第3話.私は、死ぬんですか?
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上司の橘に呼び出された。
重い足取りで、彼女の待つ一室へと向かう。
ノックをして、ドアを開けば、鉄面皮の橘がデスクに座ったまま出迎える。
橘の話は、いつでも間接明朗――と言うよりは、素っ気無いが正しい。
要は、このほど新しい犠牲者……いや、被験者が収容されるらしい。
「僕がこの子の担当……ですか?」
「そうよ。なにか、不満?」
「こう言った手法で、被験者を回収するのは如何なものかと思います」
僕の前髪で隠れた瞳が、橘を捉える。
その奥には、明らかな怒りの色がちらつく。
それが橘にも見ているはずだが、彼女は全く動じない。
「我々には、国民を守ると言う現実的で具体的名な義務がある。億単位の人間を救う為に払う犠牲が指折りで数えられる人数で済む。易いものでしょう?」
「その数人も国民ですよ? 矛盾していませんか?」
「なら、貴方がその子の代わりになればいい。止めはしないわ」
僕は口を噤んだ。これ以上の反論が出来ない。
彼女は、上からの指示を僕に伝えているだけだ。
彼女個人の決定ではなく、国民の代表が民意を反映させて出した決定事項だ。
僕もこの国の国民で、僕の民意も少なからず反映されているわけで、今更どうこう反論するのは間違っている。
いや、違う。反論や徹底抗戦、やろうと思えばできる。
そう、できるんだ。実際にこの現状を変えるべく行動を起こそうとしてる人々は少なくない。
単に僕が意気地なしなだけなんだ。
意気地なしな僕はいつも人の波に乗って、流され、漂っている。
だから、僕は自戒と侮蔑を込めて『伊狗児』と名乗っているのだ。
話は以上、持ち場に戻って頂戴と厄介払いをされて、再び通路へと出る。
手渡された資料に目を落とす。
1頁目の左上に貼られた証明写真。
口を一文字に閉じた黒髪の少女が写っている。
とうに成人を過ぎた僕から観れば、まだ幼さとあどけなさが残る極普通の少女でしかない。
2項目の少女の人となりをまとめた報告書を読むと、なかなかにショッキングな文面が並んでいた。
「まだ16歳か」
少女のこれからを思うと、呟かずにはいられなかった。
伊狗児の独白は、誰の耳に届くことなく通路に霧散した。
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失声症と言うのは、ストレスが原因で声が出せなくなってしまう厄介な精神疾患だ。
一説によれば、声が出なくなってしまうのは喉の筋肉が異常に強張り、声を出しづらくなるかららしい。発症率は女性の方が高く、自然治癒してしまう事が大半。薬使った治療はあまり例がない。
私の場合も、電子カルテと睨めっこしていた医師が「しばらく、様子を視ましょう」と経過観察を切り出して、診察が終了した。
もと来た通路を伊狗児と名乗った担当官と私だけで辿る。
私が伊狗児の背中を1m程間隔を空けてついて行く。
今の私は、『声』で感情や気分を伝えられない。
身に異変や危機を感じても、それを伝えられない。
これからの生活に大きな支障を来たすだろうと、1人ぼんやりと考えていた。
考えてから、ハッと気がつく。
私はその場に立ち止まった。
伊狗児はそのまま通路を進んで行く。私はその背中を棒立ちのまま見送る。私の視線は彼の背中を通して、その先にある何もない空を見つめていた。
数メートル進んでから、私がついて来ていないのに伊狗児が気づく。
振り返った彼は慌てて、引き返してきた。
「どうしたの? もしかして具合悪い?」
私の顔を覗き込んで、より一層あたふたし始める。
しかし、そんな私を気遣う声は、私の耳にその声は届いていない。
私の思い描く、これからの生活とは?
親捨てられ、正体不明の組織に引き渡されたのに?
今、私は一体に何に期待した?
今、私は何を見出そうとした?
この状況の何処に、希望があるのだろうか?
こんな自分に、そもそも生きる価値なんてあるのだろうか?
自分が――、分からない。
一気に分からなくなってしまった。
「うーん……やっぱり、意思疎通が全く出来ないってのは不便だなぁ」
低い唸り声で、意識が引き戻された。
ビクッと肩を震わせてから、恐る恐る伊狗児の様子を窺う。
無視したのを怒っているのかと思えば、当の本人は私を見ていなかった。
白衣のポケットから、ツナギのポケット、着衣に付いたポケットと言うポケットを漁っていた。
「ごめんね。君はまだ正式登録じゃないから、勝手に物を支給できないんだ。僕の私物なんだけど、今はこれで我慢して」
そう謝罪してから、伊狗児は私にポケットから取り出した物を差し出す。
戸惑いつつも、そろりと手を伸ばしてそれらを受け取った。
はがきサイズのメモ帳とボールペン。
メモ帳は4つ角の全てが潰れている。
芯が見えるタイプのスケルトンのインクペンは、黒いインクが満タンに入っていた。
なるほど、筆談で私とコミュニケーションを取ろうと言う魂胆か。
私はパラパラとメモ帳を捲ってみた。何も書かれていない。
使いもしないメモ帳を律儀にポケットに入れていて、果てにはボロボロにしたのか。
電子機器があれば、紙なんては必要ないと体現しているみたいだ。
率直な質問だけをまっさらな紙面に書き記す。
書き終わるのを待っている伊狗児にメモ帳を見せた。
この質問に、迷いはなかった。
―私は、死ぬんですか?―
単刀直入過ぎたのか、伊狗児の目が大きく見開かれた。
無理もない。
私が伊狗児の立場だったら、同じ反応をするだろう。
伊狗児は無言で空を仰ぐと、再び歩き出した。
結局、私の質問には答えていない。私は黙って、彼について行くことしかできない。
彼の無言は、肯定と捉えて良いのだろうか?
重い空気を携えたまま、T字の突き当たりに行き当たる。
右に曲がれば、あの部屋に戻る。
しかし伊狗児はあえて、左に曲がった。
曲がってから、ゆっくり振り返った。
なんとも形容し難い表情で私を一瞥する。
「少し、お話しようか?」
慎重に言葉を選んでいる、彼の声色はそう語っていた。
情報が欲しいし、質問の答えも聞きたい。
本音を言えば、あの不気味な部屋には戻りたくなかった。
返事は一択、私は小さく頷いた。
案内されて行き着いた先は、この無機質な施設には似合わない自然豊かな公園だった。強化ガラス製の扉を開けば、そこはまさに別世界で茂った木々が風に吹かれ、木漏れ日がチラチラと揺れている。
施設内から公園に出られる扉はいくつもあって、そこからアスファルトの小道が放射状に伸びいる。黒い線が青々とした芝生を区切っている。
木々の間から外灯の傘が顔を覗かせえている。
そして、外灯の下には木製のベンチが設置されてた。
ここはこの施設の休憩スペースとして、設けられていようだ。
見える範囲に人影はない。
何故だろう?
この小さな箱庭に、祖母のお気に入りだった写真集の一冊を思い出す。
そこに載っていた雄大な原生林の緑がこの場所に重なって見えた。
朝から晩まで薄暗い部屋に閉じ篭るだけの生活で、私は本物の草木の緑や空の青さを忘れかけていた。
こうやって、見た物、覚えた物を徐々に忘れていってしまうのだろうか?
不毛な考えを巡らせていると、両肩に重みを感じた。
ギョッとして、首を左右に振って重みの原因を目視する。
私の肩に型崩れと皺の目立つ白衣がかけられていた。
次に伊狗児を見上げる。彼は身長が高いので、自然に見上げる形になってしまう。
彼は後頭部をガシガシと掻いていた。
「目のやり場に困ると言うか……いや、決して疚しい考えがあるわけじゃなくてだね! 女性が体を冷やすのは良くないって聞いたから」
ここに着てからずっと、私は肌の上に直接、手術衣だけを着ている。
つまり、布一枚の下は全裸なのだ。それを伊狗児も知っている。
必死に弁解する伊狗児を見て、羞恥心より先に申し訳なさが込み上げる。
ずっとこの格好を見せていたのだ。配慮に欠けていたのは自分の方だ。
手にしていたメモ帳を捲って、新たな文字を書く。
―申し訳ありませんでした。以後、気をつけます―
「君が謝ることじゃないよ。ああ、すぐそこのベンチに座って話そう」
伊狗児は早口で誤魔化すようにそう言うと、私をベンチへ誘導する。
3人がけのベンチに、1人分の隙間を空けて座る。
用も無しに人をジロジロ見るのも、見られるのも私は苦手だ。
隣に座る伊狗児を見ずに、膝に置いたメモ帳の上を木漏れ日が走るを眺める。
一方、伊狗児の方はそんな私を見ていた。見ていると言うより、観察しているが正しいかもしれない。長身を縮こめて座っているのだから、彼だって居心地は良くないはずだ。
どう話を切り出すべきか、思案しているようにも感じたが、すぐに意を決した様子で話を切り出した。
「まず一つ目、君はここでは絶対に死なない」
私はすかさず、メモ帳にペンを走らせる。
―ここでは……ですか?―
「ああ。僕がそれは保証する」
《分かりました。では、次の質問です。人類の敵と戦えと言われました。どう言う意味なのか、教えていただけますか?》
私が書き上げた文を見て、今度は伊狗児が無言で頷いた。
私と伊狗児の
言の葉@LANCE 那由汰 @komugi2016
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