第10話 つくねの美味しい食べ方
蒔いた種は自分で刈り取らねばならない
それを腐ってしまうまで放置しておいたら
トゲの生えた蔓に巻かれて死ぬのは自分だった
EASY10 『つくねの美味しい食べ方』
ジュウ~。カウンターの向こうで焼き鳥の焼ける音がする。
俺は肉の焼ける煙を嗅ぎながら、ビールをゴキュと飲み込む。
「はい。女というもののボクの考えはこうです」
目の前の男が挙手をした。俺はそれを指差す。
「はい、ではどうぞ」
「女というのは、可愛くて、優しくて、やわらかくて、暖かくて、大事なものだと思います」
しばしの沈黙。
「はい。女というものの俺の考えはこうです」
俺が挙手をする。目の前の男が指差す。
「はい、ではどうぞ」
「うるさくて、目障りで、鬱陶しくて、気持ち悪くて、汚くて、不要なものだと思います」
またしばしの沈黙。
トクトクトク・・・俺はビールをコップに並々と注ぎ、それをゴクリと喉に流し込んだ。
目の前の男は、梅酒の水割りの氷をカラリと音を立たせ、それをコクリと一口飲む。
「・・・で、結局どうするの?」
目の前の男・・・俺の幼馴染の、『真鍋 学(まなべ まなぶ)』はそう言った。
「やっぱサユだよ。俺はサユを取るよ」
俺は当然だという口調でガクにそう言った。ガクというのは学のアダ名だ。
「じゃぁケーコちゃんとはどうするの?」
「別れるしかないな」
「別れられるの?」
ガクは俺の顔を表情ひとつ変えずに見詰める。完全に、俺の返答が返ってこないのを確信した顔だ。
「でも俺はサユをとるよ」
「でも別れられないんでしょ?」
間髪入れずにガクが言い放つ。またまた俺の返事が返ってこないのを確信した顔だ。
俺はガクから顔を背け、テーブルの上のタバコに目をやると、おもむろにそれを口にくわえて火をつけた。そして思いっきり煙を吸い込むと、ため息交じりに大きく吐き出した。
「そういう吸い方よくないよ」
わかっている、そろそろ禁煙するよ!・・・そう答えようとしたが、その返答もガクにはお見通しだろう。
そして、その禁煙も長続きしないだろうと自分でもわかっているので言うのをやめた。
しかし、幼馴染というのは怖い。
俺が思っていることを顔つきや仕草で感知し、しかも行動パターンまで読んでしまうからだ。
まぁ、ガクが考えていることもだいたい予想がつくが、ガクは俺以上に読みが鋭いのだ。
「で、昨晩はケーコちゃんとどんなケンカしたの?」
これが怖い。この読みが鋭いのだ。俺は何でわかるんだ?というような顔をすると、ガクは俺の首筋についてるひっかき傷を指差した。指でさすってみると、そこが少し膨らんでいるのがわかった。確かにこれは、昨晩ケーコにつけられた傷跡だ。
「昨晩のケンカもひどかったよ・・・・」
俺はビールをゴクリと飲み干して、コップをテーブルにタン!と置いた。
そして肩肘をついてうなだれた姿勢で、昨晩の記憶を辿りながら、ガクに話し出した。
(回想)
車の中は沈黙が続いていた。
窓の外ではビルの明かりが灯り、ガラスに反射したケーコの顔が映る。
今俺はカサンドラにバイトへ行くため、ケーコに車で送ってもらっている。普段だったら原付で通うのだが、ケーコが執拗に俺を送り迎えしようとする為、それを断ることが出来なかったからだ。
「じゃあ終わったら電話して。迎えにくるから」
そう言うと、ケーコは車で走り去っていった。俺は虚ろな目でその姿を無言で見送る。
こんなことが最近毎日続いている。ケーコのサユに対しての防御策のひとつである。
これで店が終わった後も、完全に俺とサユをふたりにさせない計画だ。
ケーコは昼の仕事を始めた。どこかの24時間営業のファミレスだった。そのファミレスがどこにあるかも知らなかったし、知りたくもなかったので本人には聞いていない。とにかくケーコは、バイトを変則的に組み、俺がサユと隠れて会わないように巧妙に監視しているのだ。時には昼間ひょっこり帰ってきたり、俺がバイト休みの時は同じくファミレスを休んだりして、俺と行動を共にしていた。
カサンドラに客として顔を出す時は、サユが休みの時だけだったが、何故サユの休みの日を知っているのかが不気味だ。
俺に自由はない。そんな生活を続けていれば、自然とストレスは溜まり、ついには爆発してしまうのも当然と言える。その当然な出来事が起きたのが、丁度昨晩だったのだ。
いつものように店が終わり、車で迎えに来たケーコがこんな事を言い出した。
「サユを連れてきて。今から」
俺は驚いて顔が引きつった。この女は突然何を言い出すのだろう?今のケーコの顔は普通ではない。人を殺すことを決意しているのを、俺は直感で感じた。
ヤバイ。
俺は店の中のサユに、裏口から逃げろと叫ぼうとした。しかし、もう遅かった。
「逃がすかぁ!」
俺の行動を察知したケーコは突如そう叫び、鬼のような形相で店の中に乱入しようと走り出したのだ。
俺はケーコを店に入れないよう、必死で止めた。というか殴った。もう考えるまでもなく体が動いた。腹に一発キメてもケーコの猛進は止まず、店のドアに手をかけようとした。俺は蹴った。どんな蹴り方かというと、プロレスで例えるならドロップキックのような形だった。吹っ飛んだ。ケーコは3メートルぐらい吹っ飛んだ。
(オレのケリってけっこう威力あるじゃん!)
そう思って、このケリをもう一度使うことを決め、吹き飛んだケーコの背中をもう一度蹴った。ゴロゴロと転げ周りながら、ケーコはどこかに頭をぶつけたらしく流血していた。でもそんなの知ったことではない。この殺人鬼を止めなければ、サユが殺されてしまう。目の前の狂った女を何としても止めなければ!
俺は流血でうずくまるケーコを、強引に車に乗せて発進した。
お客さんにオゴってもらったカクテルを飲んでいたので飲酒運転だったが、飲酒運転で捕まるのとケーコが殺人罪で捕まるのを比べたら、そんな事考えるまでもない。
俺は一刻も早くこの場から遠ざかろうとした。すると、ケーコは俺の運転を止めようと、俺の首筋に爪を思いっきり立ててきた。
「うぐおッ!」
強烈な電流のような痛みが首を直撃する。俺はたまらず、それをふりほどこうと左手でそれを解く。
だがその勢いでハンドルが左によじれ、あわや電柱に激突する寸前だった。
俺は車を急いで路肩に止め、ケーコに向かって拳を何発も突き出した。俺の拳は、ケーコの頬を貫きアゴを跳ね上げた。それが効いたのか少しおとなしくなったので、俺はダメ押しの一発を眉間と鼻の間に直撃させた。ゴヅンという鈍い音がして、ケーコは失神した。マリオネット人形のようにくたりとうなだれた。殴った拳がたまらなく痛かったが、俺の心の方が張り裂けそうなくらい痛かった。虚しくて情けない痛みが体中をチクチクと刺した。
かくして、めでたく犯人逮捕。俺のカーアクション劇は幕を閉じた。
俺は、その現場を誰かに通報されていないか心配になり、失神したケーコを乗せたまま急いでアパートに戻った。グンニャリと泥酔したようなケーコを担いで部屋に上げると、ふとんの上に転がして心臓に耳をあてた。大丈夫だ、死んではいない。流血した頭には、軽くタオルを巻いておいた。
俺は精魂尽き果てくたくたになり、その場にバタリと横になるとドロのように眠り込んだ。
「それは大変だったねぇ」
ガクの言葉で、俺の回想シーンは一時中断した。ガクは店員につくねを頼むと、塩味で月見を選んだ。
俺もつくねは大好きだったので、タレと月見で注文し、焼酎の濃いヤツを追加した。
ガクは、しばらく黙ったまま、梅酒の水割りをチビリチビリと飲んでいた。
普通の人だったら俺の出来事に対し、あれこれと意見感想を述べたがるだろう。話を聞いた側の当然の使命で、話した人もそれを望んでいると思うだろう。
けどガクは違う。話しに深く突っ込まず、一定の沈黙を与えてくれる。これはガクの優しさだと俺は解釈している。ガクは人に対して、どうたらこうたら意見しない。人の意見と自分の意見は、経験者と傍観者の立場の違いだとわかっているからだ。だから俺とガクで、意見の違いでケンカしたことはない。俺とガクが今までこうして親友でいられるのも、ガクの配慮ある性格のおかげだと俺は思う。
ガクは俺の話が全部終わったと思っているがそうではない。この惨劇にはまだ続きがあるのだ。
俺はこれ以上話すのを一瞬ためらったが、ガクにならば打ち明けてもよいと思い、話を続けた。
つくねのジュウジュウと焼ける音が聞こえてきた。たぶん、俺たちの分を焼いているのだろう。
(回想)
目覚めるとそこは地獄だった。
ふとんの上や毛布には、血がしたたった跡がつき、それが床にまで散乱していた。
昨晩は気づかなかったが、ケーコの頭の流血はそれほど酷かったのだろう。
俺の脳みそは、昨晩の記憶を蘇らせることを強烈に拒んでいた。しかし、思い出したくもない悲劇は、鮮烈に脳裏に蘇ってしまったのだ。
俺はとっさに辺りを見回しケーコを探した。が、狭い八畳の部屋にはそんな動作など必要としない。
残す場所は、台所と風呂だ。俺は台所のガラス戸をガラリと開けた。いない。残すは風呂だ。
バァン!
予期せぬ出来事ほど実現してしまうものだ。
目に飛び込んできた現状を、俺はとっさに受け止める事が出来なかった。それもそのハズ。この現状を、誰がスンナリ受け止めることが出来ようか?
ケーコは全裸のまま包丁を握り締めバスタブにつかっていた。ケーコの左手首はじんわりと赤くにじんでいる。自殺をはかったという事が、誰にでも容易に推理できる現状であった。
俺は一瞬立ちくらみにも似た衝動を感じたが、とにかくこれをなんとかしないといけないと思い、全裸のケーコを風呂から強引に引っ張り出した。ケーコの顔は血の気が失せていたので、とにかく大声で叫んで頬を強く叩き、意識を取り戻させようとした。しかし、何の反応もない。
死んだように衰弱しているケーコを前にして、俺は救急車を呼ぼうと携帯を手に取った。
(まて!落ち着け!まだなんとかなるかもしれない!)
俺の頭の中で、騒ぎを大きくしたくない思考が芽生えたのだろう。とにかく何度も何度も頬を張り倒し、まぶたをこじ開け、瞳孔が開いてないか確かめた。白目を向いていたので、これは死んではいないと勝手に決め付けてみた。というか決め付けるしかなかった。
落ち着いて見ると、ケーコの血がにじんだ手首は動脈を切ってはおらず、まわりの肉から血が出ているだけだった。俺の脳裏にとっさに浮かんだ思考。俺はケーコの芝居かもしれないと思い、しばらくほったらかしてみることにした。
それにしても汚い。この女の裸体というのは何て汚らしいものなのか?
膨らんだバストがあり、ウエストが細く、ヒップが引き締まっていればスタイルが良いという訳ではない。どちらかというと、ケーコは小柄ではあるが、そこそこのスタイルだと俺は思う。しかし、それが何だというのか?揉み心地の良いブルブルとしたオッパイに、くびれて掴みやすい腰、バックで突くとパンパンと小気味良い音をたてるお尻。それらは男性を惹きつける性のシンボルとなる。
しかし、それが何だというのか!
その造詣がどうであれ、いくらスタイルの良い女体であっても、それを支配している精神、すなわち心が淀んでいれば、全くもって醜い存在であるのだ。
今、俺の目の前にいる女は、ひょっとしたら死んでいるかもしれない。するとこれは死体だ。汚れた心と醜い体をした死体なのだ。そんな死体は俺の目の前から消えてしまえばいい。そうだ、なくなってしまえ!このままガソリンをぶっかけて火をつけて、跡形も残らないように消し炭になるまで燃やしてしまえ!俺はそれを実行できる道具がないか、辺りを見回してみた。
そして俺はケーコに近づいた。そこで俺のとった行動は、どうしようもないほど不可解なことだった。
俺はケーコに挿入していた。
こいつが汚いものであればあるほど、もっともっと汚してやりたくなった。もうこいつが生きていようが死んでいようが関係ない。ただ、この肉の塊をとことんまで汚したくて仕方ないのだ。
俺の如意棒はなぜか使用できるまでになっていた。それは何故か?そんなことは考えてもわからない。使用できるようになってしまったのだから仕方がない。
俺は腰を大きく前後に揺さぶって、渾身の力を込めて突いた。そこには快楽など微塵もない。例えるなら砂をジャリジャリと噛むような・・・無味無臭で乾燥した物を口に含んでいるような・・・そんな砂漠のようなSEXだった。俺はその行為が一秒でも早く終わって欲しく、強引に射精して終わらせた。
案の定。ケーコは息を吹き返した。そんなバカな!と思うかもしれないけど、こいつはそんなバカなことがまかりとおる女なのだ。常識が通じる相手ではないのは百も承知だ。だからこれはごく自然な出来事で、もはやこの女は、死と引き換えに愛を求めようとしているのだ。
ある意味異常であり、ある意味正常かもしれない。
そもそも人類が愛という言葉を使い始めたのはいつ頃なのだろうか?
それとも愛とは性欲を誤魔化すために存在する言葉なのだろうか?
それがどっちかは考えてもわからないけど、とにかくこの女にとって、愛とは己の全てなのだ。
「ちょっと待って」
珍しくガクが話のコシを折ってきた。
「今の話を聞いて思ったんだけど、ケーコちゃんがそこまでしてアキラとの愛を求めるのは、何か理由があるんじゃないのかな?」
さすがガクだ。鋭い。
そのとおりなのだ。ケーコが異常なまでに愛を欲するのにはワケがあった。
もうここまでガクに話したんだ。全てを明かしてもいいだろうと俺は思った。
「ケーコは一度子供を産んだことがあるんだよ。それもレイプされた外人の子供を・・・」
俺の声の語尾が下がっていくのが自分でもわかった。
おそらく、この国で普通に暮らしていれば、そんな体験をする女は稀なのだから。
ガクは何も言わずに聞いてくれるので、俺は話を進めた。
「それでケーコは子供を産んで、それを里親に出したんだよ。それかららしいんだけど、子供に対する感情が異常に変化していったのは・・・」
ガクは肩を一度上げ下げして間をとった。
「ケーコがさ、空いた時間によく近くの保育園に遊びに行って、そこでとにかく子供と遊ばせてくれって頼んだみたいなんだ。そこまでして子供に接したいんだよな。それは自分が女として、母親として、やってはいけなかった行為に対する謝罪の気持ちを感じていたんじゃないかなって・・・」
「それで・・・か・・・」
ガクがそう言った。『それで』の言葉の後には、『それで異常になったのか』という言葉が俺の頭に浮かんできた。俺は焼酎をグイイと半分近くまで飲んだ。くらりとした感覚が体全身に染み渡った。
ため息をひとつした後、俺はポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「なんなの、それ?」
「これ、今日ケーコに書かせたんだ・・」
それを見たガクの顔が、少しひきつったのを俺は見た。その内容とは次のような文章だ。
================================================================
私ケーコは、アキラに対して絶対に結婚を要求しないことを誓います。
またこの事は、私ケーコの親、親戚など一切無関係の事であることを誓います。
私ケーコが、アキラの側にいるのは私の勝手な意思で、アキラがサユと付き合っているのも承知で、私ケーコはアキラと同棲させてもらっています。
アキラと別れても一切の慰謝料を請求しないことを誓います。
もしこれを破ったならば、全面的に私ケーコの責任である事をここに約束します。
ケーコ(印)
================================================================
「何・・・・これ?」
「・・・・・証書だよ・・・これがあれば、もし裁判になっても俺が有利になれるんだ・・・」
「そこまで・・・・」
「そう、そこまでしなけりゃいけないレベルまでいってしまったんだよ・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
ガクの目は、俺に対する哀れみでいっぱいになっていた。
それを俺は仕方なしと受け止めると、焼酎の残り半分を全部飲み干した。
ニガイ・・というか、間違いなく体に害のある液体へと変化することを確信した味だった。
それから俺は、とにかく全てを忘れたくてガムシャラに飲んだ。飲んで飲んで飲んだ。
ガクも、そんな俺に同情して酒に付き合ってくれた。ふたりは無言のまま酒を飲み続け、つくねを頼んだ数は合計6皿にもなっていた。
俺はくらくらする頭で、向こうのテーブル席で仲良くしているカップルを見て羨んだ。
相手が相手の目を見詰る度に、紅潮した頬と微笑みが生まれる。
本来の男と女の付き合い方というのはあれが正しいカタチなのだ。なのに、何故俺はこんなにも悩んで女と付き合っているのだろうか?何故こんなに苦しくて虚しい思いをしなくてはならないのだろうか?
間違っている・・・間違っているのは俺のほうだとわかっている。でもなぜ俺なのか?
こんなにも溢れんばかりに世界には人間がたくさんいるのに、何故どうして俺なのか?
納得がいかない、いくわけがない。虚しい、虚しい、虚しい。
俺はカウンターから立ち上がった。
「ん、トイレか?」
ガクは真っ赤な顔で俺に問う。俺は無言のまま、そのカップルの前へとずんずんと歩んだ。
「おいアキラ!ちょっと待ちなよ!」
ガクが止めるのも聞かず、俺はカップルの座っているテーブルの前に立ち止まる。当然、そんな俺を不審な目で見てくるカップル。
「なんだよ?何か用か?」
カップルの男が立ち上がり、俺の目を睨んでくる。この男は、『オレ』という外敵から自分の彼女を守ろうと防衛行為をしてきた。これでいい、これが当然なのだ。それでこそ男なのだ。
だが、俺の場合だったらどうか?俺はケーコに対しても、この男と同じ行動が出来ただろうか?
たぶん・・というか間違いなく、そんな無駄で損な行動は取らない。それならばいっそ、ケーコを誰かに奪われて、俺の目の前から消えて欲しかった。
枯れたカップルと潤んだカップル。
そこまでして男と女の付き合い方は千差万別な格差があるのだ。
俺は枯れて荒んで朽ち果てているのだ。俺の存在価値なんてもう何もない。そしてもうどうでもいい。
いなくなっても死んでもどうでもいい存在なのだ。ただケーコにとっては一点だけ存在価値があるという、どうしようもない存在。
俺の価値はそれだけ・・・ただそれだけなんだ・・・
激しい虚しさを堪えられずに、俺はカップルのいるテーブルに両手を叩きつけた。
バァン!テーブルの上の料理が跳ね上がる。
「なんでオマエらはそんなに楽しそうにしてるんだよォッ!」
俺は心の底から振り絞るような声で怒鳴った。
「アキラ・・・」
遠くからはガクが俺を心配そうな顔で見ている。
「はぁ?何言ってんだよコイツ。頭おかしいんじゃないのか?」
カップルの男がそう言うのも当然だった。俺は確かにおかしい。頭のネジが外れた病人のような人間だった。どこから見ても、楽しそうにしているカップルを羨んでいる様にしか見えなかった。
俺はもう全てがどうでもよくなった。というかどうでもよくなりたかった。
グジャグジャに引っ掻き回して、ペシャンコに潰して全てをボコボコに破壊したかった。
見栄もプライドも意味がない。ただ、自分が自分であり続ける方法を失ってしまったのだ。それはまるで、全世界の闇が、自分ひとりにだけ襲い掛かってくるような疎外感のようだった。
俺は憎かった。そして羨ましかった。目の前の男が、俺にない感情を持っていることが羨ましかった。
その先、俺がその男に何を言ったのか覚えていない。たぶん意味不明なことを、ただただ吐き出していたのだろう。俺はその後、店の外に連れ出されて一方的に殴られていた。止めに入ったガクも殴られていた。やり返そうと思えばやり返せたが、何故か俺は、その男のパンチを黙って喰らい続けた。
面白いことに、殴られても何故か怒りが沸いてこない。そればかりか笑いすら込み上げてきた。
この男のパンチが、俺の心の鐘を何度も鳴らせてくれる度に、少しだけ気持ちが晴れてくるような不思議な感覚だった。それとも、殴られた痛みで、ただ感覚が麻痺していただけかもしれない。
しかしそれはどっちでも良かった。俺は殴られている間は、あのいまいましい感情を忘れられるのだから。
男は、そんな俺を気持ち悪がり、ツバと捨てセリフを吐いて去っていった。
俺の精神は確実に破綻している。それは俺が殴られても笑っている事から容易に想像できる。
ケーコも異常ならば、俺も異常だ。お互いがいつのまにか異常になってしまっていたのだ。
これで俺はもうケーコを責める事は出来ない。だって俺も異常なのだから。
自分と相手との思考が離れていれば離れているほどお互いを理解できないということになる。
しかし、こうやってお互いが同じ立場に立たされれば、もう相手を非難することはできなくない。
これでやっとあいつと釣り合いが取れた事になる・・・
俺はこうなるのを望んでいたのだろうか?
ケーコの気持ちを解りたかったのだろうか?
路地裏のゴミ捨て場のゴミ袋の上で、俺は仰向けになって空を見上げた。
金色に輝くキレイな月が見えた。横を向くと、ガクがうずくまっていたので、側に寄って起き上がらせた。
俺はガクに申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、その時は謝る余裕などなかった。
ガクも、そんな俺の現状を理解してか何も言わなかった。自分には関係のないことに巻き込まれ、殴られても文句ひとつ言わないガクに、俺は心底感謝した。そして情けなさでいっぱいになった。
体中ガタガタの状態で、俺とガクは肩を組んでヨロヨロと歩き出した。
・・・・それにしても今日はいろいろとあった。あまりにもあり過ぎた。
それで逆に安心もした。だってもうこれ以上、悲惨な事はなにも起こるはずがないだろうから。
一日にそんないろいろと事件が起こる訳がない。
人生とは、そんなにドラマチックに仕立てられてはいないのだ。
ところが、俺の考えが甘かったことに、この後、俺は思い知らされた。
ガクと肩を組み、よろよろと路地裏を歩いていると、ある光景が目に入った。
路地裏のホテルから出てきた女の顔に、俺は見覚えがあった。
サユだった。そして一緒にいた男は、前にサユを口説いていたカサンドラの客であった。
あまりにも唐突な出来事に、人生の厳しさを思い知らされた。
そして、その後の俺は、自分を崩壊させるしか方法がなかった。
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