第4話
先日、妻とケンカした。その原因は、僕の血を吸う際に、またしても一味添えようとしていたのが理由である。
「あー、ダメだこれ。ダンナ君に紅しょうがは合わないなー」
「人の首の余計なものを添えておいて、文句を言うとは何事かね……」
ハッキリ言って、自分の首筋に調味料を振りかけれるのは、生理的にぞわぞわする。
僕はけっしてマゾヒストではない。妻の変態的とも呼べる吸血行為には、夫婦間の仲を考慮して、寛大な気持ちで一品添えることを許しているわけだが、あろうことか、
「まずーい、あわなーい」
この言い草である。普段は温厚な僕であるが、さすがに怒った。そして翌日以降、妻が「血を吸わせてよー」と言い出すまで、毎日首を覆うタートルネックシャツを着た。世間は夏だというのにだ。
「なによ……そんなに血を吸われるのが嫌なわけ? っていうか暑くないの?」
「暑いよ。だが、もう二度と自分の血をマズイだの言われるのはごめんだ。文句を言わないなら吸いたまえ。今なら特別に紅しょうがをのせるのも許してやろう」
「わ、私だってねぇ、べつに、ダンナ君以外の血を吸ったっていいんだからねっ!」
「だったら今すぐに通りすがりの人間に声をかければいいだろう。首元に醤油をかけてから、血を吸っていいですかと聞きたまえと」
「バカっ、ダンナ君のバカーッ!」
妻は怒りに任せ、こいくち醤油のペットボトルを投擲した。追撃に塩とコショウが舞い上がり、さらにはマヨネーズまでもが乱舞して、食卓の席周辺はひどい有様となっていた。かくして冷戦が始まったのである。
「……」
「……」
本日も妻とは一切の口を効いてない。たがいに目も合わせないまま、黙々と箸だけを動かして食事する。夕飯のそうめんを吸いながら、机の中央の大皿に、大量に湯がいたそうめんを乗せ、周辺にはネギだのゴマだの一味だのといった調味料もとい薬味が並び、めんつゆを入れた器を持って、のど越しの良い麺をつるつると啜った。
「……」
「……」
ちなみに、この夕飯の支度を整えたのは、僕の方である。
「……ねぇ、ダンナ君」
「なにかね」
「その服、あんまり似合ってないわね。身体鍛えたら?」
「む……」
そうめんを啜りながら、数日の沈黙をやぶり、妻が声をかけてくる。干ばつした大地に水滴を穿つようにして、ぽつぽつと言葉を復活させる。
僕はタンクトップシャツを着ていた。血を吸ってもいいんだよ。という、無言のアピールである。しかしいまだに妻の機嫌は悪かった。
「ダンナ君ってさぁ、基本的に見た目貧相だしぃ、タートルネックの方が似合ってたんじゃないの~?」
この妻、煽りよる。僕は黙って追加の麺を食べた。
「でもそんなに仲直りしたいならぁ。首筋にめんつゆぶっかけて、血を啜ってあげてもいいのよ?」
「君の好きにしたまえよ」
一度こっちで折れると決めたからには、なにを言われても了解するだけである。
「もっと怒ってもいいのに。……ごめんなさい」
「もう十分に腹を立てたから、満足したよ」
つるつると麺をすする。代わり映えのない日常に戻っていく。すると妻は、ほんの少し、はにかんだ様に笑った。
「じゃ、めんつゆ、首にぶっかけていい?」
「……」
黙ってうなずいた。こうして今日も、耐える日々は続いていくのであった。
……めでたし、めでたし……。
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