第2話 落下物
工事現場では、希に奇妙な石が見つかると言う。そう言う事は、よくある話だ。工事の計画を遂行するには、どうしてもその石が障害になる。それで石を掘り出し、取り除いてしまう。すると、その途端に現場で、不審な事故が相次ぐ。単なる偶然かも知れない。しかし、何度も不幸が度重なれば、それは何かに祟られたのだと考えるだろう。もし誰も触れてはならない物に、触れてしまったのだとしたら、工事を中断せざるを得ないことになったかも知れない。それは石ばかりとは限らない。小さな祠だったり、古びた地蔵だったり、壊れた墓石のときもあるはずだ。
老朽化した高層ビルの上階からの、落下物による事故が頻発していると通報があった。町の中心部に程近い市街地に、その高層ビルは静かに立っていた。目撃者の話では、ドスンと頭上から何か重い物が落ちて来て、地面に激しく叩き付けられた。危うく頭に当たるところであったと言う。その中には、慌てて避けようとしてアスファルトの地面に転倒し、怪我をする者も居た。故意に通行人を狙っていたのか、あるいは単なるビル外壁の老朽化による崩落事故だったのか。それとも、近頃この界隈で多発する地震の影響を受けてのことなのか。現時点では判断が付きにくい。今のところ落下物が、通行者を直撃したと言う知らせは受けていない。それだけが、不幸中の幸いだと言えよう。
小松、中原両巡査は報告を受け、パトカーで現場に急行した。目撃証言の多くは早朝、通勤時間帯に集中していた。それ故、通勤途中の通行人を狙った愉快犯とも考えられる。廃ビル同然のその建造物は使われなくなって、かなりの年数が経過している。どうしてこんな危険な建物が、町のど真ん中に存在しているのか。実に不思議であった。その上、この辺りは町の中でも一等地に当たる。土地だけでも相当な価値があるはずだ。そんな高価な土地が利用されずに、ただ放置してあるとは、全くおかしな話である。何か特別な理由があるのだろうか。
二人は問題の建物を前にして、上階を見上げた。かなりの年代物だと言っても、高層ビルだけあって、相当な規模がある。構造もしっかりしている。そこらのボロアパートや、廃家屋とは訳が違う。そう簡単に壊れそうな代物では無い。多少の外壁の崩落はあったとして、それがこれほど高い頻度で起こるとは、とても考えられない。となると誰かが意図的に物を落下させたことになる。
その時、急に中原巡査が勢いよく歩きだした。
「あっ! 中原、危ないぞ!」
小松巡査が、慌てて大声で叫んだ。と同時に何かが、中原の眼前で弾け飛んだ。巨大な黒い塊が、彼の頭上から落下して来たのだ。明らかに我々に向けて、投げ付けたように思えた。運良く発見が早かったため、すぐに中原は足を止めることができた。そのまま気付かずに先を急いでいたなら、間違い無く彼の頭に直撃していただろう。勿論ここへ来るに当たり、万一に備え安全ヘルメットを着用済みである。その万一がもう少しで起きるところであった。あれだけ大きな物が直撃していたなら、幾ら安全ヘルメットを被っていたからと言っても、無傷で居られるはずが無い。それが、我々に警告してのことなのかどうかは分からないが、もしそうだとするなら、一体誰がそんな事をすると言うのだ。
中原巡査は、ビルの上階に怪しい人影を見たと言った。小松は、それには気付かなかった。早朝の明るい時間帯とは言え、高層ビルの上階は二人の所からは、かなり距離が離れて見える。部屋も窓も、廊下も、その数は相当なものになる。そのどこかに誰かが居たとして、気付かなくても不思議は無い。もし落下物を投げ付けた人物が存在したとすれば、まだビルの内部に潜んでいる可能性は高いはずだ。高層ビルの出口は建物の規模からして、数ヶ所存在する。が、電気は既に止められているため、三機以上設置されたエレベーターは稼働していないから、その数ヶ所も非常階段のある裏口と、南階段、東階段の上り口の三ヶ所に絞られてくる。それでも安全上、二手に分かれることは極力避けたい。たとえ分かれたとして、どうしても一ヶ所は手が回らない。それなら、わざわざ危険を冒す必要も無いだろう。
それに向こうはじっと身を潜め、こちらの出方を窺っていることもできる。が、こちらはそうも行かない。いち早く相手の居場所を特定し、そこへ向かわなければならない。この状況下では、明らかにこちらが不利である。それで、中原巡査が人影を目撃したと言う辺りを目指すことにしたのだ。その場所だと、ここからでは非常階段を使った方が早い。更にビル内部の状況は、まるで把握できていない今、闇雲に建物の中へ入って、無事にそこまでたどり着けるとは限らないのだ。
我々は長い長い階段を上り続けて来た。その欄干の至る所には、老朽化を象徴するように、塗料が無残に剥げ落ち、錆がこびり付いていた。それでも、頑丈な高層ビルは依然として、しっかりとした耐久力を備えていた。少々の事では、びくともしそうに無い。むしろそこを駆け上る二人の体力の方が心配だった。中原巡査から大分遅れ、小松が息を切らせながら階段を上り終えた。彼は青い顔をし、唯でさえ厳しい上り階段であったのが、加えてこの高さである。地上が随分と遠くに感じられ、足元が常に落ち着かない。想像を絶するその高さに目が眩む。高所は平気だと豪語していた小松も、流石にこの高さまで来ると、そうも言って居られなくなった。
両巡査は廊下の窓際に立って、階下を見下ろした。つい先ほどまで居た場所が、あんなに小さくなって、ちょうど真下に望めた。この場所に間違いない。ここから何者かが、落下物を投げ付けたのだ。しかし、とうに犯人は何の痕跡も残さず、この場を去った後のようだった。中原巡査は頭をもたげ、廊下の隅々まで見渡した。壊れた壁のコンクリート片、あるいはそれに代わって落とせそうな物が、その高層ビルにはたくさんの部屋があるだろう。その中には家財道具らしき物も、多く取り残されていたはずだ。それを持ち出し窓から落とせばよいのだが、その肝心な窓がはめ殺しになって、どうやっても開閉することができない。その窓から、何か物を落下させることは、誰にも不可能だった。
犯人を追って来たはずが、ますます犯人から遠ざかる気がした。どうやって、落下させたのか? 何を落下させたのか? 必ず手掛かりは残されている。その一つに我々に向けて放たれた落下物がある。それは場合によっては、重大な証拠や犯人に繋がる大きな手掛かりになるだろう。
両巡査はもう一度、ビルの前に立ち戻って、先ほど発見できなかった落下物を探すことにした。
「どうだ。そっちは、在ったか?」
「いいえ、見つかりません」
「おかしいな」
小松巡査は、思わず首を傾げた。あれだけ巨大な物が落下し、たとえそれが木っ端微塵に砕け散ったとしても、何らかの痕跡を残しているはずだ。それが見当たらないと言うのは、どうも腑に落ちない。確かに何か巨大な物体が落ちて来て、中原巡査の二三メートル先で、ドスンと凄まじい音を立てて弾け飛んだように見えた。二人が同時に、その事を目撃している。見間違えだったとは考えにくい。では、一体なぜ落下した物を発見できないのか。
彼らが最終的に落下物をそれだと判断した物は、明らかに矛盾をはらんでいた。その形跡が、まるで存在しないのだ。その巨大な石は、底がすっかり地面に沈み込んで、苔と雑草に覆われていた。既に地面と同化していた。昨日今日、落下して来た物では無かった。確かにこの石が、二人を狙って落ちて来た。他に幾ら探しても、それらしき物体は見つからなかった。
その巨大な石は、何年も前に落下した物だと分かった。その時、石の下敷きになり、亡くなった人が居たと言う。どうしてそんな物が落ちて来たのか、誰が何のためにビルの上階に、そんな巨大な物を運び込んだのか、未だに分かっていない。
その後の調べで、石は最初からビルの屋上にあった物のだと判明した。が、依然として誰がそこに置いたのか、何の目的で置いたのか、どこから運んで来たのかについては分からないままだった。ただその石の落下によって、非常に多くの犠牲者が出たと言う記録だけが残されていた。そう言う事もあってかどうか分からないが、その老朽化した高層ビルは今も尚、町の市街地に取り壊されずに立ち続けている。
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