第7話 落し物
落とし物を見つけたなら、誰もがそれを交番に届けるだろうか。もしそれが現金だったなら、少なからずそれに興味を示す者はあるはずだ。そうして、その現金を警察に届けるだろう。届ければ、何らかの報酬を約束されている。しかし、そう簡単に現金が落ちているはずが無い。もしそれが本当に落とし物で、困っている人が居ると分かっていれば、あるいはそう言う経験をした者ならば、迷わず警察に届けるかも知れない。もしそれを届ける意思が無いなら、最初からそれを拾わないと言う選択肢もあった。
落とし物を拾ったと言う、三十代くらいのサラリーマン風の男性が現れた。ところが、中身を確認したところ、とんでも無い物が見つかった。我々は早速捜査に乗り出した。最初、その異常さにこの紙袋を届けた本人が、それをやったのだと疑った。普通ならそれを見つけたときに、中身を確認すれば、その異常さに真面な精神で居られないはずだ。そうで無かったとしても、少しの動揺も隠さずにここを訪れることはできないだろう。しかし、その男性には全く動揺が見られなかった。それは、男性が紙袋の中身に気付いていなかったからだろう。もしそれが違うとすれば、残すは中身を入れたのは、その男性本人と言うことに他ならない。しかし、これほど惨い事をして、平然として居られるものだろうか。
男性は、ある公園のベンチでこれを拾ったのだと言う。彼は昼過ぎ頃、ベンチに腰掛けると、日頃の溜まった疲れから、いつの間にかそこでうとうとと眠ってしまった。半時ほど眠っていただろうか。目を覚まして、その紙袋に気付いた。何の変哲も無い紙袋であった。誰かがそこに置き忘れた物だと思ったと言う。厄介な物を捨てたのだと言う考えは、微塵も浮かばなかったらしい。紙袋は手にした感じ、かなり重かった。それで、尚一層誰かが置き忘れたのだと思ったそうだ。きっと結婚式の引き出物か、あるいは何か催しのお土産ぐらいに考えていた。わざわざその男性自身が気にすることでは無かったが、その時はこの公園を訪れる前に、交番の前を通って来たことを思い出し、どうせそこを通らなければならない。それなら、手間は同じだし、このまま放置して、誰かに盗まれたり、悪戯されたりして、後で自分が疑われても後味が悪いと思ったのだ。もちろん自分は無実なのだから、何もびくびくする必要は無いはずだった。
「紙袋の中身は全く知らなかったのかね」
男性は頷いた。嘘を吐いているふうには見えなかった。
我々は男性と共に、その公園へ向かった。そこは砂場、鉄棒、ブランコ、動物の背中に乗るバネの遊具、水飲み場、ベンチ、トイレの建物があるだけの何の変哲も無い小さな公園だった。午後六時を過ぎた頃には、辺りはまだ明るいとは言え、誰の姿も見当たらなかった。そこで遊んでいた子供たちは、既に家に帰ってしまったようだ。
男性は公園へ入って、ちょうど中程に位置するコンクリート製のベンチに進むと、ここにその紙袋は置いてあったと、すぐ脇を指差して証言した。彼はここに座っていれば、公園全体が見渡せると言った。当時はその公園には、ほとんど誰も居なかった。いやただブランコが揺れていた。キーキーと緩やかなその鉄のきしむような音が響いていた。小さな男の子だったか、独りブランコで遊んでいたのを思い出したと最後に一言付け加えた。ところが、肝心のその子の容姿は、どうも記憶が曖昧ではっきりしない。どんな子だったのか。髪は長かったか、短かったか。それに服装は何色か。まるで分からない。何一つ思い出せないと言う。仕事で疲れていた所為もあり、そこまで周りが見えていなかったのだろう。その男性は、もう少し自分が注意深く目を向けていれば、捜査のお役に立てたのにと残念がって、我々と別れた。
結局その公園で、紙袋の持ち主に繋がる重要な手掛かりは得られなかった。ブランコの男の子にしても、たまたまその時間帯に独りで遊んでいたのかも知れない。近くには大規模な団地がある。学校もある。幼稚園もある。その男の子が、小学生なのか。それとも、もっと小さな幼稚園ぐらいの児童なのか確かでは無いのだ。
二三日前、この公園の近くで轢き逃げ事故があった。小犬を連れた児童が猛スピードで走る車にはね飛ばされ、亡くなったのだと言うが、その犯人すら捕まっていなかった。まだ何の手掛かりも得られていないのに、何の特徴も分からないまま、ブランコの男の子を探すことは不可能に近いだろう。
ところが、事態は急展開を見せ、意外な結末を迎える。――後日、落とし物の持ち主が現れた。自分がその紙袋を無くしたのだと、名乗り出た人物があったのだ。
その人物に因ると、飼い犬の散歩の途中に、不幸にも交通事故に遭ってしまい、愛犬は亡くなってしまった。猛スピードで突然と現れた車に、轢き殺されたのだと言う。死骸は損傷が酷く、目も当てられない状態であった。その人物は、最初こそあまりの惨劇に狼狽し、犬の死骸を残し、その場を離れてしまった。が、後になって可哀相に思い、犬の所へ戻って来た。死骸を持ち帰って、ちゃんと埋葬してやろうと、紙袋に入れて持っていた。その公園には、汚れた手を洗うために立ち寄ったのだそうだ。ところが、気付いたときには、どこへ行ったのか、その紙袋が消えている。誰かが間違えて持って行ったのか。それとも、盗まれてしまったのか。それすら分からなかった。もしそうだとしても、中身を見た瞬間、その不気味さに、どこか分からない場所へすぐに捨ててしまうだろうと思ったらしい。
紙袋は二つあったそうだ。その一つが無くなった。初め紙袋一つでは、死骸は全部入り切らなかった。車に轢かれて死んだ犬の体は、二つに千切れてしまったのだと言う。それで、紙袋二つに分けて入れていたのだ。その一つが消えてしまった。しかし、胴体と一緒に完全な体で埋葬してやりたかった。そうしないと、死んだ犬が浮かばれない。ずっと残りの紙袋を探していた。まさか交番に届けられているとは、思いもしなかったと言う。途方に暮れた末に、ちょうどこの公園の近くに交番が見えた。駄目元でそこを訪れたのだそうだ。
落とし物として届けられた紙袋の中身は、死んだ犬の頭部だった。紙袋を開いて、中身を確認した警官はさぞ驚いただろう。まさかそんな物が入っているとは、誰も想像できなかったはずだ。
ところが、その後、公園の近くで起こった児童を轢き逃げした車と、犬を轢いた車とは、何か関連があるのでは無いかと疑い。その事を詳しく伺おうと、落とし物を引き取りに来た人物に連絡したところ、住所も連絡先も全くのでたらめであったと分かった。それでは、その人物の話していたことは全て嘘だったのだろうか。
小松巡査はこんな事が、ふと頭に浮かんだと言う。あれは何かに使うつもりだったのかも知れない。しかし、そんな物を一体何に使うと言うのだ。もし何らかのトラブルを起こしてしまい、やむを得ず車を乗り捨てることになり、そこでうっかり犬の頭部を入れた紙袋を無くしてしまったのだったとしたら、せっかく手に入れた頭部を取り戻すために、わざわざ交番に来たとしたならば、そんな危険なことを冒してまで、その人物にとって犬の頭は重要な物だったのだろう。しかし、その理由については、我々が全く想像も及ばないことであった。人面犬の事件が起こるまでは……。
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