第10話「やがてすべての解決編」

「さて、と。そろそろ会社に戻ろうか。はい撤収~」


 ベルさんの呼吸の乱れが収まるのを待ってから、社長はぱんぱんと手を打ち鳴らす。当然ながら、その右目にはガーゼを貼っている。うっかりはがれたりしませんよね。


 路地裏は、災害の跡みたいな有様だった。

 建設途中のビルは壊れ、べろんとめくれたブルーシートや、地面に大量に散らばっている鉄パイプや鉄骨が痛々しい。

 満月の光を浴びてぼんやりと輝くアンサーの破片も始末に負えない。


「あ、ベル。悪いけどアンサーの後処理を頼むよ」


「かしこまりました」


 ベルさんが、メイド服のスカートの端をつまみ、お姫様の挨拶を思わせるしぐさでひざを曲げる。

 するとどうだろう。地面に触れた瞬間にスカートは放射状に伸び広がり、地を覆い尽くした。

 そして、上に載っているアンサーのがれきが、闇色の円の中に沈み込んでいく。ついでに、ベルさんが結界を張る際に地面に刺していた苦無も。

 すべての怪人の末路を呑み込んだあと、闇はベルさんを中心に縮んでいき、元のスカートの長さへと戻った。


 後始末、だろうか。回収してどうするんだろうと思っていると、社長のつぶやきが聞こえてきた。


「ふふ、これだけあれば、会社を四階建てに改築できるかも……」


 え。

 DREDドレッドの社屋って、まさかそういうこと……?

 いや、これ以上深く考えるのはやめよう。


「社長。工事現場の方はどうするんですか?」


「これを使うのさ」


 ぴっと社長が懐から取り出したのは、絆券きずけんだった。それを一番近くにあった鉄骨に貼ると、磁力で引き寄せられていくように鉄骨や鉄パイプや足場などが続々と浮かび、ビルのあったところへ集まっていった。

 鉄のパズルが組み合わさり、最後にこれまた飛んできたブルーシートでのラッピングが終わると、アンサーが壊す前の、建設途中のビルが復元された。


「これは……?」


 唖然とする俺に社長はおっしゃる。


「絆券を使って、『今日、ここにアンサーが現れなかったかもしれない』という可能性でこの場を上書きしたんだよ。これで万事解決元通り!」


 そう得意げに言ったあと、でも、と彼女は唇をとがらせた。


「今回は赤字っぽいからあんまり使いたくなかったんだけどねえ」


 ちょっぴり悔しそうでもあった。

 経営者の少女は表情も忙しい。


 けどなるほど。絆券にはこういう使い方もあるのか。

 ん? でも――


「もし、何かのはずみであの絆券がはがれたら?」


「……そうならないといいよね」


「つまりまた壊れるってことじゃないですか!」


 アフターケアが不安極まりない!


「それはさておき」


 さておくな。


「みんな、帰ろっか。DREDへ」


 月明かりに照らされた社長の表情は、いろんなつっこみどころがすべてささいに思えるほどに、まっすぐな笑顔だった。




 時刻は夜の九時。蛍光灯を点けたDRED社内の三階、例の社長フロアに俺たちはいた。


「で、どうしてくれようかな」


 俺と社長は隣同士に椅子に腰かけ、ベルさんは社長の後ろに控え、課長はドアの横の壁に背を預けている。

 机を挟んで俺たちの対面の椅子には、カシマレイコが寝かされていた。

 うっすらと、その体の向こうにある高価なソファーの皮が透けて見える。今にも消えてしまいそうだった。


絆主きずぬしは放っておけないけど、こんな調子じゃ可能性を吸い取るどころじゃないしなあ」


 社長は腕を組む。


「あのっ、」


 俺は、頭の中に浮かんだあるアイデアを口に出す。


「絆券のやり取りって、一方通行なんですか?」


 社長が目を瞬かせた。


「この会社からカシマさんに可能性の力を逆流させて、癒すことはできませんか?」


 社長も、課長も、ベルさんも。みんなが驚いている様子が見てとれた。


「できなくはないけど、きみを利用した女だよ?」


「はい」


 それがどうした。


「人を襲う都市伝説だよ?」


「それは今関係ありません」


 できるのか。やってくれるのか。それだけを確認するように、俺はじっと社長の左目を見つめる。


「……そうかい」


 社長は腰を上げて、目の前の机に手を当てる。机が淡く光ったかと思うと、その光は床を伝ってソファーへ、さらにそこに寝ているカシマさんの体へと流れ込んでいく。

 光が止むと、机は蜃気楼のようにうっすらとぼやけてなくなり、カシマさんの体に色が戻った。

 それまで満身創痍だったカシマさんが上体を起こす。


「私は……?」


勇馬ゆうまに感謝することだね。このだだ甘いアルバイトくんに」


 社長はカシマさんの方を見ながら、親指で俺を指す。


「机一台分の存在の可能性をきみに移したんだ。おかげでコーヒーの置き所がなくなったよ」


「それぐらい、買い直せばいいじゃないすか!」


 意外とせこいなこの社長!


「なぜ、私を助けましたの?」


 カシマさんに睨まれた。


「理由はいりますか?」


 彼女の目つきが一層険しくなる。せっかくの美人も形無しだ。

 観念して、俺は考えていることをそのまま言うことにした。


「だって、化けて出られたらいやですもん」


 は、とカシマさんの口から吐息が漏れた。


「あのまま消えたら絶対、強い未練を残して恨みながらこの世を去ったでしょ。俺は背後霊にとり憑かれてましたけど、めちゃくちゃ不便で困りましたよ。もう、あんな幽霊が生み出されるのはまっぴらごめんです」


 しかも、自分の目の前で亡霊になるかもしれないというのなら、なおさら止めたい。

 悪いのは全部アンサーのやつだけど、間近にいた俺の方を逆恨みすることだって充分ありえるのだから。


「……あまり納得しづらい理由ですわね。都市伝説が幽霊になるなんて、馬鹿馬鹿しい」


 ふらりと立ち上がり、思いのほかしっかりとした足取りで社長フロアを去ろうとするカシマさん。

 彼女がドアに手をかけたところで、横の壁にもたれかかっていた課長が口を開く。


「その馬鹿馬鹿しいことが起こりうるのも、この会社ならではの売りではあるがな」


「……とんでもない会社に関わってしまいましたわ」


 言って、カシマさんは外に出る。

 直後、思い出したようにドアの向こうから顔を覗かせ、


「言っておきますが、私が恨んでいるのはアンサーであって、間違ってもあなたではありませんのよ」


 そう俺に向けて言い残し、今度こそ彼女は出て行った。

 階段を下りる足音が遠ざかっていく。


「カシマさんは、これからも人を襲うんでしょうか」


 意見を仰ぐと、ベルさんのポケットから出したのだろう、ちびちびと缶コーヒーを飲みながら社長は返した。


「まあ、ずっと求めていた足を手に入れたんだ。満足して、もう人を襲うことはなくなるんじゃないかな」


「じゃあ、普通に人間として生きていくんですかね」


 缶コーヒーをぐびりと飲み干し、社長はさっきまで机のあった床にたんっと缶を置く。


「さあね。答えアンサーは、これから彼女自身で探していくものさ。決して、無理やり呼び出すものじゃないんだよ」


 それは、今回の騒動の締めくくりにふさわしい文句だなと思った。


 そういえば、と俺は思い出す。

 まだ解決していないことがあった。


「結局、アンサーが現れる前に俺に電話で警告してくれたのって、誰だったんです?」


 アンサーが答えかけたが、俺のお守りが九十九神化するというとんでも事態で結局うやむやになってしまった。


「ああ、それはね」


 床に置かれたコーヒーの缶を無言で片付けるベルさんを脇に、社長は俺の目を見て笑う。


「きみもよおく知っているやつだよ」


 はて、心当たりがまるでない。

 不思議がる俺の横に絹越きぬごし課長がやってきて、トレンチコートのポケットから何かを取り出した。


「まだ覚えているかね? 少年。こいつはずっと少年のことを見守っていたぞ」


 課長の手の中にあったのは、ぼろぼろの藁人形だった。藁はちぎれ、紐もところどころほどけ、手足が途中でぶっつりと切れている。

 子どもの俺が、「かっこ悪いから」というだけの理由であっさり捨てた人形が、今になって戻ってきた。


「この藁人形も九十九神つくもがみと化していたのだよ。釘よりも少しだけ早めにな」


 俺は思わず藁人形を手に取った。

 こんなになってまで、俺を見守ってくれていたのか。俺はお前を、自分勝手に捨てたってのに。


「カシマレイコの件を調べようとした私と風月ふうげつの前に、こいつが現れたのさ。その際に、勇馬の持っている釘も九十九神になる頃だと教えてもらったよ」


 それで、俺が人質にされていたとき、社長と課長は余裕を見せたのか。あの釘が、じきに九十九神になって俺を助けてくれるとわかっていたから。


「でも、真っ先に藁人形くんが伝えようとしたのは、勇馬のことだった。きみが危険にさらされそうだから、助けてやってほしいとね」


「その節はお世話になりました」


 藁人形はそう言って、社長にぺこりとお辞儀をした。


「しゃべった!?」


 目を丸くする俺に、社長はにやにやと笑いかける。


「だって、電話かけてきたじゃん」


「それはそうですけど……」


 だからといって急に受け入れられるかどうかはまた別の話だ。

 ちなみに釘の方は、九十九神になってまだ日が浅いため、しゃべることまではできないらしい。

 俺は藁人形に気後れしながらも、話しかけた。


「怒って、ないのか?」


「何をです?」


「お前を捨てたこと」


 ああ、と藁人形は短い手を打った。


「僕の中はすでにあなたのお祖父さんの思いが詰まっていっぱいでしたから。恨みの入る余地なんてありませんでしたよ」


 祖父ちゃんの思い。それは――


「孫のあなたを見守ってやってくれ、という思いしか、僕にはありません。そして、それを叶えるのが物である僕の役目です」


 えへへと、短い手で頭をかく藁人形。

 その様は、人間様の俺なんかより、よっぽど立派だった。


「でも、もう限界みたいですね」


 言うが早いか、藁人形の体がぼろぼろと崩れていく。


「そんな!」


 まだ俺は全部伝えきれていない。感謝も、謝罪も、藁人形を通して伝わる祖父ちゃんの思いへの返事も。

 こんな形で、別れてやるものか。


「社長!」


 俺は藁にすがりながら声を張り上げた。


「お願いがあります」

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