第5話 追跡

 我々は渋滞で混雑する街道を避け、旧道から逃走車両を追撃することにした。その旧道は、人里離れた山道へ向かっていて、この時間帯でも車の数は少なかった。逃走車は必ず、この旧道へ紛れ込んで来る。小松はそう予測していた。人気の無い峠の山道へ逃走経路を変更し、そのまま闇に紛れて逃げ切る算段だと踏んでいた。小松の予測は、見事に的中した。一瞬、追跡中のパトカーから、逃走車を見失ったと報告があった。この時点で、問題の車両は混雑する街道の車と車の間を縫って左折し、旧道へ抜け出していたのだ。

 先行する我々の方が、逃走車の進路へ回り込んで、優位に待ち構えることができる。こうなれば、既に袋の鼠だと言える。

 夜の十時、巡回中の街道で、制限速度を超えて暴走する、白の不審な車両を目撃した。明らかに危険な運転行為である。我々は即座にサイレンを鳴らし、追跡を開始した。問題の車両は、幾度もの我々の制止を無視し、街道を疾走し続けた。夜遅い時間帯とは言え、その日は金曜日だけあって、大規模な交通事故に繋がるほどに、十分な交通量があった。我々の車両は中央線を跨ぎながら、車の間を突き進むようにして、暴走車両を追った。静かな夜の町に、サイレンのけたたましい音が鳴り響いた。赤色のテールランプを点らせた通行中の車が、道の脇に車体を寄せて、我々の通過を待つように道を空けている。不審な車両は、全く速度を緩める気色を見せない。我々はその車両を見失わないように走行するだけで、精一杯だった。

「何て奴だ!」

 小松が唸った。

「速いですね」

 中原も呆れたように答えた。小松は、即座にこの付近を巡回中のパトカーに、応援要請を行った。その隣で、中原がハンドルを握り、緊張した面持ちで運転していた。――既に三台の車が、逃走車両の後方を追跡している。激しいサイレンの音、逃走車の制止を求める警官の声、緊急車両が通過することを知らせる警告が、パトカーのスピーカーから交差して響いた。我々は十分に安全を確保した場所で、応援の車両を配備させておくように求めた。

 小松、中原の乗るパトカーは、先行して旧道へ向かうことに決めた。逃走車は必ず旧道へ逃げ込むと、小松は予測していたからだった。ところが、我々の予測を遙かに超えるスピードで、逃走車は疾走した。旧道は道幅も狭く、曲がりくねって、とても走りやすい道とは言えない。が、逃走車はそれを易々とやってみせた。我々は逃走車の先回りをしていたはずだったのが、いつの間にか、またその車両の後方を追い掛けていた。

「そこの車両、路肩に寄せて止まりなさい!」

 マイクを使う小松は、語調を強めていた。二人の顔にも次第に焦りが見えてきた。完全に逃走者の先手を取ったはずだった。が、気付いてみれば、未だに事態は好転を見せていない。

 タイヤが悲鳴を上げながら、逃走車は急カーブを強引に曲がった。テールランプの明かりが、暗闇の中に赤い軌跡を描いた。旧道へ出て、前方を走る車も、対向車もまるで出会わなくなり、逃走者の進路を遮るものは完全に無くなった。その所為もあってか、逃走車両との距離は随分と離されていた。山道へ入ると、急なカーブが続いた。ヘッドライトの光線が、道に沿って生い茂る雑木林を不気味に白く照らし出した。ここは町中よりも、夜が更けるのが早く、その夜も一層深いように思える。逃走者はこの道に走り慣れているのか、これ見よがしにスピードを上げた。カーブに差し掛かるたびに、少しの間、車両が我々の視界から隠れてしまった。しかし、この山道は曲がりくねってはいても、峠までの一本道である。人も通れないような獣道でも使わない限り、抜け道は存在しなかった。このまま無理をせずに、じっと堪えているだけで、逃走車を追い詰めることができる。焦りは禁物だった。

 また急カーブが差し迫って、車体が方向を変えたとき、前方を走っているはずの車両が姿を消した。テールランプの明かりすら、完全に見えなくなっていた。視界から隠れていたのは、わずか数秒に過ぎない。その間に、見えなくなるほど先へ行ってしまったのか。いやどんなに飛ばしたとしても、この上り坂をそこまで車を加速させて走行することは考えられない。逃走車両は、どこへ消えてしまったのだ。我々は、どこかに抜け道があることを見落としていたのか。小松は慌てて、他の車両に確認を取ろうとする。その時、後方から激しいエンジン音とともに、眩いヘッドライトの光線が現れた。我々を嘲笑うかのように、一台の車が猛スピードで、パトカーを追い抜いて行った。

「あの白い車だ!」

 小松が叫んだ。どうして先行していた車両が、我々の後方から現れたのか不思議だった。先へ行ってどこかで待ち伏せをしていたのか。そうだとしても、なぜ逃走中の車両がわざわざそんな事をする必要があるのだ。そのまま行ってしまえば、簡単に逃げ切れたはずだったのを、逃走者の行動が全く理解できない。それは警察に対して、挑発的な行動を取るのが目的だったのか。逃走車は又しても、我々の車両を悠々と抜き去って行った。しかし、ここで無理をして追い掛けて、事故を起こしてしまっては元も子もない。峠を越えて、麓へ下りて来たところで最後の勝負を懸ける。そこで逃走車を取り逃がせば、警察の威信に関わることになるだろう。

 下り坂になった。ここら辺りは最もカーブがきつく、この山道の難所になっていた。事故も起きた。それはどれも、危険を顧みない無謀な運転によるものだった。いよいよその急カーブが迫って来た。逃走車はそれを物ともせずに、スピードを上げたまま走り続けていた。今度も難無く、カーブを曲がり切ると思われていた。タイヤが路面を滑るような、恐ろしい音を立てた。小松、中原も息をのんだ。運転手は曲がれないと気付き、急ブレーキを踏んだのだ。が、その時には手遅れだった。車体が道路脇のガードレールに接触し、それでも勢いは止まらず、運転手もろとも崖下へ落ちて行った。

「だから言わないことじゃない!」

 小松は思わず声を荒らげていた。我々は、車両が落下した場所へ急いだ。そこへ着いて、暗い所をライトの明かりで照らして回った。どうも様子がおかしい。確かに事故が起きた形跡はある。あるが、それは随分と以前に起きたもので、先ほど我々の眼前で発生した事故とは違っていた。既に壊れたガードレールは錆び付いている。まるで辻褄が合わない。二人は入念に崖下へも明かりを投じてみたが、それらしい車両は発見できなかった。翌朝、日が昇るのを待って、再び周囲を捜索するものの、とうとう該当する車両を見つけ出すことはできなかった。

 その後、逃走車両のナンバー照会を行った結果により、車両はその急カーブで事故を起こし、運転手を含め、乗車していた大学生三人が亡くなっていたと判明した。それは、数年も以前にあった事故だと言う。

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