第3話「田村さんは不燃物」
「さて、と」
やっとミイラ男から解放された。面接に合格したことなんてどうでもいい。こんな薄気味悪い会社、悪いけどこっちから願い下げだ。すぐにでもアパートに帰ってしまおう。
と、俺が下に降りようとしたとき、とんでもないことに気づいた。
階段が、ない。
いや、あるにはあるのだが、それは三階へと続くものだけ。俺が上がってきた、一階と二階をつなぐ階段がない。確かにあったはずなのに、どこにも見当たらない。
「勘弁してくれよ……」
あのミイラ男のいる部屋に戻るなんて、まっぴらごめんだ。そして帰ることもできなくなった今、選択肢は一つしかない。
三階へ行くこと。それが、俺に残された唯一の道だ。
階段を上りながら考える。
この会社は、なんなんだ? 俺の背後霊を気にしないのもおかしいが、社員も絶対、変だ。
一階には、体力のなさすぎる受付メイドがいた。
二階には、まるで全身スキャナーのようなミイラ男がいた。
じゃあ、三階にいる社長とは、何者なんだろう。
そんなことを考えながら、背後霊とともに階段を上がっていると、三階へと着いてしまった。
階段を上ってすぐドアに行き当たった。おそるおそるノックをする。こんこんと、二回。しかしどれだけ待っても返事はない。
なんとなく、お化け屋敷に行ったときの気分を思いだした。
こっちはただ進むのみ。戻ることは許されない。
その先に恐ろしいものがあるとわかっていても、いやでも先へ先へと行かなければならない。
ちょうど今の心境がそれだった。
入らなきゃいけないんだろうか
いけないんだろうなあ。
半ば諦めて、「失礼します」とドアを開ける。
けれども予想に反して、扉の向こうには誰もいなかった。
机と椅子、それにテレビがあるのだが、それだけだ。あとは何もない。
壁も仕切りも部屋割りもなく、あるのはただ、豪奢な机と革張りの椅子と五十インチのテレビ、そして、だだっ広い空間のみ。
社長室というより、社長フロア、といった感じだろうか。
「おかしいな……課長さんが言うには、ここで社長が待っているはずなんだけど」
見たところ、隠れる場所もなく、三階に通じるのは俺が上がってきた階段だけ。すれ違いになった訳でもなさそうだ。
俺が怪訝そうにしていると、突然テレビが点き、古ぼけた井戸が映し出された。
「ん? この井戸……これって、いわゆる『呪いのビデオ』ってやつか?」
井戸の中から這い出た女性が徐々にこちらへ近づいてきて、最終的には画面から出て、見ている者を呪い殺すという有名なあれだ。
あ、やっぱり人が出てきた。顔は例によってうつむいているのでわからないが、長い髪なので、おそらく女性だと思われる。
まあ、後ろの背後霊やら、受付のメイドやら、人事課のミイラ男やらでだいぶびっくりしたから、もうこの程度では驚かないけどな。
その女性が這いず――らない! 思いっきり走ってくる! 速い! 速いって!
これじゃあ
そして画面直前に来ても、スピードは落とさず、両腕を顔の前で交差させ――
ガシャアァァン!
テレビの画面を突き破って、本当に飛び出しやがった!
「あはははは! どう? 怖かった?」
開いた口のふさがらない俺に、おそらくこの世で最も元気な貞子は問いかける。
「……あれ? おかしいねえ。最近のホラーは、こういうのが流行りだと聞いたんだけど。……ひょっとして、あんまり怖くなかった?」
「怖い怖くないの前に、度肝を抜かれたわ!」
だって、速すぎるんだもん!
普通、こういうのって、ゆっくりと近づいて来て恐怖を煽るものだろう!?
そんなセオリーを無視した少女は、俺のつっこみも無視して自己紹介を始めた。
「私は
「きみが社長!?」
「いかにも。きみが千門勇馬くんだね? いやー、液晶の中で待ちくたびれたよ」
そう言って胸を張る彼女は、どう見ても俺と同じくらいの年齢か、少し年下としか思えなかった。身長も俺より低く、社長らしい威厳のかけらもない。
真っ赤な長髪に白いスーツ。ものもらいでもできているのか、右目にはガーゼを貼っている。
ふいに、彼女は唯一見える左目をすうっと細めた。
「……おや、きみ、何か憑いてるね」
「あ……」
しまった。背後霊のおっさんのことがばれてしまった。
終わった……。いくらこの会社でも、さすがに背後霊憑きを雇うほど突飛ではないだろう。
いや別に、ここで働きたいとは思っていないのだけれど、それでも、拒絶されるというのは結構ショックだ。
俺がそんなことを思っていると、彼女はどこからか取りだした空のペットボトルを俺に向け、キャップを開けた。
「封」
彼女のその一言を合図に、俺の後ろの中年背後霊はみるみるうちに彼女の手にしているペットボトルの中に吸い込まれていき、あっという間に居なくなった。
そして彼女はペットボトルのキャップを閉じると、なんでもなかったかのように「はい、封印完了~」と言って、ペットボトルを机の上に置いた。
「え!? あっ、えぇっ!?」
なんで!? どんなに消えてほしいと願っても呪っても消えなかったリーマン背後霊が、いとも簡単に姿を消した!
除霊(?)って、こんな軽いノリでできるの!?
「きみは、いったい……何者?」
「? だから言ったじゃん。絆式会社DRED社長、皆神つづりだ、って」
信じられない。信じられないが……信じるしかないのだろうか。
そしてさっきから彼女は「きずしきがいしゃ」と発音していた。
俺は改めて目の前の少女を、失礼ながらまじまじと見やる。
右目にガーゼを貼っているが、左目だけからでも、はっきりとした意思と強い自信がうかがえる。
血でも通っているんじゃないかと思うほど真っ赤な髪は、腰まで届くほど長い。
身に着けている白スーツは年齢に不相応でひどく似合っておらず、その上あまりにも、そう、言うならば病的なまでに真っ白で、死に装束を思わせた。
血にせよ死に装束にせよ、どこか非日常を連想させる少女だ。
こんな女の子が社長だなんて、いったいどういうことをする会社なんだ。
「まあ立ち話もなんだし、座りなよ」
つづり社長は、そう言いながら革張りの椅子に腰をおろす。俺も彼女にならって、机を挟んで真正面の椅子に座った。腰が深く沈み込む。質のいいソファーだった。
座るときに、ちらと横目でテレビの裏を見たのだが、やはりというかあいにくというか、そこにはなんの仕掛けも、なんの変哲もなかった。
認めたくはないが、正面に座っている社長も、下の階の社員も、みんなただの人間じゃないのかもしれない。
「あ、そうだ。ベル、出ておいで」
つづり社長は、いきなり自分の影に向かって声をかける。
すると、彼女の影が、むくりと立ち上がり、輪郭を変え、色も変え、立体的になり、そして最終的には、一階で会った受付のメイドさんになった。
「うわああぁぁ!?」
今までこの会社で見たどの現象よりも生々しくて、自分の目を疑う出来事だった。
「ベル、そこに散らばっているテレビの破片を片付けといて。あと、コーヒーを二人分」
「かしこまりました、社長様」
ベルと呼ばれたメイドさんは、テキパキとテレビの破片を片付け始めた。
「……」
あまりの出来事に、呆然とする俺。
ここまでされたら、認めざるをえない。この会社の社員たちは、ただのどころか、人間ですらない。のだろう。
「どうぞ」
ベルさんはメイド服のポケットからコーヒーの缶を二つ取り出し、俺と社長の前に置いた。
缶コーヒーかよ。……缶コーヒーかよ!
おそるおそる飲んでみると、よく冷えた普通の缶コーヒーだった。
「さて。さっそくだけど、わが社はきみを歓迎するよ」
「いえ、その話ですが、なかったことに……」
すると社長は意地の悪い笑みを浮かべ、ペットボトルの先をこちらに向けてきた。
「おや、つれないじゃないか? また、この『中流企業をくびになって自殺をした挙句、働いている人が恨めしくて亡霊と化した田村さん』に憑かれたいの?」
「田村さんの事情が思ったより気の毒だった!」
ていうか、さらっと脅迫をしないでください!
「商談はさておき」
「冗談じゃないんだ!」
この社長、一番、たちが悪い!
「うちの会社はちょいと人材不足でね。今のところ私とベルと風月しかいないんだ」
つづり社長は、ペットボトルを弄びながら、話を続ける。
「量より質とは言うものの、やっぱり人の手はほしい。というわけで、さっそくだけど今から働いてもらおうと思う」
「今から!?」
明後日からとかじゃなくて!?
急な話にもほどがある。
「そんなこと言われましても、俺、ここがどんな会社なのかも知りませんよ?」
失礼を承知で、なんとか平和的エスケープを試みる俺。
だからペットボトルのふたに手をかけないで!
「社長様」
じりじりと、もはやバイトとは別の問題で駆け引きをしていると、社長の後ろに控えていたベルさんが口を開いた。
「お客様がお見えのようです」
「ああそう? ならちょうどいいや。
「はいっ!?」
急に名前を呼ばれたもんだから、つい変な声が出た。
「これからお客さんを相手にするから、同席しなよ。そのときに業務内容を覚えればいいさ」
ナイスアイデア、と言わんばかりに社長は口の端を上げる。
「みっちり体で覚えてもらうからね」
「はあ」
ふふふ、と不敵に笑う社長に、ベルさんは「では」と告げる。
「わたくしは、お客様をご案内いたします」
そう言って、彼女の体は社長の影の中に沈んでいく。影は、底の見えない水たまりのようでもあった。
「あ、そうそう、ベル」
腰のあたりまで影に溶け込み、上半身だけとなったメイドに、社長はペットボトルを投げてよこす。
「このペットボトル捨てといて。ちゃんと燃えないゴミに分別するんだよ?」
「かしこまりました」
言い残し、ペットボトルをキャッチしたまま頭の先まで影につかり、ベルさんは社長フロアから姿を消した。
田村さんは不燃物だった。
「ところでさ」
二人きりになったところで、だだっ広い社長フロアの中で社長が言う。
「そのお守り、ずいぶん変わっているね」
ガーゼに隠れていない彼女の左目は、俺の胸ポケットに照準を合わせていた。
「透視までできるとか、もうなんでもありですね」
「いやあ、それほどでも」
皮肉のつもりだったのだが。
「釘、かな?」
「はい。祖父からもらったお守りです」
彼女の言う通り、俺の胸ポケットの中にはお守り袋が入っていて、どういうわけかその中身は釘だ。
いったいどんな由来があれば釘がお守りになるのかは知らないけれど、祖父ちゃんはこれを渡すとき誇らしげだった気がする。
にしても、さっきも課長がわざわざ確認していたけど、このお守りはそんなに気になるものなんだろうか。確かにお守りのチョイスとしては変だという自覚はあるが。
実はこう見えて由緒ある釘でした、とかいうオチだったりするのか? いや、そんなのさすがに聞いたことないな。
「でもそのお守り、片方足りないんだね」
「え?」
どういうことですか? と尋ねる前に、ノックの音がして、そこで俺たちは私語をやめた。
「どうぞ」
社長が声をかける。扉がゆっくりと開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます