第3話

 うちの妻は吸血鬼である。日光を浴びても灰にはならず、先週の日曜も、勤め先の幼稚園の運動会で完全燃焼してきたそうだ。


「もーダメ、喉がカラッカラだし、肌は焼けるし大変だったのー」

「ご苦労様だったね」


 その程度で済むんだなとは口にしなかった。他にも吸血鬼らしいい要素はあまりない妻だが、種族としてのプライドはあるらしく、とりあえず血は吸う。


「ダンナ君、今日はコレのせてみよっか」


 妻は子供みたいな純粋無垢な笑顔で言ってきた。


「なんだいそれは」

「大根おろしだよー」


 妻は最近、僕の首筋に一味加えるのが趣味になっている。以前に「醤油を垂らして血を吸うプレイ」を実践してからというもの、僕の首筋には様々な調味料が添えられてきた。

 そもそも「まぁ一度ぐらいなら……」とアバウトに了承してしまったのがいけない。僕の悪い癖である。結婚する前も吸血鬼だという事はしっていたが「死にはしないけど吸わせて」と言われた時に「まぁ血を吸うぐらいなら……」と事態を軽く見積もった結果が、今日の大根おろしに繋がっているのだ。


「大根おろしは、よしてくれ」

「なんでー? 七味唐辛子と、ねりわさびは許してくれたのにー」

「もう、そういうのもやめよう。やめてください」

「えー」


 夫婦ならば、他の人には言えないプレイをしているのも世の常だと言えよう。だがこの場合、プレイを要求される僕の方が〝なにも楽しくない〟のが大問題である。


「君。これからはまた、普通に血を吸いなさい」

「そんなぁ、つまんないよー」


 大根おろしを乗せた小皿を食卓に置いて、不服そうに妻が述べる。


「ダンナ君のことが好きだから。少しでも美味しく血を頂きたいだけなのに」

「この前は味に飽きた、とか言ってたような」

「見慣れた顔も三度まで、とか言うじゃない?」

「つまりもう、僕の味にかなり飽きているということだね」


 由々しき事態であった。このままでは夫婦の関係に、亀裂が生じてしまうのは時間の問題であろう。とはいえ妻の吸血グルメを看過していれば、いつか自分の肩に、豪華スイーツができてしまいそうで怖い。


「ダンナ君の血、美味しく飲みたいなー。大根おろし試してみたいなー」

「……ならば、一つ提案がある」

「なになに?」

「僕の肩に一味添えたいと言うならば、その分、こちらの要求ものんでもらおうじゃないか」

「なるほどね。いいよ。できる妻は、ダンナ君の要求に応えようじゃないですか」

「その心意気や良し」


 妻は素直な吸血鬼であった。


「それで、ダンナ君はなにをお望み?」

「ん、そうだな……」


 しかし言ってみたは良いが、なにも考えてはいなかった。考える。要求、要望、やって欲しいこと。普段は言えないような。


 ――キュピン。その時、天啓がひらめく。ミニスカ――


「あ、先に言っとくけど、えっちぃのはダメだよ?」

「何故かね、不公平ではないかね」


 脳内案を即座に却下され、僕は少々憤った。


「自分の夫に大根おろしをかけて、舐め舐めするプレイは強行するのに、僕の方は一切ダメとは、不公平じゃないかねっ」

「むっ……私の行為はべつに、そんなに変態的じゃないし。ちゃんと愛があるわけだし」

「変態はみんな、そういうのだよ……」

「変態じゃないし! とにかくえっちなのはダメ! 他の案だしてね」

「仕方あるまい……」 


 残念だが考え直す。


 僕の妻は明るく、側にいるだけで不思議と心が温かくなるような人だ。ただ少々風変りで飽き性なところがあり、あえて欠点を上げるなら、血を吸う際に、肩に醤油をかけたり、ねりわさびを添えたりするところだろう。それ以外は不服はない。つまり、


「僕の肩に一品添えるのを、やめてほしい」

「だから、それを了解するための条件なんでしょ」

「……そうだった」


 両腕を組んで考え込む。うーむ。


「では、もし僕の血に飽きても、他の者の血を吸わないと約束してほしい」

「……ダンナ君、私のこと好きすぎじゃない?」

「否定はしない」


 口にすると、妻はいつもの雰囲気と変わり、くすくすと声をひそめて笑った。


「仕方ないなー、今夜はそのまま頂いてあげよう」


 そう言って、妻は背後にしのびよった。こちらの上着を少しはだけさせ、もう一度、ささやくように謡う。


「いただきまーす」


 そうして今夜もまた、甘くてにぶい感触がやってきた。

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