第7話 金色の獅子

 レギューヌ隊は後続の別部隊と完全に切り離され、そしてその傷口に銀鳳隊の槍騎兵が蓋をすることで退路は無きに等しいものとなった。

 取り乱して強引に突破しようとする兵は一突きで討たれ、ただ右往左往する者たちは全く陣形をなさない。


「―――落ちつけ! こうなれば前進あるのみだ! 金獅子隊を撃破しダナスへ傾れ込む! そうなれば本隊との挟撃で我らが勝利するのだ!!」

 レギューヌは必死で指揮をとり部隊を立て直そうとする。

「楔の陣形を取れ! 我が合図で突撃だ!」

「ならばまず私に勝たなくてはなりませんよ?」

 スピナーが腕を突き出す。その手のなかで大槍が横一文字に構えられていた。

「無論! もう遊びはせんッ……ここで散れ若造!」

 カッと馬の腹を蹴り、レギューヌは騎馬もろとも一本の槍のごとく踏み込んだ。それは思い上がりではなくこれまでで最速の一閃を生み出す。

 対して動いたのはスピナー自身ではなく、彼の操る馬だった。痙攣するかのような瞬発的な動きで首を振ると、鉄製の馬兜に生える一本角がレギューヌの槍に触れてその軌道をずらした。

 ただの空中を突かされて、レギューヌは驚愕を浮かべながらバランスを崩す。その前のめりになった喉元を光の弧が一瞬横切った。頭上からそれを見ていたなら何とも雄大な三日月の閃きだっただろう。

「人馬一体、それがスピナー・フォン・オルトラスの槍術です。稽古は終わりですね……」

 レギューヌは呆然とした表情で喉元に生まれた一筋の傷から鮮血を噴出させる。そのまま馬の首に抱きつくように崩れると、手から零れたボロボロの槍は地面に弾むなり二つに折れ砕けた。

 彼に頼りきりだった周囲の騎兵達は言葉を失ったまま身動き一つできない。

 スピナーが高々と槍を掲げた。


「作戦は上手くいったようだな……。前衛―――」

 白馬隊の作る花道を前にして、黒毛の巨馬に跨る巨躯の重装騎士が右手をあげる。金色の獅子の装飾がなされた兜の下で、凛々しい双眸が鷲のように強い眼光を放った。

「―――突撃!」

 右腕がまっすぐに前方へ倒される。レギューヌ隊騎馬残り一千ほどが犇めく檻の中へ、古傷だらけの無骨な五指が突きつけられた。

 鈍色の光を湛える勇猛な騎馬軍が、一斉に咆哮をあげながら走り出す。

 四千の兵数を持つ金獅子隊も大きく広がって渓谷に入れるわけではない。衝突する数では抗えるにも拘わらずレギューヌの騎士達は自らを奮い立たすことのないまま轟然と流れこむ津波に呑まれ、中天に太陽が昇りきるのを待たずに壊滅となった。



 カッカッと蹄を鳴らして悠然と馬を進め、金兜の将軍は壮年の騎士の隣で馬を止めた。

 レストリアの後続軍が救援を諦めて本営へ退いていくのが砂塵の向こうに見える。

 レギューヌ隊との剣戟が減り始める。

「トッド副官、良い働きをしてくれた」

 長身の黒馬からやや見下ろす形になりながら、騎士は少し掠れた低く温かみのある声で労いの言葉を先に置いた。

「いえ……お気遣い痛み入ります。ですが見事だったのはリリー様の的確な指揮でした」

 トッドの視線に呼ばれて騎士はすぐ先に佇む白馬とその主の背中に目をやった。そして馬をゆっくりと進める。

 並んだ二人の将軍は視線を交わさず、眼前で終わりつつある殲滅戦を見つめた。

 戦場に流れ始めた風が雪色の長髪を連れ去ろうとする。それを繋ぎとめるように、白い花を模った髪留めが小さな後頭部で僅かに揺れている。

 彼女は手綱を握りしめたまま動かない。

 騎士はその白いグローブに包まれた拳の固さ、そして噛みしめられた唇の震えを確認する。

「リリー……よくやった。見事な指揮だ」

 彼女のあごがピクリと僅かに跳ねた。淡いエメラルドの瞳に浮かんでいた感情の色はいっそう深さを増した。そしてゆっくりと下唇を解放した小さな口から、少し震えたか細い声が零れだす。

「ケイオスさん……。彼らは……本当にここで命を奪わなくては……ならなかったのでしょうか……」

 剣戟の響きが治まっていくにつれ、敵兵の断末魔の叫びが風と共に鋭く運ばれてくる。

 リリーは思わず睫毛を伏せた。しかし耳を塞ごうとはしなかった。手は手綱と一つになり、目の前の現実から隠れることを許しはしない。

「もう、戦意はほとんど残っていませんでした。捕虜にするという選択はなかったのでしょうか……」

 その時、渓谷に戦士達の勝鬨が弾けた。高い壁面に反響してそれは何層倍にも力強く膨らんでいく。

「この声は敵軍の士気を大きく下げるだろう。一軍全滅の報は敵兵の身を竦ませ、我が軍には大きな勇気を与えるだろう。それは、すぐそこまで迫る最後の決戦に打ち勝つための……最大の戦果だ」

 リリーはもう一度あごの震えを力いっぱい抑え込む。瑞々しい桃色の唇が白く変わる。きっと口中には微かな鉄の香りが生まれているだろう。

 彼女はそれ以上の言葉を選べないままうつむいた。それは頷く仕草にも見えた。

 周囲の兵士達はそれぞれの胸中に熱い想いを抱えながら、自分達が掲げるその優しすぎる将軍を見守っている。彼女の背後ではトッド副官が目を瞑っていた。まるで彼女の代わりに敵兵へ黙祷を捧げているかのようだった。


 ケイオスは重い兜に両手を添えるとゆっくり脱ぐ。

 オールバックにした金色の短髪が現れる。

 筆で刷いたような逞しく美しい金の眉は、今は突撃の号令を下すときのように険しく吊りあがってはいない。

 鷲のように鋭かった双眸も、僅かな憂いを帯びて穏やかに力を抜いている。

 ブラウンの瞳に正午の燦然とした青空を映し、岩のように硬く高い鼻の奥へ戦場の香りを吸いこむ。

 愚直な戦士を思わせる口元がフッと息を吐くと、厚みのある朱色の唇がほどけ、動いた頬の筋肉は右側に残る大きな古傷を少し歪ませた。

 敵に恐れられ、味方に畏れられる金獅子将軍の精悍な素顔が、隣で心定まらぬ少女へ向けられた。

 痛ましい眼差しで見つめ返す彼女に、ケイオスは少し強く、少し優しく言う。

「リリー……よく耐えてくれた。ありがとう」

 瞬間、少女の見開かれた双眸の中で二つの瞳が震え、張りつめていた糸の切れる音と共に耐えに耐えていた涙が溢れ零れた。

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