続けていた。

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