第7話 ヒーローは絶対に負けません

 コロシアム中の視線が、一斉に私の方へと集まっていた。




「姉御さーーーーんッ!!負けるなああああああああああああああああッ!!!!」




 気が付くと、私は観客席の一番前で無我夢中に姉御さんを応援するよう、声を大にして叫んでいました。


 どんな強敵が前に立ちはだかろうとも、どんな苦難に阻まれようとも、その度に乗り越えていく最強のヒーロー……そんな彼女が倒れる姿を見て、私の体は恐怖で震え上がった。

 まるで、何もかもがなくなってしまうような、そんな感情に押し潰されてしまいそうになりながら……。



「はぁ?なんでお姫ちんがここに……ちょっと!見張り共は一体何してたわけぇ!?」



 ブラディックの声が響き渡る。捕らえていたはずの私の姿を目の当たりにして、会場中がざわつき始めた。


 でも、そんなこと、今はどうだっていいんです……今はただ、姉御さんのために何かしてあげたかった。

 姉御さんが一人私達のために戦っている中、恐怖に怯えているだけなんて嫌だ……何の力もない私だけど、考えるより先に、体は勝手に行動を起こしていました。



「……ナ、ナ……ナナなのか……?」


「姉御さん……姉御さんッ!!勝って!!負けないで!!一人じゃない、私達がついてるからッ!!!!」



 意識を取り戻し、ふらふらと立ち上がる姉御さんの姿に、私は観客席を乗り越え、彼女の元へ駆けつけようと仕切りに足を掛けた。



「姫様、危ない!!奴に近づくのはあまりに危険すぎます!!」


「ペテロ……は、離してッ!!」



 瞬間、取り乱す私の姿を見兼ね、奥の席からペテロが飛び出してきた。肩を持ち、飛び出して行こうとする私を必死で引き止めします。



 そんな最中、姉御さんは再び構えをとり、果敢にブラディックへと立ち向かっていました。



「ナナ……アタシは……」


「……まあいいや、あの子へのお仕置きはあんたを潰してからでも遅くないしー。ほら、負けるなだってさ……さっさとあっしを倒してみろってーの、オラァ!」


「ガハッ……ッ!!」



 ブラディックの豪快な回し蹴りが、姉御さんの顔面目掛けて突き刺さる。と、姉御さんは再び血を撒き散らしながら、地べたに叩きつけられた。


 そんな姿に、私は耐えられない気持ちで胸を締め付けられました。



「姉御さんッ!!」


「だ、ダメだ、歯が立たない……やっぱりあいつに勝とうだなんて無茶だったんだ……」


「ダメじゃない!!ペテロ、諦めないで!!姉御さんは私達を……私達の故郷を救うために必死で戦っているんです!なのに、私達が先に諦めてしまうなんて……そんな事、私が許しませんッ!!」


「ひ、姫様……」



 弱気になるペテロを、私は大声で怒鳴りつけました。その行為はきっと、”諦めるな”と自分に言い聞かせるためでもあったのかもしれません。


 確かに、ブラディックは恐ろしく強い。でも、それでも、姉御さんは……ヒーローは絶対に負けない……そう信じている。信じ続けていたかった。

 頑固に、まるで駄々をこねる子供のような気持ちで、私は目に涙を浮かべました。



「ヒーローは絶対に負けません……絶対、負けないんだから……姉御さんッ!!頑張れーーッ!!」


「くっ……頑張れええええッ!!!」


「ペテロ……!」


「僕も……諦めたくありません!!僕では何の力にもなれない……けど、せめて、声援を送るぐらいのことは……頑張れええええええーーーーッ!!!!」



 握り締めたペテロの拳がふるふると震える。涙目になりながら、彼もまた姉御さんと共に戦うことを決意しました。



「頑張れええええええええッ!!姉御さーーんッ!!!!」



 私達は心の底から、力の限り叫びました。


 そんな私達の姿に、ブラディックの圧力に怯え、後ろで小さくなっていた都の人達も徐々に感化され、人々は次々と前列へと集まり、姉御さんに声援を送り始めました。



「みんな!……頑張れえええええええーーーーーッ!!!!姉御ーーーーーッ!!!!」



 声援はどんどんと大きなものとなり、やがて、コロシアム全体に鳴り響いた。




 。。。。。



(……聞こえる、ナナの声が……いや、それ以外にも何か……やけに騒がしい……)



 霞む意識の中、モヤモヤとまるで水中にいるかのようなボヤける周囲の音に、姉御は耳を傾ける。




 ”頑張れええええええええええッ!!!”


 ”負けるなあああああああああッ!!!”


 ”私達の故郷を救ってーーーッ!!!”




 ふと確かに聞こえてくる言葉の数々に、姉御の目元は思わず熱くなった。それは幻聴ではない、紛れもなく、自分への本物の声援だった。


 姉御はその声に反応し、ゆっくりと地べたから体を起こした。



「なーにー?急に調子付いちゃって……うっさいだけで、割とマジでウザいんですけど……あんたもボーッとしてんじゃーないわよ!」



 聞こえてくる姉御への声援に苛立ちを覚えながら、ブラディックは棒立ちする姉御の顔に再び蹴りをお見舞いした。


 が、しかし、勢いよく蹴り出されたその攻撃を、姉御は耐えた。


 地に足を叩きつけ、攻撃の勢いを殺す。


 倒れない。


 倒れはしない。


 既に限界であるはずの肉体を奮い立たせ、不屈の精神で耐え抜いた。歯を食いしばり、拳を強く握り締める。



「ぐぐ……ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーッ!!!!!!!!」



 姉御は不意に涙を流しながら、魂の底から叫び声をあげた。


 大地を震わせ、天をも貫ぬかんばかりのその雄叫びに、観客席で声援を送っていた都の人々も、釣られて歓声をあげた。



「うるさあああああーーーーいッ!!!!全く、いちいち鬱陶しい連中ね……叫びゃー強くなるわけでも……」



 ブラディックがそう口にした瞬間、突如、姉御の体に変化が起こった。



 姉御から発する覇気が、大地を切り裂きコロシアム全体を揺らしていた。

 今までよりも真っ赤に、より強い光を放ちながら、姉御の周りをバチバチと電流が駆け巡った。


 この変化した姉御の姿には、流石のブラディックも驚きを顕にし、思わず後退りをした。



「な、何それ……まさか、たかだが小汚い奴隷共の声援如きで、あんたはさらなる領域ステージへと到達したっていうわけ……?」



 額に大量の汗を浮かべ声を震わせながら、ブラディックはこちらを鋭く一点に見詰めてくる姉御に問いかけた。


 しかし、姉御は口を開くことはなかった。


 その態度に対して、先程までの焦りとは裏腹に、ブラディックは嬉しそうにケタケタと笑い声をあげ始めた。



「ふふ……ハハ、アーハッハッハッハッ!!!凄い!!マジで凄いよあんた!!超テンション上がっちゃうんですけど!!!牙族はさらに進化するというのなら、こんなに愉快なことはない!!!」



 頭を掻きむしりながら一通り不気味に笑尽くすと、ブラディックは目をギラつかせ、姉御に急接近する。


 そしてそのまま、己の全力の拳を姉御に浴びせた。そして、勢いよく吹き飛んだ彼女の肉体を追跡し、さらなる追撃を与えた。



「このあっしブラディック様は、生まれながらにして圧倒的な力を持ってたわけよ……金も地位も名誉も!欲しいものは全て力で手に入れてきた!……けどさぁ、正直飽きてきちゃってたわけよ、これが。この花の都とやらを落としたのもほんの暇潰しにすぎなかったわけだしぃ……魔王様ってのは傲慢で自分勝手で……退屈しちゃってるわけよ、お判り?」



 ベラベラと語る最中も、ブラディックは、一切反撃せずただ無言で攻撃を受け続ける姉御に容赦無く攻撃を浴びせ続けた。


 追撃しては姉御を吹っ飛ばし、また追撃しては姉御を吹っ飛ばす。まるで、空を自由自在に飛び回るかのように、ブラディックはコロシアム中をグリングリンと駆け巡った。



「けど、結果としてここを手中に収めたのは大正解!何たって、あんたみたいな面白い女と出会えたから!さあ、進化した力を早く見せて!!その力で、あっしをさらなる高みへ連れて行ってちょうだいッ!!!!」



 そう語った直後、ブラディックは指先を突き出し爪を立てると、指先から邪悪な覇気を溢れ出させた。



爪邪炎魔フィンガーフレアーーーーーッ!!!!」



 紫色の不気味な炎が噴出する爪を突き立てて、強大な女子力を纏う。ブラディックは本気で、殺す勢いで姉御に飛び掛っていった。




 が、しかし……一瞬、本当に一瞬、何が起こったのかわからなかった。


 目に見えない程の、あまりにも速すぎる姉御の動きにより、ブラディックはあっさりと手首を掴まれ、本気で放ったはずの必殺技はいとも簡単に防がれてしまった。



「なっ……」



 開いた口が塞がらない。


 驚きに体を硬直させたブラディックに、姉御はようやく口を開いた。



「いい加減にしろ。人を散々虫ケラみたいに見下しやがって……」


「ぐっ……」



 掴まれた腕を振り払い、ブラディックは姉御の腹部に強烈な一撃をお見舞いした。


 しかし、その攻撃に姉御は顔色一つ変えず堂々としていた。先程までとは比べものにならない程の頑丈さに、ブラディックはビリビリと体の芯から震え上がった。



「私利私欲のために、貴様一体どれだけの人を苦しめれば気が済むんだ?……テメェはアタシが倒す、倒さなきゃならない。この……クソ野郎がーーーーッ!!」



 大声をあげると共に、姉御はブラディックに強く握り締めた拳を突き出した。


 その攻撃を受ける一歩手前で、ブラディックは指先から漏れ出す紫色の炎を盾とし、間一髪姉御の攻撃を防いだ。


 が、その攻撃はとてつもなく重く、防いだにも拘らずブラディックの体は大きく後ろへと吹き飛ばされた。



「カハッ……!!なっ……一体、何が起こってるわけ……?」



 口から大量の血をボタボタと垂らしながら、ブラディックは腹部を抱えて目をカッと見開いた。



「常に頂点へ立ち続ける魔王がこの失態……これあっし、マジでヤヴァイ化け物を生み出しちゃった感じ?……だったら、その責任もまた、この魔王、ブラディックが取らなきゃー席が務まらないっしょ……爪邪炎魔フィンガーフレアッ!!魔棲禁愚帝腐マスキングテープッ!!」



 淡々と言葉を並べながら、ブラディックは自身の女子力を最大にまで高め、必殺技を連発した。指先から轟々と燃え盛る紫炎を放ち、光のムチが姉御目掛けて地面を這いずり回った。


 しかし無情、覚醒した姉御には、その力はまるで無力。驚異の速さで闘技場を縦横無尽に駆け回り、その攻撃を軽々と回避しながらブラディックの元へと接近していった。



「……マジかよ。これで通用しないって……こりゃ俗に言う万策尽きた的な……」



 ボソボソと独り言を呟いたその瞬間、姉御はまるで瞬間移動したかのような速さでブラディックの背後へと回り込み、メキメキと鈍い音を鳴り響かせながらその拳を握り締めた。



「ハハ……あんた、マジ女子力高すぎぃ……」



 後ろから押し寄せる尋常でないプレッシャー、轟々と湧き上がる恐ろしい覇気に、ブラディックは背筋を凍らせた。



 唸りとも奇声とも言える叫び声をあげると共に、今まさに振り下ろさんとする握り拳を、ブラディックの背中目掛けて姉御は全力で振り下ろした。


 刹那、そのあまりの破壊力に地面はエグれ、観客席を通過し風圧でコロシアムの頑丈な壁を破壊し、バッコリと大きな穴を開けた。


 やがて、舞い上がった土煙が晴れ、中から2人の少女の姿が露わとなった。



「……ハハハッ、これはマジ予想外っしょ……マジ……ウケる……」



 覚醒した姉御の一撃に、ブラディックは全身から煙を上げ、真っ白に燃え尽き地面にバタリと倒れた。



「傲慢で絶倫なあっしを、たった一撃で満たしちゃうなんて……あんたなら、そのうち噂の”トップ・オブ・エンペラー”をも超えちゃうのかもね……ハハ、超ウケる……」



 枯れた声を振り絞ると、ブラディックは目を閉じスッと意識を失った。




「……勝った……アタシの勝ちだああああああああああああッ!!!!」




 掴み取った勝利に、姉御は魂の底から叫び声をあげた。そんな姉御の姿に、都の人々は歓喜に沸き上り、一斉に観客席を乗り越え姉御の元へと駆けていった。



「姉御さんっ!!!」



 そんな中、誰よりも速くナナは姉御の元へと駆け寄り、彼女に抱きかかった。


 目を涙でいっぱいに溢れさせながら、胸に頭を疼くめる。



「おいおい、相変わらず大袈裟だな、あんたは……ごめんよ、心配かけて」


「ほんとですよ……もうダメかと思いました……でも、信じてたから……ヒーローは絶対に負けません!!姉御さんは私にとって……ここにいる人達みんなにとってのヒーローなんです!牙族だとか、そんなの関係ない……みんな……私は、姉御さんが大好きなんだからッ!!」



 涙目に強く訴えるナナの姿に、姉御はグッと胸を締め付けられるような思いになる。目元を熱くさせながら、ふっと優しい笑みを浮かべた。



「ありがとな、ナナ……約束を守らなきゃ漢女が廃るってもんだろ?……ともあれこれで……」


「……行かないでください」


「……えっ?」


「……姉御さん!!私と、家族になってください!!」


「えっ……ええっ!!?」



 ナナの突然且つあまりに予想外の言葉に、姉御は思わず声をあげて驚きを顕にした。



「帰る場所も行く宛もないなら、ここで暮らせばいいんですよ!今はまだ復興に時間がかかるかもしれませんが……みんな、姉御さんのことが大好きなんです!私としても、姉御さんが居てくれるととっても嬉しいんですッ!」


「あ、ああ……家族ってそういう意味ね……なんだ焦った……」


「名前だって考えたんです!いつまでも”姉御さん”って言うのもアレですし……私達、花の都からの感謝の意味を込めて……”ダリア”というのはどうでしょう!?」


「”ダリア”……」



 ダリア……それは2人が旅の途中に見つけた美しい花の名だということを、姉御は忘れてはいなかった。


 2人で過ごした時間が脳裏に過る。次の瞬間、姉御は照れ隠しのように笑い声をあげた。



「ハ、ハハハ……ほんと面白い奴だよ、あんたは……」


「なっ……こっちは真剣に言ってるのに、なんで笑うんですかッ!?」


「いやぁ、すまんすまん。ダリア……か……へへ、確かにあんたと過ごす日々も、悪くない……かも……な……」


「姉御さん?……姉御さん!!?」



 と、ここで、疲労から姉御は突然足元をふらつかせる。そのまま真っ赤に牙化した状態からスッと元の姿へと戻り、意識を失い地面に倒れた。


 遠退く意識の中、ナナの声が頭に鳴り響く。どこか満たされたような、そんな気持ちになりながら、姉御はゆっくりと目を閉じていった。



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