第5章Bパート
ラッキーと祖父。少しずつだが、二人と向き合えるようになってきた気がする。能力を手にしてから本当に色々なことがあった。
今日は八月五日日曜日。ラッキーを連れて祖父の家へ向かった。リュックには掃除用具一式が詰まっている。罪滅ぼしにはならないが、祖父への思いを風化させないらめにも僕が掃除するのが正しいと思った。
途中、見覚えのある家の前を通り過ぎた。祖父の家は篠原さんの家に近いことに今更ながら気が付く。
彼女の家にプリントを届けに行った時は舞い上がっていたし、考え事をしていたので、周りの景色など視界に入っていなかった。
篠原さんは確か夏休みの頭から祭の前日くらいまでは家族で旅行らしい。
彼女の家から中年の女性が出てきた。僕の記憶が確かならあれは篠原さんの母親だ。中学の頃の三者面談ですれ違った覚えがある。篠原さんは母親似なんだなと思った記憶が確かにある。
もう既に旅行に行ってるはずだが、一体どういうことだろうか。
篠原さんの家の前には一台の車が停まっており、家の中には父親らしき人が新聞を読んでいる。二階の方へ目を向けると、もう昼過ぎだというのにカーテンが閉まったままだ。
これは篠原さんが風邪をひいて、旅行は延期、もしくは中止になったということなのだろうか。
急に路上で立ち止まったせいか、ラッキーが不安げな目をして僕の顔を覗いている。
篠原さんの体調を心配しつつ、祖父の家を目指してまた歩き始めることにした。篠原さんの風邪が祭まで長引かなければいいのだけど。
祖父の家の掃除を終え自宅に帰ると、僕宛てに荷物が届いていた。
「何だろこれ? 何か注文した覚えもないしなあ」
差出人を見てみると、送り主は僕が卒業した中学校からだった。高校生活や悪魔にまつわる様々な出来事ですっかり忘れていたが、ついに卒業アルバムが完成したのだ。
荷物の中には遅れて申し訳ありませんといった内容の手紙と、卒業アルバムが入っていた。
「それにしても随分遅れたんだなあ。ま、多分僕のせいだけど」
そう自嘲ぎみに笑いつつアルバムをパラパラとめくるっていると、やはりどの写真も僕は何かしらハプニングに巻き込まれている。
まともに撮れているのは集合写真くらいだ。
アルバムを見ていると、やはり篠原さんの映っている写真が目につく。
「やっぱり可愛いなあ。……ん?」
アルバムを見てある重大なことに気が付いた。いや、思い出した。むしろなぜ今まで忘れていたのだろうか。
「篠原さんは、眼帯をつけていたんだった」
ぽつりと、そんな当たり前だったことが口からこぼれた。そう、当たり前だったのだ。
「高校に入ってから、篠原さんの眼帯は……」
駄目だ、まったく思い出せない。いや、くりくりとした丸い両目が僕を見つめていた、気がする。なぜだろう、なぜこんなことが思い出せないのだろう。
確かめようにも写真もない。自分の頭の中で避けていた考えが、いよいよ現実味を帯びてきた。
ある仮定を立ててしまうと、今まで腑に落ちなかったことに合点がいってしまう。事態の収束はもうすぐそこまで近づいてきていた。
祭りの前々日、翔と慎の都合が合うということで、僕らは集まることにした。場所は僕の家。友達を自分の家に連れてくるなんて初めてだ。
「へえー、きれいにしてるじゃねーか」
慎はそう言うと躊躇うことなくベッドに腰掛け、その下を覗いている。携帯の画面の光を手がかりに手を突っ込んで何か漁っているようだ。
「慎が期待するようなものは多分ないよ」
「嘘つけ嘘つけ、あるんだろー? だよな翔」
「ああ、間違いなくある。テンプレートだ」
何だか突っ込むのも面倒になってきた。そんな慎は無視して、話題を変える。
「そんなことより、今日はそれぞれ集めてきた情報をまとめて共有しようって話だったよね?」
「うむ。俺と慎はバイト先や部活仲間からの聞き込みの情報が主だな」
翔は上着を脱ぎながらそう言った。上着の下のTシャツには「コミカ84」という文字とアニメのキャラクターが描かれている。非常に充実した夏だったようだ。
「僕は今までの事件を分析してみた。起こった場所だとか時間とか」
「ほうほう悠君、素晴らしい仕事ぶりですな。本日まで隊長を張ってきただけあるぜ」
「そう言う慎は有力な情報あったの?」
「おし! まとめをよろしく翔君!」
僕と翔は思わず顔を見合わせた。
僕らが集めた情報をまとめると次のようになる。
まず一つ目、事件の近況。丁度、僕達が夏休みに入った頃から事件はぱたりとその影を潜めたらしい。
最後に事件が起こったのは七月二七日金曜日で、夏休みは七月二八日から。つまり今のところ、七月二八日から今日八月一六日までの約三週間事件が起きなかったということだ。
二つ目、事件の分析。僕らは最初に事件が起こったのが五月だと思っていた。だが実は四月にも同様の事件が起こっていることが判明した。
また、この記憶障害傷害事件は最初の事件発生(四月)から時間が経つにつれて、事件の発生頻度が増加し続けている。
しかもこれには一定の法則性がある。全体的に見れば、確かに事件発生頻度は増加し続けている。
しかし月単位で見ると、第一週の事件発生件数は少ないが、ほぼ必ず一八日を含む週にピークを迎える。
ピークに達すると、その次の週の事件発生件数は激減し、翌月の第一週後半から再び事件発生件数が増加し始める。
更にもう一つの特徴がある。それは事件の発生した場所だ。時間の経過とともに事件発生現場が遠くへ広がっているのだ。
一見バラバラな場所で起こっているかのように見えるが、僕の家の近所、つまり二件目の事件が発生した丘の上の公園を中心とした楕円形(丘を下ることはできないので、円形ではなく楕円形なのだろう)に事件範囲が広がっているのだ。
ただ、この範囲の法則性には例外がある。一八日だけこれらの法則から外れ、予測ラインよりも遥か遠い場所で事件が発生する。
加えて、通常一日つき一件しか事件は発生しないが、一八日は一夜に何件も事件が発生する。
「……以上だ。これからどうプロファイルしていくか、ということだな」
翔はノートに図や表を書き込みながら、僕らが集めた情報を整理した。
「単純に考えりゃあ、俺達の学校の生徒って線はあるよな」
慎はキッパリとそう言った。
「しかし相関関係と因果関係を混ぜこぜにするのは非常に危険だ」
翔はまるで学者みたいな風格だ。
「はあ? なんだよそれ。ソーカン? 食えんのか? エロいのか?」
「慎、お前にも分かるように言えば、七月二八日付近にたまたま犯人が交通事故で動けなくなったから、事件が発生してないだけかもしれないだろう? つまり夏休みは、事件が発生していないことの直接の原因にはなっていない訳だ。――とは言え、犯人を絞る要素の一つにはなり得るな」
「さすが翔。犯人はどんな人物だと思う?」
心の中で彼女を思い浮かべる。そして翔の言う犯人像とその人物が一致しないことを願いつつ、翔の返答を待った。
「…………丘の上の公園付近に住む、我が校の女学生。恐らくは二重人格者」
翔の言葉を聞いて愕然とした。翔がこう考えていることにも衝撃を受けたが、僕達が推測出来る範囲である、と言うことは暁さんも推測出来る可能性が高いことを示唆している。それはつまり――
「マジ? さっきインガとかソーカンとか言ってたのは何だったんだよ」
慎がぼやいていたが、少しも耳に入らない。
「根拠は……?」
「まず、丘の上の公園在住という点。これは当然、犯行現場の拡大の中心地だからだ。初めは近場で傷害行為を行っていたが、犯行の発覚を恐れて範囲を拡大、そんな所だろう」
翔は持ってきた町の地図を広げながら言った。事件の件数や発生現場によって、色分けされている。
「次に女性という点。これはほとんど根拠なしだが。被害者の傷の状態は打撲や引っかき傷が多いみたいなんだが、犯人が男性の場合もっと重傷になる可能性がある。もちろん小柄な男性の場合もあるが」
コップに注がれた麦茶で喉を潤す。部屋が暑い訳でもないのに異様に喉が渇く。
翔の仮説に慎も珍しく真面目に耳を傾けている。時折、慎の視線がこちらに刺さる。その度に本当のことを相談できないもどかしさが、胸にこみ上げる。
僕は次第に伏し目がちになっていたが、翔はそのまま話を続けた。
「次に我が校の学生という点。これはさっきの夏休みの件もあるんだが、この日の前後に犯人の生活環境を変化させる出来事があったか洗ってみた」
今度は新聞記事や地方雑誌、果ては様々な学校新聞まで集めてスクラップにしたファイルを取り出して見せてくれた。
「だが、驚くほどに何もなかった。交通事故、事件、学校行事、その他諸々何もなかった。このことが我が校の学生説を強める訳だ」
確かに何もない。これは各学校や会社でこの事件の対策を打ってることも原因に思える。
「最後、二重人格者であるという点。これは最初の事件発生から事件件数、頻度は増しているにも関わらず、月の半ばがピークだったり、夏休みになって事件が発生しなくなったのは、主人格が第二人格の行動を止めようとしていると考えるとしっくり来る」
「……すげえ長いセリフ。まあ、確かに納得できなくもねえけどよお、最後の二重人格ってのはかなりのこじつけだと思うぜ」
「む、慎の割に鋭いな。確かに二重人格は俺の脚色だな。そっちの方がファンタジーだからな。だが、犯人が快楽的犯罪者ではないのは確かだ」
翔は薄く笑いながらそう言った。
「快楽的なら事件発生件数と頻度は減ることなく増し続けるもんね」
気休め的にそう補足する。
「そういうことだ。しかし――」
「しかし?」
翔は右手を軽く握り、顎をさすった。
「月の事件発生頻度のピークが必ず一八日というのが、どうにも奇妙だ。それだけがこじつけすらできん。犯人のラッキーナンバーか何かか?」
情報交換をした後僕らは、二日後に迫った夏祭りとパトロールのプランを練っていた。
「んじゃ、パトロールは明日、後は学校が始まってからだな」
慎は手帳にすらすらと書き込んでいる。
「そう言えば慎は夏祭りに神田さんを誘わなかったの?」
ふと気になって慎に聞いてみる。
「んなもん誘ったに決まってんだろ」
と矢継ぎ早に慎。
「愚問だな。そして断られたに決まってんだろ」
翔が慎の口調を真似した。
「なっ、てめっ、翔、おめえって奴はどうして真実を包み隠さず言っちまうんだよ」
「あ、やっぱり断られたんだ」
「やっぱりってなんだ、やっぱりって。くー、悠は俺の味方だと思ってたのによ!」
「それなのによく皆で一緒に祭行く気になったね」
純ともあまり仲が良くない慎と、そもそも乗り気じゃなかった翔が、いくら思い出になるからと言って祭に参加するのが不思議だった。
「バッカやろう、そりゃあ神田さんとは行きたかったけどな、そのー、アレだ、そう、大人数で馬鹿騒ぎすんのが楽しいだろ!」
慎はなぜか言葉を濁している。
「ふっ。悠、慎はお前が篠原さんとツーショットになる機会を作ってやりたかったのだ。うまくやれよ」
な、何を、翔は何を言っているんだろう?いつ僕が篠原さんのことを好きだなんて……
「馬鹿っ、言っちまったら俺のクールな演出が台無しだろ翔! まー、しかし本当に顔に出やすい奴だな。悠が篠原さんにホの字なんてのは、見りゃ分かるっつーの!」
翔は何だか少し照れながらそう言った。僕には――
「僕にはそんな資格……」
――ない。沈黙を壊して無理矢理手に入れた友情、僕の不運に巻き込まれた篠原さん。
どれも僕には荷が重すぎた。しかし自分の罪を数えながらも、そのどちらも僕が欲してやまないものだ。でも、だからこそ一線を引かなくてはならない。僕が悪魔の契約者である限り。
「資格ねえ。確かに今の悠にはねえかもな。なら手に入れるっきゃねーだろ」
「え?」
慎の一言は意外だった。僕が壊した三人の間の沈黙。それは言わば否定されることへの拒絶、そう考えていた。だから今まで、自分が否定されることなどない安心感に入り浸っていた。
「あんなイイ女に手ぇだそうとするんだ。少しは男を見せなきゃものにする資格なんてねえっつーの。祭でバッチシ決めてこい悠!」
慎はニカッと歯を見せて笑った。違ったのだ。沈黙とは否定しないことではない。無関心でいないことなのだ。
「そうだそ悠。フランシスが保守派に捕らわれていたアンリを開放した後、プロポーズを見事成功させたように、男は困難に立ち向かってこそ、それを手にする資格が得られるのだ」
フランシス? ああ、またロウツバか。まったく翔は……
「またロウツバかよ!」
慎は僕が考えていたこととまったく同じことを叫んだ。
そして翔は例によって例のごとく、ぼそぼそとどんどん小声になりつつ、かつどんどん早口で、ロウツバの名シーンのセリフを暗唱していった。
一通り演じきると、我に返った様子で翔は僕らの顔を見た。目が合った瞬間、窓が開きっぱなしの僕の部屋を朗らかな笑い声が包む。
夏祭り前日の深夜、僕らは情報をまとめた結果をもとに、いくつかの場所を重点的にパトロールした。
今日は八月の第三週。今のところ事件はその影を潜めているが、事件が発生するとすれば先月の第三週よりも更に遠く、かつ丘から町へ下る場所で事件が発生するはずだ。
しかし、しばらく捜索しても皆事件を恐れて外出を控えているせいなのか、事件らしい事件や、不審な姿、物音には何一つ出くわさなかった。
「やっぱもう犯人は事件を起こさねえか」
慎が半ば投げやり気味にそう言った。
「犯人二重人格者説を採用するなら、とっくに精神病院送りになっているかもしれんな」
「翔はやっぱり二重人格者説が有力だって考えてるんだ?」
改めて翔に聞いてみる。おそらく事件の法則性と動機には何らかの因果関係がある。それが何かはまだ分からないが、翔なら真相に近い意見を持っているのではないかと期待していた。
「むう、何と言うか動機に乏しい事件だからな。被害者たちに関係性はなく、致命傷はない。だが何らかの方法で事件を隠そうとしている。何をしたいのかが分からない。ともすれば精神異常か二重人格を疑った方がしっくり来る。ただそれだけだがな」
確かにその通りだ。記憶障害の件はおそらく悪魔の能力に間違いない。しかしその動機が謎だ。犯人があの人物だとしても、動機がまったく分からない。
その後数か所回っても何の収穫も得られないまま、僕らは解散した。
夏祭り当日。八月一八日土曜日、午後三時五五分。
夏祭りは駅から少し歩いた所にある、野外イベント会場で行われる。集合場所であるこの町唯一の駅は、時代を感じさせるレンガ調の駅舎、駅の前にある三枚の羽根を模した銀色のモニュメントが特徴的だ。
集合時間は四時だったが、僕と翔はその五分前に集まっていた。
僕は短パンにポロシャツ、サンダルという格好だったが、翔はしっかり浴衣を着ていて驚いた。浴衣に驚いたのではなく、痛い浴衣とかではない普通の浴衣を着ていて驚いたのだ。
「祭には浴衣だろう? 痛い柄かと思っただと? 俺は伝統を汚す真似はしない。いくらラーメンが旨いと言っても、スープの中に同じく旨い寿司が入っていたとしたら、それは違うだろう?」
翔はそんなことをさらりと言った。分かるような、分からないような。
午後四時ちょうど、我がクラスの三人娘が勢揃いした。
背の高い純は、紺に一見模様のような金魚の柄の浴衣を着ている。落ち着いた柄がすらりとした彼女にぴったりだ。
その後ろでもじもじしている舞は淡いピンクに牡丹柄で、かなり気合の入った浴衣だ。
そして篠原さん。決して派手すぎない水色の浴衣に、朝顔が映えている。
今まで何度も見とれたことがあるが、今回は特に長い時間、彼女の姿に見とれてしまった。三人ともいつもより格段にきれいに見えたが、やはり篠原さんは別格だ。
「ごめーん、待ったあー? おおー、小野寺くんだー!」
「あ……小野寺君浴衣着てきたんだ。すっごく似合ってる……」
舞はさっきまでもじもじしていたのに、翔の浴衣姿を見てテンションが上がったようだ。
「む、そうか?」
翔は舞と純に絡まれて大変そうだ。
「こんばんは、末道君。末道君は浴衣着て来なかったんだ」
「あ、こんばんは篠原さん。浴衣持ってなかったからね。夏祭りに来るのも本当に久しぶりだし」
そう、僕の不幸がたくさんの人に影響を与えるといけないと思って、夏祭りに来ることなんて自分の不幸に自覚的になってからは一度もなかった。
午後四時三〇分、慎はまだ現れない。
「それにしてもあのオマケ二号はまだ来ないの!? 女の子を待たせるなんて最ッ低」
純は大分いらいらしているようだ。すると下駄の鳴る音が聞こえてきた。音がする方を見ると、けだるそうに歩く甚平を着た慎がいた。
「わりい、遅れた」
「遅れたじゃないでしょ! あんたねえ、謝り方ってもんがあんでしょ!? 三〇分も女の子を待たせるとかあり得ない!」
純は今にも頭から煙が出そうな表情だ。
「まあまあ純、落ち着いて。お詫びにりんご飴好きなだけ御馳走してくれるって! ね、そうでしょ織川君?」
篠原さんが満面の笑顔で慎を見つめた。
「え? あ、そうそう! やっぱり態度より行動で誠意を示そうかと! さあさあ、お嬢さん方、好きなだけりんご飴を食べたまえ」
そう言って慎はのしのしと祭り会場の方へ歩き出した。
「遅れたとは言え随分気前がいいな、今日の慎は」
僕も翔の言葉に同感だ。
僕達六人はイベント会場に着くと、出店を見て回った。女子三人は慎の気が変わらないうちに、入り口近くの飴屋でりんご飴をおごってもらったようだ。
一通り見て回ると、慎が肘で僕をつつき、親指を立てて僕と目を合わせた。
「おい! 翔、あそこの射的の景品、ロウツバのフィギュアじゃえのか!?」
「何だと? む、あれはイカロスの絶版プライズフィギュア! これは僥倖!」
翔が目を輝かせると、慎と翔はその射的屋まで突撃していった。その勢いたるや、陸上部も真っ青なくらいだ。
「え、どこ行くの、小野寺君……」
二人の突然の行動に驚いていたものの、離されまいと舞も二人に続いて走り出す。
「ちょっと、舞!」
そして純も釣られて走る。なるほど、そういうことか。僕たちは慎と翔の思惑通り、二人きりにされた。
日が落ち、出店の提灯が夏の夜に賑やかに浮かぶ。たくさんの人、浴衣、りんご飴、夏祭り、仲良し六人組。そこにいる自分。まるで夢のようだ。
夢ならいいんだ。僕の嫌な予感、いや、予想も。
「あれー、皆行っちゃったね」
篠原さんは遠ざかる四人を眺めながら言った。
「あ、あのさ」
「何? 末通君」
「そ、そう言えば、もう少しで花火が上がる時間だよ……ね」
左手の時計を見る篠原さん。袖が垂れ下がり、白くて細い腕が見える。思わず生唾を飲み込む。
「もうそんな時間なんだ。楽しい時間が経つのは早いって本当だねー」
「それで、その、橋の方に行かない? 今から行けばいい場所取れるんだ」
慎と翔にそそのかされてから、二人気になる方法を考えておいたのだ。相変わらず少し吃り気味だけど。
「いいね、でも四人はいいの?」
「大丈夫、皆翔にべったりだから」
僕たちはイベント会場から離れ、橋へ向かった。十分ほど歩くと橋に着いた。もう既にちらほらと花火待ちの人がいる。
駅周辺と住宅街を分かつ大きな川に架かるこの橋は、この町の数少ない観光地となっている。橋から河口を見た夕焼けが有名で、絵葉書にもなっている。
結局橋に着くまでの間、僕は何を何から話していいか分からず、黙ってここまで来てしまった。考えていたのは誘うところまでだったのだ。
聞きたいことは山とある。しかし、どれもこれも聞きにくいことばかりだ。特に、あの事件に関わることなんて。
「もう、末道君歩くの早いよ」
そうだ、僕は短パンだが篠原さんは浴衣だったのだ。歩くペースなんて考える余裕は少しも持ち合わせていなかった。
「ご、ごめん。何だか緊張しちゃって」
神田さんの忠告を生かして、どうせ顔に出てバレるのなら、もう口に出してしまうことにする。これは忠告を生かせているのだろうか。
「あはは、素直だなあ末道君は。でも、こんな可憐な浴衣姿の美少女の前だからしょうがないよね」
「そう来るんだ」
「うん、そう来ちゃう」
僕たちは声を出して笑った。周りの目も気にならない。
「ねえ、末道君はどうして私をここに連れて来たの?」
「え?」
「ただ花火を見に来た訳じゃないんでしょ?」
篠原さんは妖艶な笑みを浮かべた。篠原さんの両目から逃れることができなかった。一体、彼女は何を考えているのだろうか。
何を考えている? 分からない、分からない。分からない。答えるんだ。
「僕は篠原さんに……」
「う、く、い、や、いや、いやあああっ!」
唐突に篠原さんはがたがたと体を震わせて絶叫した。周囲の人もざわめき、僕らを凝視している。
「ど、どうしたの篠原さん!」
必死に篠原さんに問いかける。一体、何が起こっているのだろうか。
ヒューウ、ドオン、ドン、ドオン、パラパラパラ。ヒュー……
花火の音と火薬の匂い。近い。そうだ、僕は篠原さんと一緒に橋へ花火を見に来たんだった。
「……ん。うん!?」
篠原さんがいない。さっきまで会話していたのに忽然と姿を消したのだ。
まさか、彼女が犯人の魔の手に。しかし彼女は――
だが、迷っている暇はない。夜空に響く夏の音を背に走り出す。どこだ、どこだ。
探す当てはなかったが、自然とあの丘の上の公園を目指していた。もし犯人に襲われているとしたら、あそこからあの赤い光が見えるかもしれないし、彼女の家も近いからだ。
公園に着いたものの、どこにも篠原さんの姿はなかった。篠原さんの家にも向かってみる。しかし明かりも点いていない。
仕方がなく、祭りの会場に引き返そうとした。その途中、今最も会いたくない人物と出会った。
「やあ悠君、忘れ物かい?」
そんな素っ頓狂な台詞を吐いている人物は誰であろう暁さんだ。
「すみません暁さん、久しぶりで悪いんですけど、今急いでるんです!」
「そうみたいだね。でも君が急いでいるのと、俺が悪魔の契約者を狩るのとは何の関係もないことだ」
正論だ。言い返せない。いや、言い返している場合ではない。しかしこれはまずい、これでは篠原さんを探すどころではなくなってしまう。
この状況をどう打開するか思いあぐねていると、再び聞き覚えのある声が路地から聞こえた。
「あら、お巡りさん調度いい所にいたわね。ちょっと道に迷ってしまったの。道を教えてもらっていいかしら」
そこには浴衣を着た神田さんの姿があった。神田さんがなぜここにいるのかとか、色々疑問が湧いてきて、眼を白黒させてしまった。
だがしかし、暁さんは僕以上に驚いた顔をしていた。
「な、なぜ君がこの町にいる……!?」
「なあんだ、お巡りさんかと思ったら印狩りさんとはね」
「神田さんが暁さんと……知り合い?」
「神田さん、だって? そもそも悠君こそこの子と知り合いなのか?」
「まあまあ、いいじゃない。細かいことは。いいから印狩りのお巡りさん、道案内して下さる?」
「いや、しかし……」
「それじゃあ末道君、二学期に会いましょう」
「え、ああ、うん」
そうして二人は路地の闇に消えていった。
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