第9話「ファイナルアンサー」

 九十九年の時を経た器物は、意思を持ち、魂の宿った九十九神つくもがみとなる。らしい。

 おとぎ話程度にしか認識していなかったが、社長らといるとなんでもありえそうな気がしてくるから困る。


「ただ九十九年経っただけで、やすやすと九十九神になられてたまるものかあ!」


 驚愕に一つしかない目を見開くアンサーは、かたくなに現実を受け入れようとしない。

 そこで追い打ちをかけたのは、まさかの絹越きぬごし課長だった。


「もちろん、年月を重ねただけですべての物が九十九神になるとは限らない。しかし拙者は今日、少年の釘に触れたのだよ」


 確かに今日、初めてDREDで課長に出会ったとき、課長は俺のお守りを体の一部で巻き取って触れていた。


「もともと九十九神になるまであともうひと押し、という状態だった。そこへ拙者が干渉したことで共鳴が起こり、感化し、今こうして九十九神として目覚めたというわけだ。そうでなくとも、十二分に思いが込められていたので、少し時期が早まっただけだろうがな」


 込められていた思い。

 この釘をくれたときの祖父ちゃんの言葉を、今になってはっきりと思い出した。





 ――これはな、お守りだ。肌身離さず持っていれば、きっとこいつがお前を守ってくれる。


 そう言って、祖父ちゃんは俺に釘とぼろぼろの人形を渡す。

 子どもの頃の俺の目には釘がピストルみたいな、本来子どもは手にしちゃいけない武器のように映って、喜んで受け取った。

 でも、もう一つのものは俺にとってはぼろい人形でしかなく、俺は躊躇なく捨てた。

 それを見て、祖父ちゃんは「そうか」と言った。


 ――そうだよなあ、そいつはお前を守ってくれるだろうが、しょせん物は物でしかない。本当につらいとき、いやなことにぶち当たったときは、こんなものに守ってもらうばかりじゃなくて、自分でぶちかましてやれ。


 そのときの祖父ちゃんの顔は、太陽に負けず、にかっと輝いていた。





「その釘は丑の刻参りの五寸釘だ。なんでそんなものをお守りにしたのか疑問だったんだけど、目には目を、の理屈で勇馬ゆうまに降りかかる呪いを跳ね返そうとしたんだろうよ」


 藁人形がないから、呪詛返じゅそがえしとしては不完全だけどね。と社長は付け足す。


「呪いの道具に祈りを込めるなんて、なかなかいかしたお祖父さんだね」


 祖父ちゃんを褒められ、くすぐったい気持ちになる。

 実は俺も、自慢の祖父ちゃんだと思ってますよ。


「こんなタイミングで都合よく九十九神化するなど、非常識だ!」


 右手で顔をかきむしり、荒れ狂うアンサー。手に開いた穴から、血走った目が覗く。


「非常識結構! お前も私らも、そうだろうが」


 つづり社長と、その両隣に絹越課長とベルさんが俺を守るように前に並び立つ。


風月ふうげつとベルは勇馬とカシマレイコを守れ!」


 社長命令に応じて、絹越課長は俺の隣に、ベルさんは倒れているカシマさんに近寄る。


「タイマン勝負といこうじゃないか、大怪人アンサー。都市伝説の意地を見せてみろ」


 課長を護衛に回らせるということは、武器を手放すことを意味する。社長一人だけで、大丈夫だろうか。

 アンサーもそれに感づいたのだろう、頭の指をぱちんと鳴らし、愉快そうに言う。


一反木綿いったんもめんの力を放棄して我と戦うか? それは間違いだなあ」


 笑い声を上げさせる前に社長は跳躍し、アンサーの胸の正面まで飛んでいた。十メートル以上もある高さをひとっとびだ。


「せりゃあ――――っ!」


 その勢いのまま、片足で跳び蹴りを放つ。


「ごぁっ!」


 二十メートル近くあるアンサーの体が、その一撃だけで大きくのけぞった。

 両手をだらんと前の方へ置き去りにして、背中から後ろに押し出されていくアンサー。

 その威力は、背後にあった見えない壁に衝突することでようやく収まった。


 おそらくは、ベルさんの張った結界だろう。

 地味だけど、見えないところでしっかりと役目を果たしている彼女は、実は一番の功労者に思えた。


 というか、社長が強すぎる。絹越課長のサポートがないのに、アンサーを圧倒している。


「私が風月をまとうのは、ボクサーのグローブみたいなもんだよ。あまり素手でやりすぎると、体を痛めてしまうし筋肉痛にもなる」


「と、いうことは」


 俺はおずおずと尋ねた。


「しわ寄せが全部ベルにいく」


 ついさっきまでカシマさんの横に控えていたベルさんが、今では二人仲良くぶっ倒れている。


 おい、重傷者が増えてるじゃないか!


 ただ、俺が強く言えた立場ではない。

 課長を俺の守りに回してくれているからこそ、このざまだ。

 給料が入ったら、いつか必ずベルさんにとびっきりのレバーとスタミナ料理をご馳走しよう。


「だから、ベルのためにも手っ取り早くけりをつけさせてもらうよ」


 社長はこちらに背を向けたまま、右目に貼ってあるガーゼをべりりとはがした。


「しまった!」


 その目を見たアンサーの手足に、黒い蛇に似たガスのようなものが巻き付く。その蛇は社長の視線が実体化したものなのだと、理性ではなく本能で理解できた。

 アンサーの体が、手足の末端からひび割れた石になっていく。


「知っているぞ! ゴーゴンの蛇眼じゃがんだろう! だから我はこうするのだ!」


 全身が石化する前に、アンサーは頭部の手を握り込み、目を守る。巨大な瞳を隠したとたんに石化現象は止み、せいぜいアンサーの手足の指先が石になっただけで終わった。


「ああ知っているとも! お前は人間とゴーゴンの間に生まれたゴーゴン・ハーフだそうだな。その右目だけに石化の魔力が宿っているらしいが、目を見なければ済むことよ!」


 伊達に全知の怪人を名乗っていない。あっさりと社長の正体すらも看破しやがった。


「ちぇー、ばれてたかー」


 さほど悔しくなさそうに言いつつ、社長は右目にガーゼを貼り直す。


「でもさっ、目が見えていない状態でどこまで戦えるのかな!?」


 社長の言う通りだ。相手の視覚を奪えるだけでも、存分にアドバンテージたりえる。

 すかさず社長は前蹴りを放つ。しかしアンサーは、見えていないはずのその攻撃を、いともたやすく腕でいなし、威力を殺した。


「忘れたのか。我は全知の存在。どこから攻撃がくるか、どう動けば攻撃をそらせるか、すべて知ることができるのだぞ」


 頭を握り拳にしているせいでまぬけっぽく見えるが、なんつー反則的な能力だよ。


「これならどうだっ! このっ! たあっ!」


 左ストレート。回し蹴り。アッパーカット。

 次々と繰り出される社長の猛攻を、全知の怪人は手で斜めに受け流し、ときにはかわし、すべてさばいていく。


 正直、社長が負けるとは思わない。

 だけど、このままじゃじり貧だ。

 ただいたずらに、ベルさんの体力が奪われていくだけになってしまう。

 誰よりもそのことをわかっている社長の顔に、焦りが滲み出る。


 何か、あと一押しはないのか。

 この状況を打ち破る、きっかけは……!


「少年、ギャンブルは好きかね?」


 隣に立っている絹越課長が、突然しわがれた声を発した。

 質問の意図を汲み取れずぽかんとする俺に、課長は続けて言う。


「九十九神になりたてのその釘を核に、拙者が少年の武器となろう。拙者も布に魂が宿っただけの九十九神。相性は悪くはないはずだ」


 だが――と、そこでいったん言葉が切られる。


「武器だけが戦うことはできん。使い手が必要だ。戦地の中に身を置く、使い手が――」


 つまり課長はこう言っているのだ。

 この戦局を覆すために、危険を承知で戦う覚悟はあるか、と。

 俺の目に、届かないとわかっていても、がむしゃらに攻め続ける社長の姿が映る。

 答えは、そこにあった。


「社長や同僚が必死に頑張ってんのに、バイトが何もしないわけにはいかんでしょうが!」


 俺の意気込みを聞き届け、課長はうなずく。


「釘を構えたまえ、少年。どんなに不格好でも気にはするな」


 かっこよさで勝てれば、苦労しないからな。


 課長のその言葉は、もっともだと思った。


 五寸釘を両手で剣のように構える。尺が足りていないが、それは課長が巻き付いていくことで補ってくれる。

 五寸釘を中心に白く細長い布が渦巻く。そうして俺の手に出来上がった武器は、ぐるぐる包帯を巻いたようなバットだった。

 しかも、ところどころから布で再現した五寸釘が生えているというオプション付き。


「……釘バットすか」


「不服かね?」


「滅相もない」


 俺たちは笑い合う。九十九釘バットの長さは三メートルを超え、太さは最大で直径三十センチにもなる。だというのに、重さは普通のバットと変わらない。

 これであのふざけた怪人を叩きのめせたら、どんなにすかっとすることだろう。


「間合いの心配も不要だ。拙者に触れていれば、空を地面のように駆けることができる」


 そういえば、一反木綿いったんもめんの本領は自在に空を飛ぶことだったな。


「臆することはない。一太刀浴びせてやれ、千門ちかど勇馬ゆうま!」


「それはもう、遠慮なく!」


 空気を踏みしめ、空を走る。


「社長、失礼します!」


 渾身のパンチをあしらわれている社長の背を飛び越し、アンサーの頭の真ん前へ。

 社長が攻撃し続けていてくれるおかげでやつは両手がふさがっていて、肝心の頭は無防備だ!


「馬鹿な! お前は守られているだけのはずだ! ただの人間は、何もできないに決まっているのだ!」


 頭部を握り込み、こそこそ弱点を隠したまま息を呑むアンサーを目にすると、腕に込めている力が増した。釘バットを上段に振りかぶる。


 思えば、俺がバイトの面接にことごとく落ちたことから、全部こいつのせいだ。


「勇馬! その指を開かせたら特別ボーナスだ! いっけーーー!」


 下からかけられる社長の声と、記憶の中の祖父ちゃんの声が重なる。


 ――本当につらいとき、いやなことにぶち当たったときは、こんなものに守ってもらうばかりじゃなくて、自分でぶちかましてやれ。


 ああ、ぶちかましてやるとも!


「貧乏学生の恨み、思い知れーーーーーっ!」


 思いのたけをひとかけらも残さず、俺は叫びながら全力で釘バットを振り下ろした。

 目をガードしていた指が釘バットに砕かれ、ちぎれて宙を舞う。

 ご自慢の指はすべてもげ、巨大な一つ目がむき出しだ!


「おいしいところちょっと失礼」


 アンサーの目と俺の間に社長が素早く割り込む。確認できる社長の後ろ姿の中で、その右手にガーゼが握られているのがしっかり見えた。

 要するに、今の社長の右目は――


「ぐあああああああ!」


 全身をガス状の蛇に締め付けられたアンサーが絶叫する。社長の石化の右目が発動しているんだ。意識がありながら石になっていくというのは、さぞかし恐怖だろう。


「知らない……! こんな結末など、知りたくはなかった……!」


 それを断末魔に、全知の大怪人はただのでかい石像へとなり果てた。

 全身が石と化したアンサーは、がらがらと音を立てて崩れていく。


 さんざん生計を狂わされた純情な学生の気持ちなんか、お前には知る由もなかっただろうな。

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