第4話 銀の鳳

 ダナスは鉱物資源が豊富であり、採集と加工の技術に優れる国だった。

 君主はデイナス家。現王はグレゴリア・ローグ・ド・デイナスであり、四代目となるまだまだ歴史の浅い国ではあった。

 しかしそれは隣国も大差ない。

 三つの王国が寄り添うように固まっているこの地は、河川と山脈によってその領地が分けられていた。

 東のダナス。

 西のレストリア。

 南のサイゴン。

 北から連なる荘厳な“ダナトリア山脈”の南端に、真東から流れてくる大河“レニオール河”がぶつかり、南西へと流れを変えて彼方まで続いていく。こうして土地は三分されている。

 国土が最も広いのは南のサイゴンであり、最も狭いのがダナスだ。

 西のレストリアはちょうどその中間程の面積を持つ。だが西方の国々との交易によって人口は三国一を誇っていた。そして軍の規模も。

 建国以来、常に不可侵の条約を守り友好な関係にあった三国だが、11年前にレストリア三世が急逝して現王オルソン・ニクス・ド・レストリアが王位を継承すると、翌年春に突然の侵略行為を二国へ仕掛けた。

 しかしレストリアが軍を動かすより早く、その情報が南のサイゴンへ漏れる。

 農業に力を入れているサイゴンは軍事力こそ二国に大きく劣るが、水上に関して一日の長があり早々に渡河点を封じることに成功、以降は豊富な兵糧で粘り強く防ぎ続けることとなった。

 僅かに遅れて情報を得たダナスは山脈のたった一つの切れ目であるダナトリア渓谷に辛うじて間に合い、軍を割っているレストリアにすら僅かに兵数が劣るものの充実した軍備と精強な戦士たちの力で膠着状態を生みだした。サイゴン側の奮闘のお陰で唯一の侵略ポイントとなった渓谷を守り続けながら、工業力と農業力の提携で二国は耐えてきた。

 そして十年という長い年月が流れる。

 レストリアは自国の生産能力以上に輸入出によって血の巡りがよく、断続的ながらこれほど長引いた戦乱にも潤いを失わずにいた。

 だが、ダナスとサイゴンは外側にも山脈を背負い、仮にそれを越えたとしても周辺には辺境の貧しい極小国しかなく、そのため自国の資源だけで賄い続けている。国民の生活と心は疲弊の一途を辿り、限界はもうさほど遠くはないと誰もが感じていた。


「先日王様が崩御したサイゴン……遂にレストリアに休戦を申し出たらしいんだ」

 幕舎で向かい合うなり叩きつけられたジョシュの報せに、リリーと傍らの壮年の騎士は一瞬で血の気を失った。

「さすがにこれ以上は無理でしたか……。しかし休戦など持ちかければむしろレストリアは勝機と捉えるのでは?」

 騎士は黒々とした顎髭をさする。それは彼が懊悩を抱えるときの癖だった。髭は顎から鼻の下まで繋がり、貫禄はこの中で一番と言えるが位は一人だけ低い。リリーの副官トッド・ゾブリだ。

「それが受諾したらしいよ。上の見解だと、ここでサイゴン侵攻に兵力を集中させればオレ達が一か八かの総攻撃に出かねないことを見越して、むしろサイゴンの内政がまとまらない内にこっちを総力で潰そうと考えているに違いないってさ」

 ジョシュの口ぶりは軽いが、表情にはいつもほどの余裕は浮かんでいなかった。

 サイゴン国の王位であるハイアット・エル・ブライン五世が数年の闘病の末逝去したのが10日ほど前の事だ。その報せは早馬によってダナス駐屯地に伝えられ、すぐ王都グラン・ダナスまで届けられた。正式な王位継承の儀式すらままならぬ中、しかし崩御をレストリアに気付かせぬようここまで踏み堪えてくれたのは偏に同盟国であるダナスのためだ。

「まぁ仮にレストリアがサイゴンを先に潰そうとして総力を注いでも、を攻略するのは容易じゃないと思うけどね」

「クロード提督ですか……確かに、あの若さであの軍才とカリスマ性は瞠目に値します。それだけにサイゴンの力を失うのは……重いですな」

 トッドの言葉にジョシュは深くうなずく。いまは間違っても美少女などには見えない、敵に恐れられる戦士の顔を張りつけて。

「サイゴン王崩御の報せと同時に長期戦の戦略は捨てられた。4日前にはケイオスの金獅子隊がこっちへ発っているし明日には着く。訓練兵が多く混ざっているけど王軍2万強もその後から向かってきているはずだ。そしてオレの黒狼隊と、この白馬隊、スピナーの銀鳳隊……出し惜しみなしの短期決戦になる」

 言葉を切ったジョシュは、ずっと重苦しい表情で唇を噛みしめているリリーにまっすぐな眼差しを向ける。

「リリー、総力戦だ。最後の決戦なんだよ」

 重すぎる事実を受け止めさせるかのように低く力強く投げかける声。

 彼女は悲痛な面持ちでゆっくりと頷いた。いつもは癒しの光に満ちるエメラルドの瞳が長い睫毛の向こうに逃げ込んでいた。

「敵の王軍はいつごろダナトリア渓谷に現れるでしょう?」

「サイゴン側の予測では今から3~4日後、一月前に間諜から届いたレストリアの配置や機動力じょうきょうが変わってなければやっぱり同じ計算だ。数は推測で5万以上……サイゴンの心配をしなくていいからほとんど引きつれてくるだろうね」 トッドの問いにジョシュがすかさず答える。

「こっちの本隊も3日後くらいに着くだろうけれど、最速でも夕刻かもしれない。下手をすると向こうの方が少し早く現れる可能性もある。そうなると厳しいよ……」

 それに、と言い足す。

「サイゴン攻めを一手に担っていたゾイ・バレッド将軍が北上してくる。約1万の兵力が残っているはずだ。真っ直ぐ来れば3日後の朝には布陣しているだろうね。紫竜しりゅう鉄鎖てっさ騎士団……陸じゃ本領発揮してくるな」

 隣国最強の部隊の名に、トッドもリリーも言葉が出てこない。

 ジョシュは「しまった」という顔でその黒髪を乱暴にかき乱すと、必要以上に大きな笑顔を作ってリリーの肩を叩いた。ハッと顔を上げる彼女に自信あふれる声色を紡ぐ。

「明日にはケイオスが来る。オレ達はダナス最強の四軍。そして渓谷は兵数の違いをチャラにしてくれる。ね、絶対に凌げる!」

 まるで少年のような綺麗な瞳で断言する彼に、彼女は思わず押し切られてぎこちない微笑みを浮かべた。

 それを見たトッドからも険が剥がれ落ち、これまで以上に全力で補佐することを誓い上げた。



 翌日、濃い霧が立ち込める早朝。

 前線の陣営に心地好い蹄音が響いた。急ぐでもないゆったりとした、それでいて軽やかな音色。

 周囲よりいくらか立派な幕舎の前でその葦毛の馬は歩みを止める。鞍上から一人の騎士が紫のマントを膨らませながら颯爽と降りた。

 ただ騎馬から降りる……それだけのことだが、どこか気品が香り優雅だ。そして兜を脇に抱えて歩くその姿もまた。

 三段の階段を昇る彼の背中で、銀色の長髪が朝靄を散らすように揺れた。


「―――お久しぶりです、リリーさん」

 涼やかな声と共に幕舎に入って来たその男を見て、たった一人で待っていた彼女はいそいそと立ち上がった。

「ああ、そんな改まらないでください。どうぞ腰を下ろしたままで」

「ぉ……お早うございます、スピナーさん……」

 頬を微かに染めてぎこちなく挨拶をし、リリーは言われるままに椅子へ座りなおした。

 いつ会ってもなぜかあがってしまう。火照った自分を自覚しながら彼女はその騎士に改めて顔を向ける。すでに腰を落ち着けた彼は微笑みを浮かべてまっすぐこちらを見つめていた。まるで彼の方が待っていたかのようだ。思わず細い肩が小さく跳ねる。

 切れ長の両目、蒼味がかった透き通る瞳。

 すっと高い鼻梁と優しく弧を描く桜色の唇、そっと覗く美しい歯の白。

 柳眉と同じ色の銀髪はゆるりとカールする一束が顔の前に揺れ、あとは形のよい耳まで露わにして全て後ろへ流されている。多くの女性に羨まれているその滝のような艶髪。

 各パーツと無精髭一つない頬から綺麗な細顎まで、その顔の造形は神様が何か間違えたのではないかと本気で思ってしまうほどに美しかった。だが戦傷一つない首筋には喉仏がくっきりと見え、やはり紛れもない男性なのだと再認識させる。

 纏っている鎧はこれも銀色の、ごつごつとした厚みはないがさりげなく細やかな装飾が彫られている、高貴なデザインのものだ。長身にして一見痩躯の彼に似合いすぎるほど似合っている。もっとも、彼の肉体が無駄なく鍛え上げられた筋肉に包まれていることは、その闘いぶりからも疑いようはない。

 小脇に抱える、羽飾りのついた銀の兜を被ったとき、眼前の絶世の美丈夫は名門オルトラス家の次男から戦場を戦慄させる銀鳳将軍に変わるのだ。

 スピナー・フォン・オルトラス将軍。“クレセント(三日月)”の異名で敵兵の腰を引かせる稀代の勇将。

 リリーは彼を直視できずに視線を泳がせていた。

「ふふ……貴女はどれだけ戦歴を重ねても変わらないままですね。そこが魅力なのでしょう」

 彼女のそんな様子をどこか楽しんでいるような笑い声を漏らして、スピナーはいっそう甘やかな色気を漂わせる。

「それにしても、私が“一番乗り”とは意外でした。ケイオスは仕方ないとしてジョシュはすでに来ていると思っていたのですが……」

「いや来てるし」

 幕舎の奥からひょいっと声が上がる。スピナーはそこにある大きな木箱の方へ視線を向ける……が、その蒼い瞳に驚きを浮かべているわけではない。

「ったく! 最初から気付いてたくせにわざとらしい」

 黒々とした頭髪がぴょんっと現れる。熟れたリンゴを一つ右手に弾ませながらジョシュが姿を見せた。

 憮然とした表情でスピナーを見ながら手を投げ出し、リンゴは放物線を描いて騎士の兜の中に消える。そうしながら左手に握っていたもう一つをシャクッとかじった。

「せっかく驚かそうと思ったのに、ね~リリー」

 シャリシャリ咀嚼音を立てながら拗ねた口調で言葉を振る彼に、リリーは口元を隠してくすくすと小さく笑った。

「貴方もいつになっても変わりませんねぇ、その子供っぽさは」

「うっさい! そこが好いって言ってくれる婦女子もいっぱい居るんだよ!」

「でもそれを計算されているわけじゃないでしょう? 根っから子供ですもんね」

「ちょっとリリー、コイツ一発殴ってよ」

 物騒な依頼に彼女は大慌てで手を振る。

「わ、私には無理です……!」

「リリーさんの美しい手に怪我を負わせるわけにはいきませんよ」

「あ、さり気なく抜け駆けするな! この軟派将軍!」

 びしっと人差し指を向けて叱りつけるジョシュに、スピナーは涼しい顔で肩をすくめ、リリーはまた少し朱を差しながら体を縮めた。

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