僕っ娘と僕 後編
僕は彼女の発する言葉に、とてもとても、興味を持ってしまっていた。そして彼女の、淡々とした感情の篭っていない語り口調にも、興味を持たされる。
こんな異常な事を、何故「今日の朝食は何だった?」というどうでも良い質問に応えるかのように、無感情のまま簡単に口に出す事が出来るのだろうか?
そもそも、誘拐してくれる人か、殺してくれる人を待っているとは……一体、何故なんだ?
彼女の異常さに対する恐怖は確かに湧いてきているのだが、それ以上に、彼女の言葉に魅力を感じる。真相と、彼女の考えている事が、知りたい。
もう少しだけ、足を踏み入れよう……と、僕の中の好奇心が、騒ぎ出していた。
「どうして誘拐されたいの?」
「えー? だって僕のお母さんとお父さん、離婚するって言って、毎日ギスギスしててね。それに学校に行っても、皆に無視されちゃうし。もうこんな所、嫌だから。遠くに連れてって欲しいなって」
彼女は僕の顔を横目でチラリと見つめて、話している最中にゆっくりと顔を僕の方へと向けていた。今は僕の目と彼女の目は、見つめ合っている。
彼女の真っ黒に焼けた顔から流れていた汗が、襟元が開けたシャツの胸元に落ち、太陽の光を反射して、キラリと美しく、そして妖艶に見せた。
元気で明るい性格と、幼さと、彼女の異常な言葉が、彼女の魅力を更に引き立たせているよう。まるで堕落した天使が、悪事を覚えるために、外界を彷徨っているような……何故かそんなイメージが、僕の脳裏をよぎる。そしてそのイメージが、僕の胸に黒いモヤモヤを、生み出した。
この黒いモヤモヤの正体を、僕は知っている。この黒いモヤモヤは、決して良くないもの。好奇心に全てを委ねるよう、誘っているもの。
つまり僕は今一人暮らしで、彼女を誘拐する事が出来る。一日くらい、泊めてやってもいいんじゃないか? わざわざ厄介事に足を突っ込み、更に厄介にしてやろう……という、悪魔の囁きそのものだ。
誘拐したら、どうなるんだろう……同意の元だし僕は未成年だし、逮捕はされないだろうが、社会的立場や親友や彼女の反応は、どんなものなんだろう……という、ある種の破滅願望が、生まれてきた。
しかし、そういった欲求を抑えこむ精神力くらい、僕は持っている。黒いモヤモヤを最小限に抑え、ニヤついてしまいそうな表情をこらえ、真剣な表情をなんとか保ったまま、僕は彼女の瞳を見つめ続けた。
「そうなんだ、それで不審者を探してたんだね。だけどニートは? なんでニート?」
「ニートって働いてない人でしょー? 誘拐されたら、ずっと一緒に居れるでしょ? そうすれば、寂しくないでしょ? 一緒に居てくれる人が、欲しいの」
相変わらず淡々と話す彼女のその言葉に、僕の黒いモヤモヤは更に小さくなり、消えてしまいそうになる。そして変わりに、僕の中に同情の念が、湧いてきた。
彼女は、ニートを欲するまでに、追い込まれているのだ。淡々と話す言葉の裏に、彼女は寂しい心を、隠している。
「……そっか、寂しいんだね」
「うんー、寂しいよ。赤ちゃん誘拐しただけなのに、今はひとりぼっち……あ、誘拐って言ってもね、身代金要求とか、そういうんじゃないんだよ。僕は弟が、欲しかったの。ちゃんと育てるつもりだったんだよ」
彼女は前屈み気味だった体をグッと起こして、僕へと少し近づきながら、必死に僕へと自分の心境をアピールしてきた。元々、そういった誤解はしていない。赤ちゃん誘拐については、そんな所だろうなと、思っていた。
「うん、分かってる」
「……ほんと? あー良かった」
ニッコリと笑いながら胸へと手を当てて、彼女は「ふぅー」とため息を付いている。
そんなに誤解を恐れていたのなら、最初からちゃんと説明すればいいのに……なんて思うのだが、それをこの歳の頃に要求するのは、少し酷か。
「それとさ、殺してくれる人を待っているって? なんで、殺して欲しいの?」
僕がそう言うと、彼女は僕の顔をまじまじと見つめ、そしてまた、僕へと近づくように、お尻を寄せてくる。
もうそろそろ、僕と彼女の体は、触れ合ってしまう……この子には、警戒心が無いのか? と、考えたのだが、男に触れられる所か、誘拐される事を望むくらいなのだから、警戒心は無いのだろう。おかしな事を考えてしまった。
いや、おかしな事では無いな。普通の事だ。普通の事を考えたのだが、この子にとっては、おかしな事……なんだか混乱する。
「お兄さん、僕に興味ある?」
……なんだ?
彼女は突然、声を小さくさせ、僕にだけ聞こえる声で、話しだした。
「こんな事聞かされて、それでもまだ聞いてくるのって、僕に興味があるって事?」
彼女は目を潤ませ、僕の顔を、じぃっと、見つめる。
こんな事……と言っているという事は、彼女が話した事は彼女自身、おかしな事だと、分かってはいるようだ……。
「ん……まぁ」
僕は首を一度だけコクンと頷かせて、彼女の瞳から、視線を離す。
彼女の瞳を見ていると、なんだか、吸い込まれてしまいそうな、錯覚を起こしてしまう。
……いや、それだけでは無い。このまま彼女の瞳を見つめていたら、僕は恋人を差し置いて、この子に、惹かれてしまうような……そんなような、気がしてしまっていた。
僕はその思いを振り切るために、視線をずらしていた。これは、この感覚は、やばい……。
「興味あるんだ。ははっ。そうなんだー」
彼女はお尻を更に動かし、僕の作業着を履いた足に、自身の足を、ピトリと付けた。その瞬間、僕の体はビクッと反応を示す。
こんな、七つも八つも年下であろう彼女の、ちょっとしたスキンシップに、僕の体は、僕の意志とは関係なく、動いてしまった……なんて格好わるいんだ……。
「そろそろ、お兄さんいつも居なくなる時間だよね。今日はこれでおしまいにしよ? 殺して欲しい理由とか、赤ちゃんの事とか、もっと聞きたかったら、明日も来て?」
まるで真夏のような太陽が、僕達以外に誰もいない公園の全てを、照らしつける。そんな中、彼女は僕の顔を見つめ、どんどんと僕の顔へと、自分の顔を近づけていた。
彼女が息を吸う音、吐く音。それらが聞こえるほどに、僕の顔に、接近している。それと比例するかのように僕の心臓は、激しく鼓動していくのを感じる。
僕の額から顎へと汗が伝い、流れ落ち、彼女の手に当たった。彼女はそんな事は気にしていないようで、ずっと、ずっと、僕の目を見つめている。そして僕も、彼女の顎からポタポタと流れ落ちる汗の雫を目で追い、その妖艶さに思わず喉をゴクリと鳴らし、乾いてしまっている唇を、舐めた。
この子……なんだ? 男を手玉に取る術を、この年齢で、知っているのか? 一体今まで、何を経験して、何を考えて、生きてきたのだ?
無垢や無邪気。元気や快活。彼女に対して抱いていた、そういったイメージは、もはや無い。この子は……。
この子は雌だ。
「僕、お兄さんみたいに話しやすい人、はじめてだよ。何でも話せちゃう」
彼女は目を細め、僕の体に、自分の体を、押し付けた。僅かな胸の膨らみが、僕の剥き出しの腕へと無遠慮に、当たる。
それと同時に彼女の唇は、僕の唇に、限りなく、近づく。
近づく……。
「やっ……! いや、明日……明日は、ほら、土曜日でさ、仕事休みで……」
僕は思わず、彼女から離れるために、お尻をずらした。
胸に湧き出る黒いモヤモヤはいつの間にか肥大しており、僕を飲み込もうとしていた。それを振り切るために、僕は首を二度、三度と左右に振る。
「現場っ、僕の家から遠くて、車で一時間くらいかかってっ。ここに来る術も無いし……だっ……だから次に来るのは、来週かな」
僕は焦る心に従うように、ベンチから腰を上げた。
「らっ……来週の月曜日には、また、来るから……その時にでも、話してくれれば」
臆病な僕は、彼女の顔を見れない……。
「……来週?」
「うん、来週。来週の月曜日」
「僕、お兄さんの話も聞きたいって思ってたのに」
ドクンと、心臓が高鳴る。
脳がクラクラする。
やばい……やばい……。
恋心が、産まれてしまう……。
家に連れて帰ってしまいたくなる……。
「あっ……あぁ、うん、あの……あの……いずれ、話すよ」
「来週まで、僕が居ればいいね」
……何?
何がだ……?
テンパっている頭では、物事を考えられない……彼女は一体、何を言っているのだ?
「あ……居るでしょ? また、来るから……」
僕はベンチの上に置いてあった自身のバッグを手に持った。
そして彼女の顔付近に視線を移し、小さな声で「じゃあ、またね」と言い、普段よりも少しだけ歩幅を広くして、歩き出した。
……ドキドキが、すごい。久々に、ドキドキした……。
恋人とは子供が産まれて以来、一度も性交をしておらず、僕自身もそういった欲求がほとんど皆無だったというのに、僕はあの子に対して……性欲が湧いていたように、感じる。
醜いな、僕って……。
月曜日の昼休み、僕はやはり現場を抜け出し、公園へと来ていた。
土曜日と日曜日の二日間は、良心と願望との戦いだった。恐れる心に反して、この時を心待ちにしていた自分にも気付いていた。
つまり僕はこの時を、楽しみにしていたのだ。
僕はいつも通り、炎天下に照らされているベンチへと腰をおろし、リュックからコンビニで購入しておいたおにぎりを取り出し、包装をといて口へと運ぶ。
公園には、人っ子ひとり居ない。
それはそうだ。今日は平日の月曜日。その、昼間。
子供なんて、居る筈が無い。
子供なんて、来る筈が無い。
彼女が最後に言った言葉の、意味を知った。
僕っ娘と僕 ナガス @nagasu18
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