第5話
うちの妻は吸血鬼である。ある日とつぜん、狼に変身したり、因縁めいたヴァンパイアハンターに襲われることは、たぶんない。しかし吸血鬼というからには血を吸う。
三日に一度、夫の首筋に牙を突き立てて、ちゅーっと吸い上げる。しかもその際に〝一味加えようとする〟のが厄介だ。本人曰く、夫婦生活を飽きさせず、末永く続けていくための秘策らしい。
正直、僕のSAN値はゴリゴリ減って、最近は悟りの領域に達しつつある。先週はとうとう、味付け海苔を乗せられて、パリパリとした楽しい食感と共に、皮膚を食い破られ吸血された。
世間から見れば、ただのアブノーマルな変態的プレイだが、世の中の夫婦には多かれ少なかれ、そういった特殊性癖を秘めているので特に問題はないだろう。ということにしてください。お願いします。
ひとまず、家の雑事をこなすのは僕の領分になる。午後七時を回れば、妻が勤め先の幼稚園から帰ってくるので、それまでに夕飯の支度をすませておく必要があった。
「さて、今夜をなにを作ろうか」
冷蔵庫を開ける。中には多少の野菜とハム、冷凍したごはんが残っているぐらいで、後はすっかり二人で食べ尽してしまった。後はバターやジャムといった調味料の一式だけが残る。
「明日の朝はサンドイッチにでもするとして、とりあえず夕飯の材料を買いにいかないとダメだな」
頭のメモに『食パンその他』と書き込んだ。それからもう一度中を見回すと、最上段の棚にプラスチックのタッパーが見つかった。
「む、これはなにを……」
入れているのだったかと寄せてみる。蓋を開けると、中にはスーパーに並ぶ弁当や、お惣菜などについてくる、細切れサイズの醤油、からし、ワサビ、紅しょうがなんかが詰め込まれていた。確かにご家庭によれば、こういった物を小分けにして、貯めておきたがる妻はいよう。うちの実家の母親なんかもその手のタイプだった。が、しかし、
『ダンナ君、専用』
タッパーの側面に油性のマジックで記されていた。妻直筆のメッセージが意味するところは、一般的なご家庭が意味するそれとは違うのであろう。
「……むこう一ヶ月分の備えはあるといった感じか……」
そういえば以前、妻がこの場所に立って「今日は何味にしようかなー」とか言っていた気がする。
他所のご家庭かすれば「ありえない」事かもしれないが、我が家では、妻が夫の血を啜り。その際に一品添えるのが常識となってしまっている。
要は、他人がなんと思おうが、自分たちの生活が継続できたなら、それで良いわけだ。
夫婦生活を継続させるのに、必要なものはただ一点。
「――うむ、見なかったことにしよう」
余計な口出しをせず、過度な干渉をしないこと。その一点に限る。僕はタッパーを元の場所に戻し、冷蔵庫の扉を閉めてから、幼稚園で働く彼女にメールを送った。「今から買い物に行くけれど、夕飯のリクエストはありますか」と。応えはすぐにやってきた。
「ハンバーグ♪」
今宵もまた、僕の首はケチャップに染められるな……。
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