「読者」が「作者」に変わる時代

 読者についての章を設けた理由が、これでした。現代は、一億総発信時代です。発信の手法は千差万別で、ブログとかツイッターとかSNSとか、最近トレンドなのはインスタグラムでしょうかね。


 考えてみると、ホームページの時代から連綿と、「簡略化」されてきた感じもします。文章を書くという技能は、まったくもって万民向けではないからですね。それぞれにまだ得意と思われる方向へ分散している感じです。


 私もかつては文章など当たり前に誰でも書けるものだと錯覚していました。その幻想を打ち砕いたのが、ムスメの発した一言、「誰もがサラサラっと文章書けるわけじゃないの! それは特殊技能なのっ!」でしたね。

 なぜ書けないの? という無頓着にも程がある態度でいましたが、反省。


 ここ、カクヨムというSNSには書ける人が集っていると仮定して、話を進めていきます。ロム専の読むだけの人も居るでしょうが書くつもりはないとさせていただいて。


 さて、「書く」とひと口に言っても、その為に必要な能力は実は複数あります。


 「文章力」、これに関しては上を見ればキリがないので必要最低限として、これは最低限度でよければ一番敷居は低いと思います。すぐ用意が出来ます。


 次に「発想力」、書くにしても内容を決めねばなりませんので、ここはちょっと敷居が高くなります。猿真似では役に立たず、自力発生させねばなりませんので。


 お次が「論理的思考」、これは発想したものを発展させる為の能力になります。想像力とも似てるでしょうが、演繹とか帰納とかのことです、スパッと言うと。こいつはモロに訓練を要します。必須でありながら、訓練しなければ入手不可。


 書くという行為には、まず発想の段階で既存の事柄についてを論理的思考でもって分解、再構築し直す、という工程が必要でして。これは大学で論文書くのも一緒です。


 一番簡単かつ失敗の少ない方法としては、反対論陣を組んでいく、という手法があります。大学の課題などでよくありますね、「○○について」というやつ。


 例題:『異世界に堕ちた主人公はなぜ人でなしになるのか?』


 異世界転生ものにありがち設定で、主人公は前世とか元の世界に未練がまったくないというのがあります。それに、異世界では躊躇なく殺戮を犯します。(笑


 反対論陣を組む場合には、従来の異世界転生ものにありがちなこの二点について、逆バージョンを考えてみるわけです。なぜ元の世界に未練があってはいけないのか、を思考していきます。

 物語における役割なども考えていくわけです。


 元の世界に未練があると、元の世界を描かねばならない。が一つ浮かぶでしょう。それは本編とか物語の目的にとっては蛇足である、という事も言えるはずです。

 本来、異世界転生ものは、新しい世界で活躍する物語なので過去は本道から外れるわき道なのですね。


 ここで、論理的思考です。


 本道から外れるからとここを省略する物語が多いのだから、逆張りをすればそれだけで目立つはずです。元の世界も登場させる。でも、元の世界を出すには本編と元の世界に密接な関係性がなければ、物語の構成上での必要になりませんよね。

 なので、ここで「異世界と元の世界に何がしかの因縁がある」とするわけです。


 この流れこそが、「発想」なのですよね。ついでに、これが「世界観」の構築の仕方でもあります。物語の大外の枠を組み立てる作業なのです。


 これが逆転して、まず人物から作ってしまうと、その外枠を広げていく作業が格段に難しくなってしまいます。一番細かい規格である人物たちのカタチが決まってしまうので、そのカタチに合わせながら外枠を組むという事になるからですね。

 これが、空中分解とか支離滅裂とかご都合主義世界の元凶だったり、あるいはテンプレ世界から離脱する事が出来なくなる原因だったりします。


 最初に一部屋単位の人物を作ってしまうのだから、それが多数に膨らんだ世界は、改築を繰り返したツギハギ物件か、同一構造を持つプレハブ住宅になりやすいのは道理でしょう、という話でした。キャラクター小説書きの弱点です。


 インスパイアされた既成の作品からヒントを得て、新しい作品を作ろうと思ったとしましょう、多くの人は人物にまず注目してしまい、「自分だったら、こういう人物を活躍させる、」と考えてしまいます。

 しかし、その人物が活躍する場所は、既成作品の世界のままで人物の設定を詰めてしまうケースが多いわけです。すると、変更が効かなくなります。これが枷となり、世界観をいざベツモノに整形しようと考えても、人物がネックとなって巧く思考が働かなくなってしまうのです。

 人によっては、人物を詰めたついででエピソードまで手を伸ばしてしまうので、余計に世界観の変更がやれなくなるわけで。だから既成作品と同じ世界観で具材だけちょっと工夫した、という程度のものに収まってしまうのですね。

 それらはぜんぶひっくるめて「テンプレート」です。世界観の影響はとても大きいので、読者から見たら多少の変更点など些細なものとしか映らないのです。特にテンプレという概念に慣れていない読者はそうです。作者がいくら工夫したと言い張っても、通用するかどうかは読者に委ねられてしまうのですね。


 世界観にはほとんど手をつけず、他の具材だけ工夫を凝らす。これは二次創作の手法ですよ。だから、グダグダと文句を言われてしまう事もあるわけです。



 論理的思考によって、対象を分解、再構築。それが発想です。変えるというのは、「世界観」そのものの変更でなければ意味がない、という事も留めておいてくださればと思います。

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