第15話 ボストン・セルティックス
夏のキャンプとシーズン前の練習で各選手とかなり打ち解けていました。10月後半のシーズンの開幕まで、これから本番さながらの試合形式の練習に入る頃の事でした。チームのメンバーからはルーキーのケビンへの対応は「10年来の友達の様」でした。しかし、リーダー的存在になれ、と言われているビル・ラッセルがどうも仲間と上手く溶け合っていません。彼は、セルティックスに入団してすでに6年も経っている中堅ですし、他の選手も彼とは一緒に頑張って来た仲間のはずです。時には、殴り合いの喧嘩になる事もありました。これでは、チームワークに悪い影響を及ぼす事になります。あくまでも、プロのスポーツは勝つ事が重要ですが、チームワークが悪化すると勝てる試合も勝てなくなります。レッド・アワーバック監督も怒り狂って選手を罵倒する事が多くなっていました。ケビンは単純に「これがプロなんだ」、と思っていました。
そんなある日、 ボブ・クージーとビル・シャーマンの二人と偶然に会いました。監督のレッド・アワーバックも一緒でした。食事に誘われ、ボストンの街中へと繰り出しました。ボストンは魚介類が美味しい街です。トマトベースの赤いニューヨーククラムチャウダーと牛乳ペースの白いニューイングランドクラムチャウダーの2種類があってケビンの好物です。エビ(特にロブスター)や蟹も美味しいのです。ニューイングランドのクラムチャウダーと塩茹でした蟹をバターソースで注文しました。「エビや蟹を食べ始めると会話がなくなる」、と、よく言われますが、ケビンは主に三人の会話の聞き役でした。どうやら、 ボブ・クージーとビル・シャーマンの二人がアワーバック監督にビル・ラッセルについて抗議している様でした。主役の座を追いやられた二人には、面白くない、という心情からくる発言の様ですが、意外にビル・ラッセルが白人嫌い、という性格についてでした。
「あいつときたら、何でも黒人差別のせいにするんです」、と、白人のボブが抗議します。
「そんな事は無いだろう。お前も、あいつと一緒にもう、六年も一緒にやってきているんだから黒人差別があるとは思えない」、と、アワーバック監督はなだめようとしますが、溝は大きい様でした。
「ケビンどう思う?」、と、急に振られて、手と口についたバターソースをナプキンで拭きながら、「理由は解りませんが、ビルが最近、チームメートとよくもめています。プレーに支障が出ている様にも思えます。大学で勉強したスポーツ医学では、身体的な能力以上に、精神的な影響が選手のパフォーマンスに大きな影響を及ぼす、という事を勉強しました」。アワーバック監督は、「解った。それとなくビルに、何が原因か探りをいれておくよ」、と、言いました。
それから数日過ぎて、開幕近くなった頃、今度はビルに食事を誘われました。ビルはオリンピックの金メダリストで、セルティックスではファイナル優勝二回、MVPを二回受賞している大選手ですし、セルティックスファンのみならず、MBAの花形選手と二人っきりの食事です。ビルは、「疲れているところ付き合ってくれてすまない。今日は、俺の悩みを聞いてもらうと思うがいいかなぁ?君はセルティックスの中で人的派閥を持っていない貴重な存在だし、君のような素直な人の意見を聞きたいんだ」。
「お役に立てるかどうか判りませんが・・・」、と、答えはしましたが、6歳上の大選手からの話ですし、しかも、NBAではルーキーの自分の様な選手にどの様な相談が出来て、役に立つ様な答えができるかは不安でしたが…。
ビルは二人のミーティングの為に、The Lenox Hotel Bostonと云う1900年の初頭に建設が始まったという歴史的なホテルのダイニングルームの「City Table」の特別室に予約をいれておいてくれました。決して贅沢な事ではなく、ボストンでビル・ラッセルが目立つ場所で食事は出来ないのです。ケビンは大学時代のアマチュアでは経験がなく、プロになって強く感じたのは、食事や買い物が普通に出来なくなった事です。ファンの人でもアンチセルティックスの人でも、騒ぎが大きくなると大変危険なのです。プロの試合では、残念ながらギャンブルがいつも関係していますし、その周りをマフィアが取り巻いています。それに、アルコールが売られている所でプロの選手が一般の人に混じっている事はあり得ないのです。The Lenox Hotel BostonはダウンタウンのBack Bayに面し大変、人気のあるホテルで人も多く出入りするので特別室を予約しておいてくれたのです。(本当はビルには他人に聴かれたくない話があったからでもあったのです。)
「今日は疲れているのにワザワザ有難う」。
「いいえ、今日はお誘い有難うございます。ラッセルさんこそ、今日のワークアウトはハードだったのでお疲れでしょう?」。
「いや、本番の試合なら疲れているだろうが、ワークアウト位だとたいした事はないよ。それに、明日は休みだから気分は上々さ」。
「さすがですね。僕なんか明日が休暇でなければ、きっと、今頃ベッドに寝ていますよ」。
「大丈夫、俺もルーキーイヤーはそうだったから。すぐに慣れるよ。明日は休日だからビールでも飲めよ。俺も飲むから。それに、昔は強いビールが多かったが、最近は「水」のようなビールばかりだから。ここはフレンチだからワイン、というところだろうが、アメリカ人は、まずビールだよな」。
「はい分かりました。では、お願いします」。 ビルは丁度、同時に入室してきたウェイターとオーナーの様な人に注文をしました。一緒にバッファローウィングとサラダスティックをオーダーしました。ウェイターと同時に入室してきたのは、胸のタグに「Owner」、と書いていましたので間違いありません。オーナーが注文時にお客のテーブルにくるのは、重要な顧客だけです。やはり、ラッセルさんはVIP扱いだという事です。ただ、他の格式のないレストランでは「ここにはビル・ラッセルがきました!」、とサイン付きの写真を貼っているものですが、このホテルはやはり伝統のある格式の高い場所なので、ホテル側の広告宣伝にお客を使わない、という姿勢で顧客に接している様です。ラッセルさんはそんな所が好きなのでしょう。
「実は、 ボブ・クージーとビル・シャーマン、それに監督のレッド・アワーバックと君が食事したと聞いた。あぁ〜、誤解しないでくれ。俺は君を攻めているわけではない。たぶん、その時に話した内容が俺の事だったと思って聞きたい事があったんだ。ケビン、決して裏から告げ口をしてくれと、と言っている訳ではない。君が、彼らと話しているのを聞いてどう思って、俺がどうした方が良いか正直に言ってくれればいい。君の意見を聞かしてほしいだけなんだ。君も知っていると思うが、新体制という事で ボブ・クージーとビル・シャーマンを外した体制にするとチームから俺は言われた。アワーバック監督も承知のはずだし、俺としてもチームオーナーやコーチが決めた事に協力をしたいと思っている。 ボブ・クージーとビル・シャーマンの二人には今までももめた事があったが、それは、チームメートとしての意見交換が腕力にまで発展したもので、彼らを個人的に恨んでいる訳ではない」。
「ラッセルさん、」。
「おい、もういい加減にビルと呼んでくれよ。もうチームメートじゃないか」。
「有難うございます。それでは、ビル、 クージーさんとシャーマンさんの二人とアワーバック監督の三人と食事をした時は、ビルの名前が話題になったには事実ですが、むしろ、チームの和が乱れている事の意見交換でした。誰も個人攻撃はありませんでした」。
「ケビン、実は問題は他にあるんだ。君には解らないだろうが。それは黒人に対する人種問題なんだ。白人を一方的に責めるつもりはない。黒人にも問題がある。本来ならスポーツに黒人問題やその他の人種に対する偏見を持ち込むべきではないのは誰でも分かる。頭では。それでも小さな頃から植え付けられた偏見は簡単には変えられないんだ。君は白人だが僕と今日食事する為にこのレストランに入ってきたけれど、ほんの10年前まで、黒人と白人のレストランは別れていたのは知っているだろう?」。
「はい、思えています。僕の恋人は日系のアメリカ人ですが、それでも、差別は有りました。ミミという名の恋人ですが、彼女のご両親も苦労した様です。日系人は先の戦争が 理由の差別で、黒人の差別とは種類が違うと思います。差別は差別ですが」。
「そうだね。黒人は何世代も差別されてきた。君も学校で習った様にリンカーン大統領が、変えようとしてくれた」。丁度100年間の1860年11月6日に16代大統領になったアブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を行って、南北戦争が起こり、一応、差別は撤廃された筈でしたが、実際は、それから100年のたっても表面的な差別がなくなっただけで、水面下でやはり差別は存在します。黒人も同様に白人に対して悪意に満ちていて、争いが絶えません。今年、黒人に人気がある民主党のジョン・フィッツジェラルド・ケネディーが共和党のニクソンと争っています。35代の大統領選挙です。もし、ケネディーが大統領になれば、たったの43歳。しかし、ビルは彼に期待している様でした。
「何故かわかるか、俺がケネディーに期待している訳を?それは、俺達の様な若い黒人にも大きなチャンスを与えてくれる世の中にしてくれる様な気がするからさ」。
「ケネディーの事はよく知っています。僕の家族と同じアイリッシュ系ですから」。
「そうだったな。実は去年、俺はケネディー候補にあった事があって、その時に、黒人問題や色々な社会問題について話した事があるんだ。その時に『みんなが憬れる黒人になって憬れられる存在となってくれ』と、言われた事があるんだ。それから、差別は差別、俺は白人や外国人と一緒になってこのセルティックスを所謂、『人種差別のないユートピア』にしようと頑張ってきたんだ」。
「それは、解りました。しかし、それなら、何故、問題が起こるのですか?」。
「それは、俺の間違った考え方、つまり、自分のエゴイズムから始まっている。俺が悪いんだ。それで、今日、君に来てもらったのは俺たちの仲を上手く取り持って欲しいんだよ」。
その時のビルの目は「刺す」様な鋭いものでした。
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