第5話「発信アリ」

 ――これはな、お守りだ。肌身離さず持っていれば、きっとこいつがお前を守ってくれる。


 まだ祖父ちゃんが入院する前の元気だった頃、俺は二つのものを渡された。


 ――うわー、かっけー!


 子どもの俺は単純なもので、釘を見てなんとなく武器っぽいその形を気に入っていた。

 でも、手渡されたもう一つのものに対しては……


 ――なにこれ? 変なの。


 と言って、ぽいっと捨ててしまった。

 ゴミのように。ゴミ箱に。

 祖父ちゃんはそれを見ても、怒りはしなかった。悲しげに眉を寄せることもなかった。

 ただ目をぱちくりさせて、「そうか」と言った。だからそのときの俺は、罪悪感すら抱かなかったんだ。





 その罰が今になって当たったんだろうか、と、そんなことを考える。物を大切にしなかったから、今の自分は大切にされない。そういう報いを受けている気がする。


 夕刻。会社の面している通りを、カシマレイコと並んで歩く哀れな少年の姿があった。

 辺りはすっかり夕方の景色で、空は金色がかっている。


 社長から預かった携帯電話(?)は、大きすぎてポケットに入らないので、付属のベルトを使って肩に担いでいる。

 街路樹の並ぶ通りには、下校中の中学生やスーツを着た会社員よりも、私服姿の人が多く行き交っていた。


 ベビーカーを押している主婦らしき人はまあなんとなくわかるとして、平日の夕方に私服で歩いている人はどこへ向かっているんだろう。たまたま仕事や学校が休みで、ぶらぶらしているだけなんだろうか。


 かくいう俺も私服なので、一応周囲に溶け込めてはいるはずだ。

 カシマさんも、義足ではあるものの歩き方はいたって普通で、いまどき義足ぐらいじゃ人の目を集めることもないので動きやすい。


「人間の殿方と並んで歩くのは、初めてですわね」


 いつメリーさんがくるかもわからないのに、楽しそうにカシマさんは言う。

 視界の端、通学路の標識のあるところの下のほうに「不審者にご用心」という注意書きが見えた。

 今まさに、隣にいるんですけどね。


千門ちかどさんは、どうしてあの会社にお勤めされているんですの?」


 突然、カシマさんから痛いところを突かれた。

 まさか脅されてやむなく、とも言えない。

 俺は、脅迫の件は伏せて答えることにした。


「流れでそうなったのと、給料がいいのと……あとは、好奇心ってやつですかね」


 この言葉に嘘はない。


「好奇心?」


 カシマさんは復唱する。


「はい。怖いもの見たさって言いますか。ほら、怖いとわかっていても、ホラー映画を見たりお化け屋敷に入ったりするじゃないですか。ああいう感じです」


「そういうもの、ですか」


 あまり腑に落ちない回答だったようで、カシマさんは手を顎に添える。

 まあ、俺自身納得しているわけじゃないんだ。当然か。


「あ、こちらを通って行ってみません?」


 話題を切り替え、カシマさんはさびれた一角の路地裏を示す。

 まだ建設途中の、ビニールシートに覆われた建物と、店員が暇そうなコンビニの間を走る、狭い道だった。


 正直都市伝説と二人っきりで通りたいとは思わないのだけど、クライアントの意向なら仕方ない。一応、俺は社員らしいのだから。

 それに、人通りの少ない道をわざと歩くことで、犯人をおびき出そうとしているのかもしれない。

 願わくば、その作戦がうまくいきませんように。


 二人で細い道に入る。気づけば日はさらに傾き、空には赤と青の色が混ざり始めていた。なんなら、星もちらほら見えている。

 今はこれ以上暗くならないでほしいなあ、とか。これは残業になるのかな、などと考えていたとき。


 俺とカシマさんしか歩いていないはずの路地裏に、第三者の足音が響いた。


 いや、それは足音というには違和感がある。

 ずる、ずる、と、まるで何かを引きずるような音だったのだ。

 ついに、メリーさんのお出ましか? 電話は鳴らなかったはずだけど。

 俺とカシマさんは、ゆっくりと後ろを振り向く。


 そこには、地面を這って進むメイドがいた。


「ベルさん!? あなた何やってるんですか!?」


 その匍匐ほふく前進メイド――ベルさんは、地面に這いつくばったまま答える。


「いえ、社長様に、お二人に陰ながら力を貸すように仰せつかったので、尾行をしていたのですが、途中で体力が尽き、それでも社長様の『這ってでも歩け』との命令に従っていたまでです」


 そこまでしなくとも!

 何もやましいことをしていないはずなのに、なぜだか胸が締め付けられる思いがした。


 それはともかく、応援って、よりによってベルさんかよ。

 一番頼りにならなそうな人に見守られていたのか。なんて心もとない。

 せめて絹越きぬごし課長とかならまだ少し頼もしそうな気もするけど、よく考えたらあの全身包帯コーディネイトは尾行には向かないということに思い至った。


 何はともあれ。このまま女性を這いつくばらせたままにするわけにもいかないだろう。


「ベルさん、大丈夫ですか? 立てます?」


 俺はカシマさんに背を向け、上半身をかがめてベルさんに手を差し伸べた。

 そのときだった。静かな路地裏に、電子音が鳴り響く。

 発信源は、俺が肩にかけているトランシーバー型の携帯電話だった。


「ちょっと失礼します」


 まさか。まさかな。

 ベルさんの手を取りつつ、片手で電話を取る。液晶画面には「非通知」の文字が。


 震えそうになる手を落ち着かせて、通話ボタンを押して耳に当てると、


「今あなたの後ろが危ない! 避けて!」


 いきなりノイズ交じりの大音声が飛び込んできた。それでもとっさに忠告に従って、後ろを振り向く。


 視界に入ってきたのは、手。

 鋭い爪の生えたカシマレイコの手が、俺に向かって伸びていた。


「うわっと!」


 ぎりぎりでかわすも、爪は俺の肩にかかっているベルトを切り裂き、仕事用の電話をあっさりと奪い取っていった。


「何するんですか!」


 俺の抗議の声が聞こえていないかのように、うっとりと手の中の電話を見つめるカシマさん。


「これさえあれば……!」


 彼女は素早くボタンを操作し、番号を入力していく。


564殺し3564見殺し37564皆殺しっと……!」


「! いけません!」


 何かを悟ったベルさんが立ち上がりざまに叫ぶが、もう遅い。カシマレイコは通話ボタンを思いっきり押した。

 とたん、色とりどりの着信音が夕暮れの街に響き渡った。後ろの通りから路地裏の入口に、大小さまざまな電子音が侵入してくる。通りを歩く人たちの携帯電話がみな、一斉に鳴りだしていた。


「おいでませ! アンサー!」


 叫びの勢いとともに、カシマレイコは俺からぶんどった電話機をアスファルトの地面に立てて置く。


 すると、あれほどうるさく鳴っていた周りの着信音は止み、代わりに仕事用携帯の液晶画面から真っ黒な煙が噴き出した。

 煙は横にある建設途中の建物の中に吸い込まれていく。

 建物を覆う真っ青なビニールシートが膨らみ、できそこないのビルががたがたと揺れ始める。

 やがて、いくつもの鉄パイプや鉄骨や足場を降り注がせながら、ビルを突き破って巨大な何かが現れた。

 全長はゆうに二十メートルはあるだろう。人型をしているが、頭部が手の形をしていた。その手のひらにあたる部分に、大きな一つ目をぎょろりと覗かせている。

 首からは、無数の人間の手足を繋いでできたネックレスをぶら下げていた。


「化け物……」


「それ」を見上げながら、知らず俺はつぶやいていた。

 突如出現した巨人が、夜の月にかぶさっていた。

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