第5話 二つの槍
昼前の空から強く降る陽光の下、東西に渡るダナトリア渓谷の中央でダナスの軍とレストリアの軍が激突していた。
渓谷の幅はかなり広く、暴れる騎馬の群れを懐に収めて高い壁面に怒号を反響させていた。
東から攻めるのはダナス軍。スピナー率いる銀鳳隊の三千が最前線を張り、ジョシュ率いる黒狼隊の千が中間を流動する。リリーの白馬隊五千はその後方で横に長く陣を布いていた。ちょうど渓谷の“ダナス関”に蓋をするように。
「スピナー殿の読み通り、敵将は功を焦っているようですね」
トッド副官は馬上から隣のリリーに言葉を投げた。
「ええ……。きっと作戦は実行されるでしょうね……」
彼女の細めた双眸には憂いの色が滲んでいた。
白馬隊が後方に配置されているのは、将軍が女性だからなどと言う理由ではない。
他部隊と異なり、彼らはほぼ歩兵で構成されている。槍騎兵を中心として戦場を切り裂く銀鳳隊と機動力で自在にかき回す黒狼隊の背後で、白馬隊は強装甲を纏った歩兵が大盾を駆使する不動の最終ラインを担っているのだ。
歩兵ばかりの隊の名称に“馬”が入っているのは、ひとえにリリーの跨る美しい馬が理由であり、ついでに言うならば“白”は馬もそうだが何より彼女の雪のような長髪と、それに合わせた全身の装いを示している。鎧ではなくローブを着込み、硬質の肩当てと胸当てで護られた身体。そのどれもが白で統一され、手綱を握る華奢な両手までも同色のグローブがはめられていた。
将軍として彼女に求められているのは勇猛果敢に先陣をきる姿ではない。その人望が兵達を奮い立たせてどの隊にも勝る士気を引き出すという、彼女にしか為し得ない用兵術を期待して推し立てられた地位だった。ゆえにたった一頭の白馬が部隊名に掲げられるのも、誰一人として疑問に思わない。最後尾に彼女を背負って戦うことが兵士達の誇りなのだ。
「―――金獅子隊、あと30分ほどで到着致します。作戦は容認されました」
早馬による報がリリーとトッドのもとに届く。
「分かりました。ご苦労さまです」
彼女が労うと兵士は身を硬くして敬礼をとり、慌ただしくその場を退いた。
「……では、合図を出してよろしいですか、リリー様?」
副官の慎重な言葉に、彼女は覚悟を決めるように一つ間を置き、そして頷いた。
「お願いします」
鉄の一本角を持つ馬兜を装着した騎馬が鋭く連なって敵陣を抉っていく。鞍上に跨る騎士達は長槍を巧みに操り、次々と敵兵を倒していった。
上空から見下ろせば彼らもまた槍の穂先のようであり、それが四本、五本と流動的に増減を繰り返す。
その中に、一本だけ常に突き出し最も深くまで攻め込んでいる槍があった。先頭に立つのは美しい装甲を纏う葦毛の名馬。背に跨るのは銀の鎧に身を包み、兜に羽飾りを揺らす優雅な騎士。
彼の両腕が天高く突き上げられ、長柄の中央を左右の手に受け渡し合う。すると両端に鋭利な長刃を有する大槍が途轍もない速度で回転し、陽光を受けて白円を描きだす。
彼の前に立つ敵兵は自分が思う以上の距離を取らなくてはならない。普段の騎兵との戦闘経験から測った間合いに身を置けば、一瞬後には迂闊という言葉と共に生涯を終えることになる。
美丈夫の騎馬が彼の意のままに素早く踏み込む。
直後、槍は遠心力を乗せたまま彼の腕の延長となって幾筋もの光を閃かせた。
離れた位置から見ればそれはまるで突如地上に光臨した三日月。そして、美しさの後に必ず咲き乱れる紅の血飛沫たち。
スピナー・フォン・オルトラス……輝かしき“クレセント”の勇名がいま敵陣を切り裂いていた。
「左翼、突きなさい!」
彼の指揮で銀鳳隊の爪は柔軟に数を変える。自ら先陣を切って敵を震え上がらせる働きをしながら、彼は戦場の多くを把握して自軍を巧みに変形させる。
敵軍は、突き込まれたかと思えば引き込まれ、己の位置すら自覚できなくなり陣形を崩されていく。
まさに一騎当千の働き。ここ二ヶ月の間、レストリア軍はスピナーに阻まれて渓谷の中央から先へは一度もまともに侵攻できずにいた。
もっとも、恐れるべきは彼だけではないが。
「―――将軍! 合図が出ました!」
副官がスピナーの傍に馬を進めて報告をする。
「よし……」
怯える敵兵達を鋭い眼差しで張りつけにしたまま頷いた。向かい合う者達にとって今の彼は人外の美貌をたずさえた死神でしかない。
「両翼、展開!」
凛と叫び、直後にスピナーは槍の尖端で敵軍の中央奥を指した。
「レギューヌ将軍! いつまでそのように身を隠しているつもりですか?」
レストリア兵達が後方を振り返る。まるで親に助けを求める子供のようだ。
「雌雄を決する勇もないのならば潔く軍を退きなさい! 貴方の臆病さが兵を犬死させているのです!」
白刃のごとき言葉を突きつけ、スピナーは暫しの時を置く。
すると敵陣が奥からじわじわと路を開き、その直線の中を一騎の馬がゆっくりと歩を進めてきた。
馬上で大柄な騎士が遠目にも分かるほど怒りに打ち震えていた。右手で握りしめる槍にそれが伝わり、先端にいくほど隠せないくらいに揺れ動いているのだ。
「……クレセントなどと呼ばれて驕るでないぞ、若造! 貴様の踊りのような槍術など、我が雷光の刃の前では児戯に等しいわッ!」
怒号一閃、レギューヌは真っ赤な顔で馬を一蹴りして猛然と突進してきた。
間合いに入るなり同時に奔る互いの尖端。
ギィンッと甲高い音が鳴り響く。スピナーの槍はレギューヌの左手の盾で受け流されていた。
そして雷光の突きは銀の兜の羽飾りを僅かに切り裂いた。
すれ違った二つの騎馬は即座に反転する。
「将軍、思った以上の使い手ですね」
凛然と背筋を伸ばしたまま馬首を操り、スピナーは言葉とは裏腹に余裕のある声で讃えた。
「ほざけ! その見下した物言いもすぐに消し去ってくれるわ!」
馬と共に踏み込み、最短距離で槍を打ち出す。レギューヌの攻撃は合理的に直線的であり、確かにスピードがある。
対するスピナーは盾を持たない代わりに両手で槍を操り、その技は円の動きを多く含んでいた。両端に等しく刃が備わるため、片方を引けば片方が出る攻防一致の槍術は彼の用兵術とも重なる。
二人の間で金属の悲鳴と鮮やかな火花が数知れず生まれては次の瞬間この世から消える。その場でゆっくりと環を描きながら二頭の騎馬は何度も位置を入れ換えていく。
互角の打ち合い、と見えていた一騎討ちだが、徐々にスピナーが自軍の方へと押し込まれ始めた。
レギューヌの口の端が僅かに吊りあがる。
それを見て、美丈夫は眉を寄せると一度小さく歯軋りを鳴らした。その音は届かずとも顎に込められている力は相手の目に映る。
「くっ……後翼―――!」
彼が兵を動かそうとした瞬間、それに被せるようにしてレギューヌが大きく叫んだ。「突撃! このまま中央を突き破るぞ!!」
将軍の勇姿に士気を高揚させたレギューヌ隊は一斉に鬨をあげて中心へと殺到する。
二将軍の横を駆け抜けていく騎兵達。銀鳳の騎士達との斬り合いが一気に激化し、剣戟の響きが辺りに洪水となって溢れた。
この二ヶ月の戦いにおいて初めて、レストリア軍は渓谷の半ばを大きく越えてダナス軍の奥へとなだれ込んでいく。
レギューヌ将軍とその部隊の気勢はいよいよ高まり、打ち合いながら退がっていくスピナーの視界には領地の堤防となっている白馬隊の姿が映った。そこに、五騎、十騎と敵の騎兵が辿りつき始める。
――さぁ頼みますよ。リリーさん、ジョシュ
彼の眼光が僅かに鋭さを増した。
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