怪社員アフターズ

二石臼杵

第1話「メイドの屍を越えてゆけ」

 二十二回。


 俺がアルバイトの面接で不採用になった回数だ。

 飲食店。スーパー。書店。コンビニエンスストア。エトセトラエトセトラ……

 どの職場も俺を拒絶した。


 俺が田舎出身だからではない。学生だからでもない。

 こんな言い方をすると、俺自身の性格に問題があるように思われるかもしれないが、あえて言おう。俺に落ち度はない、と。


 胸ポケットに入れているお守り袋をぐっと握りこむと、死んだ祖父ちゃんの言葉が思い出された。


 ――これはな、お守りだ。肌身離さず持っていれば、きっとこいつがお前を守ってくれる。


 嘘ばっかり。ちっとも守ってくれやしないじゃないか。

 不採用の連続で、俺の心はすっかり荒んでしまっていた。

 今なら恨める。この世界すべてを。


「ここもどうせだめかもしれないな」


 目の前にある三階建てのビルを眺めながら、そんな独り言をつぶやいた。

 別段古くも新しくもない、コンクリートのビルディング。ただ、看板だけが妙に目についた。


「絆式会社DRED」。


 株式、ではない。何と読むんだろう。「きずなしき」でいいんだろうか。DERDはたぶんドレッドでいいはず。とにかく聞いたこともない会社だ。

 学歴不問、未経験可、それでいて時給一三〇〇円という、気前のよさを通り越して怪しさが漂いまくりの会社だった。とどめに「仕事内容不明」と、きたもんだ。これはもう、まともな仕事じゃなさそうだ。


 しかしそれでも、俺はお金が欲しい。

 高校に入って、俺は共働きで家にほとんどいない両親よりも、いろんなことを教えてくれる祖父ちゃんと一緒に暮らすことを望んだ。しかし、祖父ちゃんは俺が高校二年になるとこの世を去ってしまった。

 祖父ちゃんの死後、親の反対を押し切って、俺はかたくなにそれまで祖父ちゃんと過ごしていた借家で一人暮らしをすることを選んだ。


 それについては後悔していない。していないが、仕送りは少ないわ、一日一食になるわ、家賃は三ヶ月滞納してるわで、正直いっぱいいっぱいだ。思い出で腹は膨れない、の言葉の重さがのしかかる。

 この際、贅沢は言っていられない。なりふり構っていられない。

 藁にもすがる思いで、こんな得体の知れない会社を訪れたというわけだ。


 意を決して、俺はビルの中に入った。

 と、同時に、俺の背後に半透明の中年サラリーマンが現れる。


 あーあ、出ちゃったよ、背後霊。


 バーコード頭で、眼鏡をかけたこのおっさんこそが、俺がことごとくアルバイトの面接に落ちた元凶だ。

 こいつがご先祖様だとか守護霊とかだったらまだ納得できるが、俺はこんなやつ知らないし、このおっさんも俺を守るどころか、面接のときに姿を見せては俺の就職の邪魔をする。サラリーマンに恨まれる筋合いなど、当然ない。


 一人暮らしをして、初めてアルバイトの面接を受けたときから、なぜかこの背後霊に憑かれてしまった。

 この中年リーマンの背後霊は、姿を現すだけで、俺に危害を加えたり干渉したりすることこそないものの、居るだけで充分不気味で、とてつもなく邪魔だ。


 この霊が、俺にだけ見えるのならまだいい。無視するなり精神病院に行くなりすればいいだけのことだから。しかし厄介なことに、こいつは他人にも見えてしまうらしい。

 面接のときだけにしか現れないのが不幸中の幸いかもしれないが、俺にとっては、いやがらせなことこの上ない。


 こいつは一言もしゃべらないが、こっちが「恨めしや」と言いたい気分になる。

この背後霊のせいで、今まで面接をしてくれた人は例外なく(精神的な意味で)病院送りとなったのだから。

 中には気づいていないような面接官の人もいた気がするが、不採用の結果は変わらなかった。


 この会社も、きっとだめだろう。そう思いながら、俺はDREDのドアを開ける。

 きれいに磨かれている大理石の床を踏みしめながら、受付へと向かう。


 そこには、メイドがいた。


「…………」


 思わず立ち止まり、絶句。そして再確認。

 黒いワンピースの上に、これでもかというほどにフリルのついたエプロンドレス。艶やかに伸びた黒髪の上に、ちょこんと乗っているカチューシャにも、フリルがふんだんにあしらわれている。どこからどう見ても、メイド以外の何者でもなかった。

 そのメイドが、本来受付嬢のいるべきスペースに、しっかりと座っていたのだ。


「いらっしゃいませ」


 こちらに気づいたらしい彼女は、淡々と挨拶を告げ、足音もなく近づいてきた。


「何のご用件でしょうか」


 じいっと見つめてくる彼女。涼しげな風を思わせる切れ長の目に吸い込まれるように魅入っていた俺は、その視線が自分の背後に向けられたことで、重要なことを思い出した。

 そうだ。この背後霊のおっさんを忘れていた。このままではまずい。今までの会社のように、間違いなく不採用になってしまう。

 そんなことを考えていると、メイドさんは視線を俺の方に戻して、再び尋ねてきた。


「それで、何のご用件でしょうか」


 ……あれ? 視えてない、のか?

 いやでも、さっき確かに中年リーマン背後霊の方を見たような……?


 まあいい。向こうが気づいていないのなら好都合。こっちも気にしないでいよう。


「あの、アルバイト志望の千門ちかどと申します。先日、電話で面接の予約を取らせていただいたのですが」


 今まで飽きるほど繰り返してきた文句を口にする。


「ああ、千門様ですね。どうぞこちらへ」


 言うが早いか、彼女は、黒いロングストレートヘアーとエプロンドレスをフワリと翻し、踵を返した。

 すると、急に彼女が視界から消えた。

 と思ったら、下に倒れていた。どうやらこけたようだ。


「だ、大丈夫ですか?」


「すみ、ません、わた、くし、体力がな、いもので」


 ええええぇぇぇ?


 いくら体力がないと言っても、まだほんの数メートル歩いただけなんですが。


「そ、この、階段を上がっ、て、左手に、見える、『人事課』、と、書かれ、た部屋に、入って、くだ、さい」


 ぜえぜえと、超息切れしていた。


「わたく、しの、ことは、どうか、お気に、なさ、らず」


 いや、かなり気になるんですけど。


「わたくしの、屍を、越え、てくださ、い」


 なんかバトル漫画にありがちなセリフを言っていた。というか、すでに死んだような口ぶりだった。


「じゃあ、お言葉に甘えて。あと、鉄分摂った方がいいと思いますよ」

 かくして、俺(プラス中年リーマン背後霊)はメイドの屍を越えていった。いや、もちろん死んでないけど。

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