第2話 ー序章ー

<序章>


 トントントン、と床板を鳴らしながらウェイトレスが注文の品をテーブルへ運ぶ。

 丸盆の上には薄く泡を湛えたグラスが3個。金色の液体の中を細かな気泡が昇っていく。

「お待たせしました」

 タンタンタン、と慣れた手つきで置かれるとビールは波打ち、表面張力が破れてわずかにグラスの外を流れ落ちる。

 しかし、三人の男は今まさに宴たけなわであり、彼女に一瞥をくれたのは一人。あとの二人は腹から響かせているような大声で意見をぶつけあっていて、自分たちで追加したはずの冷えたビールの到着にすら気付いているか怪しい。

 ウェイトレスはテーブルの上にちらりと目をやり、半分くらい食べた辺りで手を止められている鳥の丸焼きをもったいなく思った。ここまで話に熱が入ると食べものを口に入れる暇は訪れないだろう。

 ――ま、仕方ないか

 会釈をして踵を返す。出来あがった別の料理がカウンターの上でウェイトレス達を待っている。

 離れても周りの喧騒を突き抜けて届いてくるあの三人の会話。

 この酒場でも一日の営業時間中に、最低一度はどこかのテーブルで論じられるテーマ。

 この土地の民ならば最も熱くなって然るべきそれは、かの“十年戦争”の英雄談義だった。

 ――最強の将といえば?――

 もはや1世紀以上も昔の戦争。

 だからこそ、こうして酒の肴に盛り上がれるのだろう。

 戦時中、そして戦後しばらくは民の多くが極度の貧困に苦しみ、もう戦のことなど考えたくもないと思っていたものだ。というのは祖父母のさらに祖父母のさらに……というご先祖様から語り継がれてきた話。ウェイトレスはいま自分がこうして酒場で働いていることに感謝の一つもしなければいけないんだなと想う。

 数多の伝説の将達が名を挙げられていく。その多くは今でこそ本名で回顧されるが、当時は様々な異名の方が鳴り響いていたらしい。“馬斬り”とか“ブラッディー”とか……物騒な二つ名は味方を鼓舞し、敵の肝を震えあがらせる効果があったのだろう。

 散々、「あの人だ」「いやあの方こそ」とどこがどう凄いのかを分析しながら半ば怒鳴り合った挙句、討論の終着点はいつだって誰だって変わらない。

「でもやっぱ一人だけって言われたらな……」

 ようやく気勢も落ちついてきたテーブルで、男は白い泡がすっかり消え去ったグラスを浮かした。

 残る二人も自然とそれに倣う。

「“最”強だからな、結論は一人さ。そうすりゃ結局……あの方に決まってんだよな」

 三人は改まったように視線を交わし、そして壁に掛けられた絵に注いだ。

 エド・ナスラの署名が入った、ある人物の肖像画。この土地のあらゆる施設で見ることのできる絵。

 三人は憧憬を瞳に浮かべ、そしてそれぞれのグラスを目線より高く掲げた。

「救国の英雄―――」

 すると、周囲のテーブルからも待っていたように声があがる。

 十数人の客の誰もがひとつの名を高らかに謳いあげた。いくつもの腕の先に揺れるグラスの中で店の灯りが煌めく。

「―――乾杯!」

 こうして毎晩、幾つもの盛り場で、今日という日の平和がいつまでも続くことを願って人々は心を一つにする。


 それは世界の片隅。

 地図の端に小さくも色彩豊かに咲き、やがて時代に呑まれていったある王国。

 そこに命を燃やした徒花のような、英雄の物語―――。



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