第4章Bパート

 そわそわしながら玄関の前で待っていると、かちゃりとドアノブが音を鳴らした。


「遅くなってごめんね、お待たせ」


 篠原さんはジーンズ生地のホットパンツに黒い二―ソックスを履き、上半身は薄手の白っぽく上品な服を着て小さいペンダントをしている。よく見ると腕には以前宿泊研修で作ったというブレスレットがある。

 初めて見る篠原さんの私服姿に釘付けになる。いや、それ以上に篠原さんのキラキラした両目がこんなにも近くにあるだけでも、夢みたいだ。


「どうしたの? ぼーっとして。早く行こっ」


「あ、うん」


 篠原さんがほほ笑むと、また見とれてしまった。

 それにしても玄関から顔を出した時より、随分元気そうで何よりだ。風邪で休んだと言っていた割には、あまり風邪らしい症状も見受けられない。

 しかしなぜだか不思議と、最近休み多いけどどうしたの? だとか、風邪は治った? だとかの質問をする気は全然起きなかった。




 しばらく歩くと、高台にある公園の近くのアイスクリーム屋に到着した。ついこの間オープンしたばかりで、いつも混み合っている。だが今日は平日の昼間だからなのか、店は空いている。

 確か店主がアメリカで修行してきた本格派という噂だ。そんな説明を篠原さんにすると、


「そうなんだ! 迷うなー、何にしよっかな」


 彼女はどうやらあまり僕の話を聞いておらず、アイスを選ぶのに真剣でそれどころではないようだった。

 篠原さんは一〇分ほどショーケースの前であれでもないこれでもないと迷ったあげく、「店主一押しアメリカンミルク」というのを選んだ。


「やっぱり、基本的なところ押さえておかないとねー」


 と頷きながら語っていた。僕は適当に「二種類のカカオを使ったダブルチョコ」とかいうのを頼んだ。

 せっかく公園が近いのでアイスはテイクアウトにして、高台のベンチに座って食べることにした。このシチュエーションはまさに、僕が夢見ていたようなシチュエーションだ。はたから見たら恋人同士にしか見えないに違いない。

 しかし一方で、篠原さんにそんな感情を強く持つ度に卒業式のあの映像が脳裏にフラッシュバックする。ここで篠原さんに僕のしたことを洗いざらい話せたら、どんなに楽になれるだろうか。


「末道君食べないの? 食べないなら私が食べちゃうよ?」


 篠原さんにスプーンの柄でつつかれて、頭の中の懺悔室から現実へ帰った。


「そうだね、溶けちゃわないうちに食べないと」


 陰鬱 なことを考えていると思われないようにするため、勢いよくアイスを食べる。冷たいアイスを一気に食べたせいで鋭い痛みが頭を刺す。


「あ、頭が……」


「ふふっ、いっぺんに食べるからだよ」


 篠原さんはくすくすと笑っている。笑われて少し恥ずかしかったが、そんなものは篠原さんの笑顔を見たら消え失せた。


「でも本当においしいね、あそこのアイス。今度純と舞と一緒に行きたいな」


 そう言うと篠原さんは最後の一口をぱくりと口の中へと放り込んだ。僕はまだ頭痛が続いていたのでアイスが結構残っている。


「まだ頭痛いの? 大丈夫、私が手伝ってあげる」


 篠原さんは僕のカップから素早くアイスをすくい口に入れた。


「チョコもおいしいー!」


 篠原さんは感激した様子だ。もしかしてこれは間接キスぐらいになるんじゃないだろうか。顔と胸の奥が急に熱くなり、スプーンでアイスをすくったまま固まってしまう。


「あ!」


 ぼーっとしているうちに、スプーンからアイスが溶けて膝に垂れてしまった。


「あちゃー、やっちゃったね」


 篠原さんはポケットティッシュを取り出し、膝にこぼれたアイスをふき取ってくれた。あまりに急な出来事に目を瞬かせる。


「はい、もう大丈夫。ちょっと臭いが残るけど。帰ったらちゃんとズボン洗濯してね」


「あ、ありがとう」


「どういたしましてー」


 僕がまたしてもぼーっとしかけると、聞き慣れた鳴き声が現世に意識を引き戻した。


「ワン!」


「あれ? この声は……」


 僕が後ろを振り返るとラッキーがものすごい勢いで走ってきて、僕の手を猛烈になめ始めた。どうやらスプーンを持っていた手にもアイスが付いていたらしい。


「ラッキー! どうしてここに」


「もう、ラッキー? どうしたの急に」


 またしても聞き慣れた声が公園の入り口の方から聞こえてきた。


「あら、悠じゃない!」


 買い物袋を持ち、小走りでこちらに向かって来る一人の主婦。


「母さん」


「……もしかして、お邪魔だったかしら」


 母は篠原さんを見てそう言うと、にやりと笑った。母と目が合った篠原さんは軽く頭を下げる。


「可愛い子じゃない、大事にしなさいよ悠。それじゃ、おばさんはもう家に帰りまーす」


 母は年齢に不相応な機敏な動きで公園を立ち去った。その動きは鮮やかと言っても良い。


「ちょ、ちょっと母さん! ラッキーを忘れてるってー!」


 僕が叫んだ時には母の姿形も周囲には見えなくなっていた。ラッキーはそんなことおかまいなしに僕の手を熱心になめ続けている。


「今の末道君のお母さん?」


「う、うん。お恥ずかしいところを……」


「面白い人だね、末道君のお母さん。カップルだと思われちゃった」


 篠原さんは恥ずかしげもなくその単語を口にして、くすくすと笑っている。

 そんな篠原さんを、アイスをなめ終えたラッキーが尻尾を振りながら凝視している。


「君はラッキーって言うのかー、どれどれお姉さんが遊んであげよう」


 篠原さんが両手をラッキーの方に差し出すと、まるでその言葉を理解しているかのように前脚を篠原さんの手の上に乗せた。


「よしよし、偉いぞー。あれ? これって」


 篠原さんはラッキーの右前脚の関節より先がないことに気が付いたようだ。


「末道君、ラッキーの前脚……」


「うん……この前の春休みの時に事故にあって、切断するしかなかったんだ」


 篠原さんにラッキーの傷のことを触れられることになるなんて思いもしなかった。

 僕が傷つけた人が、僕の犠牲になったラッキーの心配をしている。針のむしろとも言うべきこの状況に少し吐き気を覚えた。

 そんな時、予想もしていなかった一言が篠原さんの口からこぼれ出た。


「お前はいいなあ、こんなになっても優しくしてくれる主人がいて」


 そう言って篠原さんはラッキーの頭を撫でた。

 僕が、僕がラッキーをこんな目に遭わせたのに篠原さんは僕が優しいと言う。熱く、赤黒い液体が口から出てくるような感覚が僕を襲う。

 何か口から出さないと気が狂いそうになる。それでも本当に吐く訳にもいかず、必死で言葉を探す。


「……違う」


 何とかしぼり出た言葉がこれだった。


「え……?」


「逆なんだ。僕の方がいつもラッキーに頼ってばかりなんだ。春休みに、僕がちゃんとラッキーを見てなかったせいでラッキーは事故に遭ったんだ。すべて僕のせいなんだ」


 僕は嘘をつくことが苦手だ。しかし、事実を言わないことはできる。僕の脳は自分の精神を守ろうと必死だ。


「ラッキーはもしかしたら、僕のせいだって分かってるかもしれない。でもラッキーは事故の後も、僕に以前と変わらず接してくれるんだ。そのことに僕はずっと甘えてた」


「優しいんだね、ラッキーは」


「だから……」


 だがそれでも、このままずっと逃避し続けることはできない。少しでも前に進まなければ。いつまでも同じ場所にいる訳にはいかない。


「だから……?」


 篠原さんに聞き返された後、ほんの少し沈黙が僕らの間に流れた。それは何時間にも感じるほどだった。

 そして自分に言い聞かせるように、覚悟を決めるように言葉をつなげる。


「だから、今度は僕の番なんだ。ラッキーが僕にしてくれたみたいに、大切な人を信じ続ける番なんだ。信じる自分を信じるんだ」


 これは強がりであり、篠原さんへの誓いでもあった。

 もう、現実から逃げるのはやめだ。自分の罪と無力を認めるんだ。傷つくことを、傷つけることを恐れるな。


「でも、ラッキーみたいに世の中優しい人ばかりじゃないよ。信じ続けるって簡単に言うけど、それってすっごく辛いことなんじゃない?」


 篠原さんが今までと打って変わって、真剣な口調と鋭い眼差しで僕を見た。


「僕もそう思う。でもそれが、僕が最初にしなきゃいけないことだと思ってる」


 自分自身の言葉を深く飲み込んだ。


「そっか……末道君も色々考えてるんだね」


「え? それどういう意味?」


「末道君って、ぼーっとしてるだけだと思ってた。さっきもアイスこぼしたし」


 篠原さんは柔らかい表情で笑った。


「し、篠原さん!」


 篠原さんと視線が合う。二人の笑い声は、夕日に染まる高台の向こうまでこだました。




 もう夜七時だというのにまだ空は赤い。それが余計に時間の経過を忘れさせた。篠原さんは風邪で学校を休んでいることもあり、そろそろ帰ることにする。

 ラッキーを連れ、篠原さんの家に向かう。篠原さんの両親はまだ帰ってきてないようだ。


「今日はありがとう末道君。色々お話できて楽しかった」


「うん、僕も。それじゃ、お大事に」


 ゆっくりと帰りの道へ歩を進める。


「……末道君!」


 曲がり角にさしかかったところで篠原さんに呼びとめられたので振り返えると、ちょうど宅配便のトラックがこちらへ向かって来ているのが見えた。


「何ー?」


「――ことも――くれるー?」


 トラックの轟音にかき消され、言葉の断片しか聞き取れない。


「ごめーん! ちょっと聞こえなかった。もう一回言ってもらえるー?」


 トラックが過ぎ去った後に大声で叫ぶ。


「ううん! ごめんね、何でもない! また明日ねー!」


 何が言いたかったのか分からずじまいだったが、大きく手を振っている篠原さんに僕も手を振り返し、家路に着いた。




 カーテンが外から照らされ、ぼんやりとした窓の概形を映し出す。もう朝だ。昨日は家に帰っても緊張と興奮が体に残っていて、案の定寝不足。二度寝すると確実に遅刻するので、早めに登校することにした。

 ほとんど学生のいない通学路を通って学校に行くと、教室には既に慎と翔がいた。


「はよーっす悠! 篠原さんとはうまくやったかあー!?」


 慎がにやにやしながら僕に聞いてくる。


「ええっ、別に何も、普通に……でも思ったより元気そうだった。今日は学校に来るかも」


「え、そうなの? 良かったー!」


 そう言いながら、教室に入ってきたばかりの純が僕らの方へ近づいてきた。舞も一緒のようだ。この二人もいつもよりずっと早い登校だ。


「朝っぱらから大声出すなデカ女。でかいのは身長だけにしとけっつーの」


 慎がやかましそうに純に言った。


「うるせーよチビ! 友達が元気そうで朝からハッピーな気分なんだから水差すな!」


 この二人の間にはなぜか、その身長差以上に深い溝があるのだ。仲が悪い、と言うよりは口喧嘩が多い。


「まあまあ、二人とも」


 僕が仲裁に入ろうとするが聞いちゃいない。


「大丈夫だよ末道君。喧嘩するほど仲がいいって言うし……」


 舞がぼそっと僕に言うと二人が一斉にこちらの方を振り向き、


「それは絶対にないよ舞!」


「舞ちゃーん、冗談は勘弁してくれよお」


 息ぴったり。


「そんなことやってるうちに、ヒロインの到着だ」


 翔がそう言って、顎で扉の方を指した。


「おはよー」


 篠原さんが教室に入った途端に、教室の空気ががらりと明るくなったように感じる。


「繭ー! 大丈夫だったー?」


 純と舞はフリスビーをくわえた犬のように、篠原さんの元へと走って行った。


「心配させてごめんねー。でももう平気」


「良かったー。もうそろそろ文化祭の話し合いもあるし、繭がいないと大変なことになってたよー」


「大変って……純が副委員なんだからしっかりしないと!」


 篠原さんは突っ込みつつも嬉しそうだ。


「えー、でも繭が学級委員に決まったから一緒にやりたかっただけだもん」


「やっぱり副委員は舞の方が良かったかもね」


「繭ひどーい!」


 はしゃいでる三人の周りに、教室に入ってきた生徒たちが自然と集まっていく。


「もう文化祭のこと決めるんだ……」


 中学校の頃、文化祭で楽しめた経験がないのでとても楽しみにしていた。


「そうだぜー、何やるんだろうな。あ! はよーっす神田さん! 神田さんは文化祭何かやりてーこととかあんの?」


 教室に入り席に着いた神田さんに慎が半ば強引に話を振る。


「文化祭? あんまり興味湧かないわね。そういうの」


 神田さんはいつも通り冷たい反応だ。そんな返答を遠くから聞いていた純が、急に会話に入ってきた。


「神田さん駄目だよ。皆で協力してやるんだからー!」


「あなたに強制される筋合いはないわ」


「んなっ……何なの!?」


 純と神田さんはどうも馬が合わないようで、いつも二人がやり取りすると純が喧嘩腰になる。


「ねえ繭、繭からも何か言ってあげてよ!」


「そうだねえ。私は神田さんにも一緒に楽しんで欲しいな」


 そんな純を見て、篠原さんが優しく神田さんに言った。


「そうね、篠原さんがそう言うのならそうするわ」


「あっ、そうだ神田さん。文化祭の副委員は純がやってるんだけど、神田さんにも副委員お願いできるかな? 純、部活が忙しくて副委員の仕事できないことがあるから。確か部活とかにも入ってないよね?」


「ええ、部活には入ってないわ。副委員は篠原さんが休んだ時に代わりに委員をやればいいだけよね?」


「うん、そうだよ」


「それじゃあ協力するわ」


 神田さんらしくない、あまりに素直な態度に、僕をはじめクラス皆があっけにとられていた。そんな中、慎と翔はこそこそと話している。


「おい翔、今のがデレってやつか?」


「ああ、そうだな。対象がお前じゃないのが残念だが、まだまだ希望が……」


 そんな会話をしていると突然、教室のスピーカーから音声が流れてきた。


「ピンポンパンポーン。全校生徒に連絡します。今から緊急全校集会を開始しますので、全校生徒は至急、体育館まで来てください。繰り返し連絡します。今から緊急全校集会を開始しますので、全校生徒至急、体育館まで来てください。ピンポンパンポーン」


 全校集会? もしやあの事件のことかもしれない。


「おい、悠。もしかすると……」


 翔が神妙な面持ちで僕に耳打ちした。


「うん。あの事件のことかも」




 急いで体育館へ向かい、クラスごとに整列すると、僕らの予想が的中したのだと分かった。


「えー、皆さん、もう噂は聞いているかもしれませんが、今巷を騒がしている所謂……記憶障害傷害事件の被害者がついに我が校から出てしまいました」


 最初、校長が何を言っているのか理解していない人が多かったのか、体育館の中は少しざわついていただけだった。しかし、どこかから甲高い悲鳴が聞こえると、それをきっかけにして、一気に阿鼻叫喚の声が蔓延した。

 無理もない。ニュースの中だけだと思っていた事件が、もう自分達の目の前まで迫っていたのだから。


「仲間と夜遊びをしていたところを襲われたようで、やや傷が深く、その生徒は入院しています。命に別条はありません」


 嫌な緊張感から解放され、生徒達は次々に安堵の吐息を漏らしている。


「しかし今後このようなことが起こらないよう、我が校ではしばらく帰宅時刻を定めることにします。皆さんは必ず夜七時には自宅にいるようにしてください」


 今度は体育館がブーイング一色だ。


「夜に我々が皆さんの家に確認の電話をかけますので、決して出歩かないようにしてください。何か用事があるものは担任に夜間活動願を提出してください。以上です。解散」


 校長は長いセリフを一度も噛んだり間違えたりすることなく言い終えると、足早に体育館を後にした。

 急な学校の決定に、生徒の不満の声がまだ消えない。


「いつかこうなるとは思っていたが、こんなにも早く決まるとはな……」


 翔は顎を手でさすりながらそう言った。


「ま、パトロールはもちろん続けるよな」


 慎はまるで自分には関係ないと言いたげな表情だ。


「うん、もちろん。そろそろ暁さんに話を聞いてみるよ」


「おお! ついにか! じゃ、俺達は一応何かあった時のために、いつでも撤収できるよう準備しおくか」




 今日の授業が終わると、慎はすぐ戻るという条件で部活を抜け出してきてくれた。翔と二人で逃走の準備をしてくれているようだ。準備と言っても交番の前で騒ぎを起こすだけなのだが。


「悠、とにかく自然にだぜ。これで怪しまれて補導なんつーのは間抜けすぎっからな」


「分かってるよ」


「いいか、オリバーの気持ちになれ」


「オリバー?」


 急に欧米系の人名を出されても、何のことやらまったく分からない。偉人か何かだろうか。


「あー、悠。気にすんな。ロウツバの人気敵キャラだ」


 慎が苦笑いしながら解説してくれた。翔はこれで真面目なのだから掴みどころがない。しかも敵って。


「オーケー、オーケー。任せて」




 二人を交番の横の茂みに待機させ、一度深く深呼吸して交番に入る。


「こんにちはー暁さん」


 暁さんはいつも通りコーヒーを飲みながら本を読んでいた。


「お? 久しぶりだね悠君。元気?」


「はい、元気です。あのー、ちょっと暁さんに聞きたいことがあって」


「何だい?」


「今日学校で緊急の全校集会があって……例の記憶障害傷害事件のことなんですけど」


「ああ、君の学校の生徒から被害者が出たもんな」


「そのー、それであの事件って解決しそうですかね? 僕、結構不安で……」


「そうかー、ちょっと捜査上言えないんだけどな」


「あ、やっぱりそういうもんですか」


「でもいいよ、悠君なら。ここじゃさすがにまずいから、今日の夜、久しぶりに飯でも一緒に食いながら話さないかい?」


「ええ!? いいんですか?」


 まるでこちらのシナリオをそのまま読んでいるかの如く、暁さんは思った通りに自分から話を進めてくれている。


「ああ、他ならぬ悠君の頼みだ。断ったら男じゃないだろ?」


「ありがとうございます!」


「それじゃ一九時に、また交番の前に来てくれ」


「はい! 分かりました。それじゃまた後で」


「ああ、また後で。楽しみにしているよ」


 僕は意気揚々と交番から出た。


「悠! 悠! どうだった?」


 慎が草むらの中から手招きしている。


「うん、びっくりするぐらいうまく行ってさ、今晩暁さんと夕食を一緒に行くことになってそこで話してくれるって」


「さっすが暁さんだぜ! 話が分かるなー!」


「うむ、まさに大人の鏡だ」


 二人ともこれほどの戦果は予想外のようで、かなり驚いている。


「じゃ、俺は部活に戻るけどよ悠! 暁さんからの情報、一言一句洩らさず来週教えろよ」


「分かってるよ慎」


「じゃあなっ」


 そう言うと慎は全速力で学校に向かって走って行った。


「俺もそろそろ帰るか。録画したアニメ見なきゃいけないからな」


「そっちも大変だね……」


「ああ、だからこそいいんだ」


 本当に翔は台詞の内容と言う場面がちぐはぐだ。ここまで来ると本人が意識的に言っているとしか思えない。


「じゃあな、重要な任務よろしく頼むぞ」


「了解」


 僕ら二人は何となく敬礼し合った。




 夜七時、時間になったので交番に戻ってきた。中学校までは暁さんによく食事をごちそうになっていたので、母親も外出を許してくれた。暁さんと一緒なら帰宅時間を過ぎても何の問題もないはずだ。


「おう悠君、お待たせ。よーし、久しぶりにラーメン食いに行こうぜ」


「はい!」


 僕らは交番にほど近い、馴染みのラーメン屋に向かった。ラーメン屋に近づくにつれ、スープのいい香りが辺りに漂う。

 席に着くと、お馴染みのしょうゆラーメンを二つ注文する。


「ふー、この店も久しぶりだな」


 暁さんは黒いタイトなコートを椅子の背にかけながらそう言った。


「そうですねー。暁さんもここ最近忙しいみたいだし」


 二人分のお冷を席に持って来る。暁さんはグラスを受け取らず、少しぼーっとしていた。僕が暁さんを呼び掛けると、暁さんは伏し目がちにグラスを受け取り、


「あ、ああ、ありがとう」


 暁さんはグラスの水を一気に飲み干した。


「それにしても、あんな事件がうちの町で起こるなんてな。あ、悠君、晩飯を食いながら話すと言ったけど今日は思ったより店が混んでる。ここで話すはまずい。店を出た後、歩きながら教えるよ」


「はい、全然大丈夫です」


 暁さんは僕にそう耳打ちした。

 ラーメンを食べている間、僕らは事件とは何の関係もない世間話をしながら時間を過ごした。高校に入ってからは、こうして暁さんとゆっくり話すのも久しぶりだ。

 あらかた世間話が片付いたところで、暁さんはスープを最後まで飲みほした。


「ふー、食ったな。やっぱここのラーメンは最高だ! よし、そろそろ出ようか」


 暁さんが勘定の準備をし始めたので、先に外へ出て暁さんを待つことにする。間もなく、暁さんが勘定を済ませ店を出てきた。


「ごちそうさまでした!」


「おう、じゃ早速今回の事件について、教えても問題ないところまで説明するよ。ついてきて」


「どこに行くんですか?」


「まず、悠君の学校の生徒が襲われた現場に向かう」


 暁さんはそう言うとポケットに手を突っ込み歩き始めた。歩きながら話すと言っていたが、暁さんは一向に口を開く気配がない。

 僕から聴くのも何だか悪い気がしたので、とりあえず黙ってついて行く。




 一五分ほど歩くと、人気のない廃工場で暁さんは足を止めた。

 しかしそこには警察官もいなければ、立ち入り禁止のテープなども特にない。ただただ薄暗いばかりだ。


「ここがその現場ですか?」


 僕が尋ねると、暁さんはゆっくりとこちらを振り返る。そして一呼吸置いた後、静かに口を開いた。


「悠君、俺の悪魔の能力は『負九胎典』と言う名の能力だ」


「え?」


 言っていることがあまりにも突拍子もなさ過ぎる。暁さんの言葉をどう処理してよいか分からず、僕の脳は完全にその役割を放棄していた。

 悪魔の能力? 暁さんは確かにそう言ったのか? 聞き間違いではないのだろうか?


「この能力は、悪魔の印を視認した契約者の能力、代償、誓約など、契約者本人しか知り得ない情報を見たり、保存したりできる能力なんだ」


「あ、暁さん? 暁さんはいったい何を?」


「とぼけなくていいよ悠君。君が春休みに大金を交番届けてくれたあの日から、もしやとは思っていた。今日その掌に刻まれた印を見て、疑いは確信に変わった」


 崩れた。今まで辛うじて保たれていた平穏が崩れた。呆然としている僕をよそに、暁さんはなおも淡々と話を続ける。


「君は悪魔の契約者だってね。君の能力の名は『強盗無形』。目に見えない力や物を形にして操る能力。そうだろ?」


 暁さんはそう言うと、自分の目に指をやり、コンタクトレンズを外した。すると、あの禍々しい赤い光が暁さんの目から炎のように立ち昇っている。

 今まで体感したことのない量の冷や汗が体中に噴き出る。がたがたと体は震え、心臓は体の外にまで鼓動が響くかと思うほど、激しく伸縮を繰り返す。

 暁さんが悪魔の契約者? 全然信じられないし、なぜわざわざそのことを言ってきたんだ? 神田さんのように忠告をするため? それとも事件の協力? 僕は必死に起こった事態に対して、良い方へ良い方へと、思考を無理矢理方向転換させる。


「そうだとしたら……なんでそんなこと僕に言うんです!?」


「俺の誓約はちょっと特殊でね。二つあるんだ。一つは、一日一冊本を読み終えること。俺が読書家なのは誓約のせいって訳さ」


 まるで気が付かなかった。初めて暁さんに出会った時から、ずっと彼は読書家だったのだから。


「もう一つは肉眼で印を見た日から一日以内に、自分の能力を相手に説明しなければならないってもの。ま、肉眼で見なきゃ能力の詳細は分からないけど、映像とかだけでも、おおまかな契約者の位置ぐらいは感知できるんだけどね」


 暁さんは世間話でもしているのかのように、普段通りの柔らかな口調で話す。その挙動は緊張や強張りが感じられず、あまりに自然体だ。そのせいかまるで暁さんの言葉に現実感が持てない。

 これは夢だ、夢に違いないんだ。


「面倒くさい誓約と思うかもしれないけど、こうやって能力を使う時に言っちゃえばいいから案外そうでもないんだ」


「の、能力を使う? じゃあ、今能力を使うってこと……」


「その通り。そして俺の能力そのものももう一つある。契約者の記録と自分の記憶から契約者を消すことで、誓約、代償を無視して保存した契約者の能力を一度だけ使えるんだ」


 暁さんの表情はもはや、親しい人物を見つめる目とは明らかに異なっていた。口調は確かにいつもと変わらない。だがその視線は、かつて中学校の同級生が僕に投げかけていたそれに変わっていた。


「これを何に使うか分かるかい? これはとどめを刺す時に使うのさ。そいつがいかに愚かか自覚させて死んでもらうためにね」


「とどめ!? まさか暁さん……!」


「ああ、俺は今日君を殺す。なぜなら、俺は『印狩り』だからね。この世のすべての悪魔の契約者を消すために生きてきた」


「まさか……! 地方の捜査協力をしてたのも……!」


「さすが悠君、鋭いね。不可解な事件の裏には、よく悪魔の契約者が関わっている。そして俺がそいつを消す」


 これが現実の出来事だなんてとても理解できない。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。暁さんが印狩りで、僕を殺そうとしているだなんて。


「さあ悠君、抵抗すればいいよ。てっきり今回の事件は悠君が犯人かと思ってたけど、君の能力じゃ多人数の記憶を一片に改竄できないから、どうやら違うようだね。ま、そっちは君を消した後にゆっくり捜査するさ」


「何で、何でこんなことを!?」


「君にそれを教える義理はない……」


 暁さんが僕の方へ走り出した。いったい暁さんの過去に何があったのだろうか。

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