僕っ娘と僕
ナガス
僕っ娘と僕 前編
午前中の作業が終わり、昼休憩に入った。僕はいつものように一人現場を離れ、近くにある公園のベンチへと腰をかけ、コンビニで買ってきてあったおにぎりをリュックから取り出し、ひとくちかじる。
十月に入ったというのに、まだ暑い日が続いている。お昼時ともなると太陽が空のど真ん中を陣取っていて、公園のベンチの日陰を奪い取り、ジリジリと僕の皮膚を焦がしにかかる。
土木作業員の仕事を始めてまだ一週間だというのに、僕の肌はすでに真っ黒だ。着用しているシャツの形そのままに焼けてしまっており、昨日の夜、風呂場の鏡でその姿を見た時は、あまりの格好悪さに愕然とした。
しかしこれも、生きていくためには仕方のない事……と、割り切るしかない。僕のように人生をドロップアウトしたような人間は、耐えなければいけない事が多い。薄給とか、早起きとかもその一部。
高校を中退し、今日で丁度一ヶ月が経つ。その事を考えると、憂鬱だ。普段は真面目に授業を受け、成績もなんとか中の中を守っており、素行も決して悪くなかったこの僕が、まさか本当に退学になるなんて、未だに信じられない。
それにも増して僕の気分を憂鬱にさせるのは、退学処分になった事を母親に告げた時、まるで鬼でも宿したかのような表情で僕を睨み、思いきり包丁を投げつけられ、今まで聞いた事が無いほどの大きな声で「出て行けっ!」と怒鳴られた事だ。
まさか本当にその日の内に家から追い出されるとは思ってもみなかった。お陰で散々苦労させられた。
この一ヶ月は、恥と苦労との戦いだった。一人暮らしの親友の家に泊めてもらい、愛する彼女の実家に泊めてもらい、それを交互に繰り返し、その甲斐あってようやく保証人も敷金も要らない、ヨボヨボのおじいちゃんがオーナーをやっている、ボロっちいアパートに部屋を借りる事が出来、住所が出来た事でこうして仕事にもありつく事が出来た。よく頑張ったと、自分を褒めてあげたい。
初任給で、親友と彼女に何かしらのプレゼントを買わなければな……と思い、僕は食べ終わったおにぎりのゴミを、ベンチに隣接されているゴミ箱へと、ポイと投げ入れ、腕組みをして、目をつぶった。
僕が目をつぶった直後に「おぉ。目ぇ瞑った」と、僕の状態を実況する、誰かの声が聞こえてきた。
「んー? あー、薄目開けて僕の事見てるな? わかった、毎日ここに来るのは、僕の事見に来てるんだ! そうでしょ?」
……女子の、声がする。それも、かなり幼い感じの、声。
幼稚園……とは言わないが、中学生にはなっていない感じの、幼さ残る、声色に聞こえる。
僕はゆっくりと目を開き、僕に話しかけていた子の姿を探すように、眼球だけをキョロキョロと動かした。すると二時の方角に、僕のほうへとサンダルのつま先を向けた細い足が、目に入る。
「不審者を見かけたら通報してくださいって言われてるんだけど、お兄さんって不審者?」
……なんだ、その質問は。
僕は顔を上げ、目をしっかりと開き、僕へと話しかけてきていた女の子の顔を、少し睨みを効かせながら見つめた。
「……不審者じゃないよ」
「えーっ? 不審者じゃないの?」
女の子はなにやら残念そうな表情を浮かべ、肩を落として不満そうな声をあげる。まるで僕が不審者であって欲しかったかのようだ。
肌が黒く、短髪で活発的だという印象の彼女の容姿は、見たところ十か十一……といった所だ。平日の昼間から、この娘は何故公園に居るのだ? 学校はどうしたのだ? 僕から言わせれば、この娘のほうがよっぽど不審である。
「じゃあどうして毎日ここにいるの? 学校行かないの?」
この歳の頃は、何に対しても「何で?」で溢れている。僕自身もたいした興味の無い事でも「何で?」と聞かずにはいられなかった事を思い出した。
とは言うものの、答えたくはない。何故そんな僕の確信に迫ったような事を教えなければならないのだ……と考えてしまい、大人気なく少しだけ、苛つきの感情が湧いてくるのを感じる。
「……行きたくても行けないの」
「えーなんでなんで? 学生じゃないのー? 高校生でしょー?」
……僕の容姿は高校生に見えるのか。普段は中学生くらいに見られてしまうのだが、日焼けのせいか、今の僕は適正年齢に見えるらしい。
ちょっと、嬉しい。
「そういうお嬢ちゃんは? なんでここに居るの?」
「僕? 僕はねー」
最初にこの娘の声を聞いた時から違和感を抱いていたのだが、その正体が分かった。この娘、女の子なのに自分の事を「僕」と呼んでいる。
アニメはそんなに見ないが、漫画はよく読んでいて、一昔の漫画にそういった女の子達が描かれていたな。最近見ないな……なんて事を、唇に人差し指を当てながら首を左右に振っているこの子を見て、考えた。
薄汚れたシャツやホットパンツから見える手足の肌は、男子顔負けなほどに焼けていて、この娘が外で遊ぶような活発な娘だという事がわかる。なかなか整った顔立ちをしているし、僕に話しかけてくる社交性も考慮すると、学校では男子に人気がありそうだ。
「んーとねー、僕は学校に行きたくなくてねー」
「なんかあったの?」
僕が何の気無しにそう聞くと、少女は首を振る仕草をやめ、上に向けていた視線を僕へと向けてきた。そして一瞬で表情を満面の笑みにして、僕のほうへと掛けより、僕の隣へと元気よく腰を下ろす。
「お兄さん毎日来てるけど、ニート?」
……僕の質問を無視して、なんて事を聞いてくるんだ。
「ニートじゃないよ。ちゃんと働いてる」
「じゃあなんで? なんでここに毎日来てるの?」
彼女はどうしても、その質問に答えて欲しいらしい。瞳をキラキラと輝かせて、僕の目を見つめてくる。
……別に、この娘に話したからって、どうなる訳でも無い。世間話程度の浅い部分までなら、話してみよう。
「僕はねぇ……職場の仲間と上手く行ってなくてね。職場の人達、全員僕の親より年上で、どう接していいか分からないんだよ」
「そうなのー?」
「うん。だから昼休みになるとこうして、現場の近くの公園で時間潰してるの」
「えーでもそんな事してたら、余計に上手くいかなくならない?」
……中々、痛い所を突いてくるな。
それは確かに、その通り。こんな事を続けていたら居心地が悪くなる一方である。
しかし僕は、親友と親友の彼女と、僕の彼女以外の人間と、どうコミュニケーションを取ればいいのかが、分からない。僕は、知らない人間を信用出来ないのだ。裏で何か良くない事を考えているんじゃないか。僕を嫌っているんじゃないか。と、直ぐに疑ってしまう。
初めてこの職場で仕事をした時に、職場の仲間は僕を無視するかのように黙々と仕事の準備をし、仕事が始まっても、何一つ僕に指示を与えてくれなかった事も、この公園に来る要因のひとつ。会社の事務のオバちゃんから「皆気難しいからねー」とフォローされてはいたのだが……居心地が悪い。
「……まぁね。でもなんだろ、別にいいんだよ、これで」
「ふーん……不審者でもニートでも無いんだ。そっか」
彼女は途端に元気を無くし、僕から視線を外して地面を見つめた。
不審者かニートで、あって欲しかったのだろうか……何故落胆しているのかが、わからない。
「……君は? どうして学校行きたくないの?」
僕は先程答えてもらえなかった質問を、もう一度ぶつけてみる。
すると彼女はまるで興味を無くしたモノを見つめるかのような瞳で僕の顔を見て「んー」という声を漏らした。
なんなのだろう? 彼女は一体、何を考えているのか。
「学校ねぇー……んー、行っても皆、変な目で見てくるからねー」
……イジメ、だろうか?
瞬時にその言葉が頭に浮かんで、その言葉が喉から溢れ出ようとしてくるが、僕はかろうじてその言葉を飲み込んだ。
そんな事、聞いて良い筈が無いし、答えてくれる筈も無い。無駄に彼女を傷付けるくらいなら、このまま黙っていよう。
「そうなんだ」
「そうなの。僕がねー、赤ちゃん誘拐してからね」
……赤ちゃん誘拐……?
なんだ、それは? なんの話をしているんだ、この娘は?
僕の体に
「……誘拐?」
「ん? うんー……この公園で見つけてね、裏山の秘密基地に連れてったの。それがバレてから、皆が僕の事、変な目で見るようになってね」
……彼女は特に表情を変えず、地面を見つめたまま淡々と語り始めた。
犯罪自慢するでも無く、悪びれてるでも無く。この子はさも当たり前のように、話している。
この娘は一体……なんなのだろう……赤ちゃん、どうなったんだ? どうしたんだ?
「それでねー、そのせいでお父さんとお母さんの仲が悪くなってねー。離婚するんだってー」
「……そうなんだ」
「うん。それでねー僕、学校休んで、ここで待ってるの」
「何を?」
「僕を誘拐してくれる人か、殺してくれる人」
彼女は、未だ地面を見つめ続けている。
その時の表情は、笑っているでも無く、悲しんでいるでも無く。ただ、地面を見つめている。
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