第7話 ミスター菩薩


お釈迦様から知恵と勇気を授かって俺は旅に出た


そこには見たこともない妖怪変化が俺を困惑させる


こんな時、三蔵法師は俺を助けてはくれなかった


もがき苦しむ様を眺めて、嫌らしく笑うだけだった




EASY7  『ミスター菩薩』




意味わかんねぇ。

職を失って意気消沈している俺の前に、ケーコが警察に捕まりそうだと抱きついてきた。

この女は、突然何を言い出すのだろうか?その真意がまったく理解できなかった。

警察に捕まるということは、日本の法律で定められた禁を破ったということだ。

人殺しでも窃盗でも罪を犯したなら、それは法によって裁かれなければならない。


そんな当たり前の事を、頭の中で詠唱している最中に、窓の外の向かいのベランダで、フトンをはたいているおばちゃんの姿を見つけた。

俺は今、目の前に犯罪者がいて困惑している最中なのに、隣のおばちゃんはなんと清々しい顔でフトンをパンパンとはたいているのだろうか?こんな天気の良い日にフトンを干せば、暖かでふんわりした寝心地が夜には保障されるのだから気持ちはわからんでもない。

でも、俺がこんなに切羽詰った時くらい、もう少し自粛してフトンをはたいて欲しいものだ。。

もしおばちゃんの家で葬式があって、葬儀の最中に俺が大笑いしたら不謹慎だろ?そうだろ?


俺は、そんなどうしようもない現実逃避から覚め、ぐずぐずと泣いているケーコの顔をみた。

「どうしたよ・・」

半ば投げやりなどうでもいい口調で、俺はボソリと尋ねた。

その理由を聞けば、なんとも他愛のないことであった。

ケーコの働いている定食屋で、お客が余分にくれたおつりをポケットにいれていたそうだ。

いわゆる、「ツリはいらねぇよ!」、というヤツだ。ところがその金はケーコにくれたわけではなく、店にくれたお金だから、当然ケーコがもらうべきではない。それが店長に発覚し、警察に通報するか、もしくは給料なしで店を辞めるか、そのどちらかという悪条件を叩きつけられたそうだ。


「・・・・・・」


俺は何とも言えなかった。

バカだ。この女はバカだ。ケーコはバカだ。

だがこの状況は、派遣会社を途中で辞めた俺の状況とまったく同じではないか。

本当なら、「なんてバカなことをしたんだ!」、と言うべきなのだが、俺に言える権利と資格はない。

むしろ、「なんてバカなことしたのよ!」、と言い返されても反論できないし言い訳もできない。

とにかく賃金カットはあんまりだ。たぶん女だと思ってナメられているのだろう。

ケーコのことは、好きでもなくどうでも良い女であるが、現時点では同棲し、家賃を折半しているので、この状況は俺にとってもよろしくない。だから仕方なく、ケーコの勤め先に連絡してみることにした。

「!!!!!!!」、「!!!!!!!」

「!!!!!!!」、「!!!!!!!」

内容は割愛するが、俺と店長の主張がぶつかり、ほぼケンカ口論になってしまった。

結局、賃金の3分の1カットということで話はついた。


なんだこりゃ?

これではまるで俺と一緒ではないか・・・・

自分にあきれるというより、情けなくて虚しくなった。

そして、同時期に同じことで問題を抱えたケーコに対し、俺はこいつを他人とは思えなくなった。

けして同情というわけではないが、同じ立場と感覚を持ったふたりだから、お互いは惹かれ合っていたのかもしれない。男と女というのは、同じダメな部分を共有している相手に親近感を持ってしまうのだろうか?

自分のだらしなさの許容範囲と、相手の許容範囲が同じということで、安心できるのかもしれない。

ケーコと出会ったのは、たまたま偶然に出会っただけだと思っていたが、なんというか、運命の糸というか、どこかしら繋がるべくして繋がっていだのだという事に気づかされた。


そんな事件があってから数日・・・

なんともハッキリしないグズついた天気のように、俺はこいつと別れる事ができないままいた。

この頃からだろうか?ケーコが俺に、結婚、結婚とせがんできたのは。


俺の感覚は麻痺していく一方だった。

毎日毎日、朝起きれば隣に大嫌いなバカな女がいて、でもそいつと一緒に、ご飯を食べたりテレビを見た

りゲームをしたり、そして夜になれば、お互いが体を求め合うでもなく普通にただ寝る。

プラトニックな愛というのは存在すると思うが、俺とケーコの場合はそんな高尚な愛などではなく、枯れてもいつまでも木にしがみついている枯葉を連想させるようだった。

だがこの枯葉は、台風のような暴風雨でも吹き飛ばないだろう。

雨風に負けず、必死にしがみついて耐え凌いでしまうだろう。

ケンカは相変わらず耐えなかった。

狭い8畳一間の間取りでは、お互いのプライベートな時間などおかまいなしだった。

俺はケーコがいる前でも、平然とオナニーをするようになっていた。ケーコも俺がいてもおかまいなしにオナニーをしていた。

オナニーを見せ合う仲というのは、この世界でたったひとりケーコしかいないので、それはある意味貴重な存在であるのかもしれない。

だんだんとお互いが鬱になっていくのがわかった。

ありもしない錯覚が見え出したりしたのもこの頃だった。

次第に俺の酒の量は増えていった。肝臓を壊して食事制限されたのもこの頃だった。


何も働かないまま一ヶ月が過ぎていった。

貯金がまったくない俺の生活費は、今までそこそこ貯めてあったケーコの貯金でまかなっていた。

さすが女だけあって、貯金をしていてくれたのは正直助かったが。

だが、俺の労働意欲は低下の一途を辿り、ジェットコースターの直滑降のように、悲鳴を上げながら急降下していった。

ケーコは夜の割烹料理屋で働き出した。

昼間は俺と一緒にいられるので、それが嬉しかったようだ。

たまに料理屋で残った料理をもらってきてくれたので、それが酒のツマミになって助かった。

気がつけば、俺はケーコの働きと貯金のおかげで生活していることになってしまっていた。

ようするに、『ヒモ』だ。

大嫌いな女の世話になって暮らしている俺という存在は、一体何者なのだろうか?

ずるくてイヤらしくて狡猾で。世の女の視点からみれば、間違いなく『クズ』の部類に入るのだろう。

だが、それでケーコは良いと言った。この生活環境でもかまわないといった。

その言葉の甘さが、俺の心の甘さをますます増大させていった。

俺だって、好き好んでケーコと一緒にいるわけではない。むしろ、我慢して一緒にいてやっているのだ。

それでケーコが喜ぶのなら、間違った悪いことをしているのではない。俺のしていることにも意味があるわけだ。俺がこうして家にいるだけで、ケーコの精神が安定しているのだ。これが俺の仕事なのだ。

だから俺がこうして、どんどんクズになっていけばいくほど、ケーコにとって良いことに繋がっていくのだ。

それは誰にでも出来ることじゃなく、俺にしかできないことなのだ。だったら俺がそうしてやるのが運命なのだ。いつまでも自堕落な生活を送り続ければいいのだ。


「ちょっと飲みすぎなんじゃないかい?」

俺は今、とあるバーにいる。

以前、ベロベロになった時に、やさしく水を差し出してくれたこの店に、最近よく通っている。

店の名は、『カサンドラ』。

落ち着いた雰囲気のカウンターバーで、ジャズが心地よく聞こえる店だ。

店長の『ムウさん』はかっこいい人だった。サングラスにヒゲにハンチング帽。そして黒を基調とした落ち着いた服装は、渋い大人の男性というイメージだった。

そして、とってもやさしくて頼り甲斐がある人だった。だから俺はこの店が好きになっていた。

確かに今夜は・・・いや、今夜『も』飲みすぎたようだ。

だけどそれは、俺がアル中のような飲兵衛だからではない。

この店の雰囲気は、ひとりでお酒を楽しめる空間であって、ワイワイ騒ぐ店ではない。

俺は最近、居酒屋のようなうるさい場所が嫌いになっていた。どいつもこいつも、悩みのない屈託のない笑顔でヘラヘラ笑っているやつらの顔を見ると、無性に腹が立って仕方なくなるのだ。

だからこの店でひとりで飲むことが多くなっていた。それにジャズの心地よい音楽を聴いていると、ひとりでいても退屈することがないのだ。

でも一番のこの店の魅力は、ムウさんという人間の人柄だと思う。

とにかくその豊富な知識と、優しく諭す喋りは魅力的で、ムウさんに相談に来る客が多いのもうなずける。

人生を知り尽くしてはいるが押し付けない、やわらかな説教が心地良かった。

俺も仕事と女のことで悩み、何度ムウさんの言葉に救われたことがあったか。

そしてもうひとつ、ムウさんは若い女をイヤラシクくどくようなことはしない。そこが紳士的であった。

俺の兄は頼りなくてだらしない男だったので、ムウさんのような頼り甲斐のある人を、俺は兄のように慕っていた。そんなムウさんを、常連客は尊敬と賛美の意味を込めてこう呼んだ。


『ミスター菩薩』、と。


「ムウさん・・・俺、もうなんのために生きているかわからないっスよ・・・」

酔った俺は、グラスの中の氷を、指でコロコロとかき混ぜながら言った。

「・・・・・・」

ムウさんは無言で俺の話を聞きながらカクテルを振る。

「はぁ・・人生ってなんでしょうかねぇ・・・・」

俺の他愛のない唐突な質問に、ムウさんはこう答えてくれた。

「その答えをみつけるために、人は、生きていくんじゃないかな・・」

「答えを見つけるのが運命・・ですか?」


ムウさんの言葉に励まされ、次の日、俺はムウさんと同じカウンター内で働くことになった。

人と人との繋がりは、けして偶然ではく、必然的に出会ってゆくものだと、その時俺は感じた。

そしてこの出会いが、俺の人生を渦中に引き込んでいくキッカケとなるのを、俺はまだ知らない。

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