第2話「課長はミイラか怪我人か」

 二階に上がると、人事課の部屋はすぐに見つかった。俺はドアをノックする。


「どうぞ」


「失礼します」と声をかけてドアを開けると、ミイラ男がいた。

 全身に包帯を巻いている人を、それだけでミイラ男呼ばわりするのは、いささか失礼だとは思う。実際は、ただ体中に怪我をしているだけの人かもしれない。


 けれどそれを差し置いても、その人物はミイラ男と形容するしかなかった。少なくとも、俺のボキャブラリーの中では。

 それほどに、その人物は包帯が似合っていたのだ。まるで、包帯がヒトの形をとっているかのような。そんな錯覚さえ覚えた。


 その(おそらくは)男の格好も、これまた不気味だった。今が真夏にも関わらず、茶色いトレンチコートを着込んでいて、ここが屋内にも関わらず、鍔の広い帽子を身につけている。


 表情は、目深にかぶったその帽子のせいで読みとることができないが、口元の包帯と包帯の隙間が、ちょうど笑っているように見えた。

 そんな男が、書類の山の上に座っており、ピクリとも動かず、一言も発しない。


 やばい。背後霊憑きの俺が言うのもなんだけど、関わりたくない。

 ちらりと自分の後ろを見る。そこには、あいかわらず陰気くさく、青白いおっさんの霊がいたが、それでも目の前のミイラ男よりは怖くない。

 どんだけ恐ろしいんだよ、ミイラ男。


 もういい。お金なんて要りません。人生、お金じゃありません。金がなくても生きていける。だから帰ろう。ていうか今すぐ帰りたい。

 そう俺が決意して、人事課の部屋を出ようとしたとき。


「少年、まだ面接が始まったばかりだよ」


 そんな、しわがれた声とともに、包帯が伸びてきて、俺の足に巻きついた。


「え」


 何これ。振り返ると、ミイラ男のコートの袖から包帯が出ていた。それが俺の左足に絡みついて離れない。俺の足を捕らえたまま、彼は言葉を紡ぐ。


「遠慮はしなくていい。アルバイト志望だろう?」


 いえ、帰宅志望です。


「その年齢で働こうとはいい心がけだ。若いうちの苦労は買ってでもしろ、と言うからな」


 今は平穏を買いたい気分です。


「拙者、絹越きぬごし風月ふうげつと申す者。DREDの人事課の課長をやっている」


千門ちかど勇馬ゆうま! 十七歳! 命だけは助けてください!」


 自己紹介と命乞いを同時にしてしまった。


「なあに、取って食いはしないから安心したまえ。どれ、履歴書をかしてごらん」


 そう言って、ミイラ男改め絹越風月課長は、もう一本、包帯を伸ばし、俺の手から履歴書をひったくった。


「あむ」


 そして何をするかと思いきや、なんと手にしたそれをくしゃくしゃと丸め、自分の口の中へと放り込んだ。


 絹越さんたら読まずに食べた。


 ……いやいやいやいや待て待て待て待て! 何してんの、このミイラ!? 今、俺の履歴書を取って食ったよな!?


「千門勇馬」


「へ?」


 俺の、名前?


「千門勇馬。男。一九九八年四月四日生まれ。満十七歳。二〇十四年三月に万来ばんらい中学校を卒業。保護者は父、千門宗介ちかどそうすけ。資格、免許ともになし――」


 その後、絹越課長は、俺の住所・電話番号を告げると、「――以上で合っているかね?」と、言葉を締めくくった。


 ……驚いた。履歴書をそのまま読んだかのように、見事に全部合っている。俺からそのことを聞いた課長は満足げに頷くと、「合格だ」と、一言漏らした。


 正直、そのときの俺には面接の合否などよりも、課長が何をしたかの方が気になって仕方がなかった。

 だから、その後の「聞こえなかったのかね? 合格だ」というセリフも、危うく聞き逃すところだった。


「あの、いったい何を――」


 したんですか、と尋ねる前に、ようやく俺の左足を解放してくれた課長は「ん?」と何かに気づいた様子で、俺の胸ポケットに包帯を差し込んできた。

 新手の痴漢だろうか。

 そのまま包帯を巻き付けたお守り袋を引きずり出して、興味深げに眺める。


「少年。これはいつの時代のものかね?」


 えっ? いきなりそんなことを聞かれても困る。


「さあ。祖父からもらったものなので、それなりに古いとは思いますが」


「ふむ。いい具合だ。そろそろ、かな」


 何がそろそろなのか、そもそも何の話なのかさっぱりわからず、立ち尽くす俺。


「いや、失礼。珍しかったものでな」


 そんなアルバイト志望の少年の様子を見かねたのか、課長はお守り袋を俺の胸ポケットに返してくれた。

 そして何事もなかったかのように、やはり包帯だらけの右手で上を指差し、こう言った。


「では、挨拶をしに行きたまえ。上で社長さんがお待ちだよ」


「いや、それより今、何をしたんですか?」


「挨拶をしに行きたまえ。上で社長さんがお待ちだよ」


「そうじゃなくて――」


「挨拶をしに行きたまえ。上で社長さんがお待ちだよ」


「……」


 とうとう、同じ言葉しか言わなくなってしまった。ゲームの村人か、あんたは。

 とにかく、一刻も早くこの場を抜け出したかった俺は、急いで人事課の部屋をあとにする。


「ご武運を」


 背後からそんなしわがれた声をかけられたが、なんとなく聞こえないふりをしておいた。

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