読者層に合わせた「文体」
「読みやすい文章」と言ってしまうと個人差になってしまいますんで逆に「読みにくい文章」とはなんぞや?から始めます。おさらい。
これは、読者個人間での読解力レベルによる、という感じですけども、ラノベばっかり読んでる人はラノベ群の平均的な文体が心地よいから読むわけだし、文学ばかり読む人はまたその平均的なトコの文体が肌に合うから、と言えます。
だから読者層という感じで、ざっくりと階層が分けられたりもするわけでして。
基本的な、誰もが共通で感じるであろう読みにくさとしては、「ねじれ文」とか「難解文」とか「矛盾文」とか「抽象文」とか、まぁそんなトコが上がるでしょう。下の下だと、「誤字脱字多し」とか「てにをは間違い」とかはむしろ論外としても、読みにくい文章ってのはある程度のタイプ別分類が出来そうです。
ごく少数ですが「調子ハズレ文」てのがあって、これ、音楽でいうなら4拍子とか2拍子とかが通常ではスタンダードというかポピュラーで、誰もがノれる音楽ですけども、たまーに変調タイプとか5拍子なんていう、「カクッ」と来る楽曲がありまして、それのことですね。
文章にも、変な癖がついていてテンポよく読めない文章を書く方がたま~にいます。読点の打ち方が独特だったりするのも危険信号。リズムに気が行ってないと起きるのではないかと思います。
この方々は、読書経験よりむしろ他人の話し方というデータそのものが少ないのではないかと感じます。世間の楽曲は4拍子がポピュラーで5拍子は珍しいのだ、というデータを肌に感じていないのではないかと。
それでいうと、てにをはが怪しい人というのも同じ事になります。正しい平均のデータを持っていないので、自身の使うてにをはがズレていると解かることが出来ない。
ねじれや抽象、意味不明になりやすい、などの欠点はつまりその作者の中に文章に関するデータが少なく、比較検証が自身で十分に行えないせい、と言えます。
先人が「良書を読め」というのは伊達や酔狂で言ったんじゃないという事で。エエカッコしいではなく、それが一番効率的だからですね。
次に見るべきは「ワープ文章」でしょう。私もよくやります。宇宙船のワープ航法さながらに途中をすっ飛ばして、八艘跳びに飛び移っていく話法です。話の通じてる同士の会話で、すでに互いが知っている事柄を話す時は細かい部分を端折りますけれども、アレのことですね。
テンプレ作品なんかは読者もだいたいのストーリーも展開も知った上で話をなぞるだけですんで、ほとんどの部分は説明不要だというわけです。だから、ワープ文章でポンポンと描写を飛ばしてしまっても、読者に不都合はありません。要らん部分は省かれているしで、非常に読みやすいという。
逆にね、斬新なことをやらかすとワープ文章ゆえに出来ていた読みやすさは総崩れになるので、途端に読みにくい文章に感じてしまうという弊害もありますね。ダイジェストで端折って書く文体なので、既知の事しか書けない文体です。
論文の一部にも使われますが、あっちは曲りなり出典とかは出しますからねぇ。部外者が読んだ専門分野の論文は参照項目が多すぎて何がなんだか解からないと思いますが、あれの感覚がテンプレに馴染まないジャンル違い読者の受けるテンプレ作品の感想です。なーんか内輪だけの了解で書かれてんな、てなものです。
だから、本屋で並んでいるテンプレ作品を手に取ってパラパラ捲ったとしても買われる率は非常に低いはずです。テンプレをすでに知っている人しか買わないからです。
ワープ文章に慣れた読者は、逆に普通の読み物に対しても同じ感覚で臨んでしまうという弊害もあります。普通の文体は、その情景が浮かぶようにと事細かに描写をしますが、彼らはこれが邪魔に感じるわけです。適当に既知の情景を勝手に当て嵌めて読む癖が付いてますから。結論ありきで予測しながら読んでいるわけです。
テンプレの特殊事情はこのくらいにして。
本題に行きたいなぁ、そろそろ。「青年の主張」がなぜダメなのかについて。
地の文が、その作者の「青年の主張」状態になっている時がありますが、それは場合によってはすごく鼻について癇に障りますし、邪魔に感じる、というものです。
(続きあとで)
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