第12話 大学進学

シャムロック・スターが他界してしばらくはエイドリアンじいさんは物静かでした。落ち込んでいる、と言うよりは、言葉数少なめに、何処となく寂しそうでいました。人生の節目をかみ締めているのでしょう。ケビンもクリスティーナも勿論、痛いほどエイドリアンじいさんの気持ちがわかるだけに、そっとしておきました。シャムロック・スターがどんなにエイドリアンじいさんにとって重要な存在であったかは言うまでもありません。とにかく、動物好きのエイドリアンじいさんが、働くようになってからズーっと人生を一緒に歩んできたシャムロック・スターがいないのですから。人の場合、火葬にしたりそのまま棺で土葬したりできますが、馬の場合、特別な業者が処理します。エイドリアンじいさんはどのような処理をするかは教えてくれませんでした。たぶん話したくないのでしょう。ただ、シャムロック・スターのハーネスとエイドリアンじいさんのジョッキー服を一緒に埋めて、石碑だけのお墓を庭に作りました。時折、エイドリアンじいさんはそこに行って何か話しかけているようですが、ケビンはなす術を知らずただ見守るだけでした。


そんなエイドリアンじいさんが僕に言いました。「お前、進路は決めたのか?マイカンさんとの話は聞いたが、もうそろそろ、結論を出すころじゃないのか?」 「はい、大体決めました。もう少し時間をください。細かく話します」、と、答えました。でも、ほっとしたのは、エイドリアンじいさんが自分のことをやはり気遣っていてくれたことが判ったからです。当たり前と言えば当たり前ですが。ケビンはミミやクリスティーナとは相談に乗ってもらっていたのでほとんど決心がついていました。後は、エイドリアンじいさんに了承してもらうだけです。「好きにやっていい」、と言われているのでエイドリアンじいさんを気にしなくてもいいのかもしれませんが、父には、こう言う人生に関わる事では心の支えだったようです。自分の父に対する義務感ではなく、ここまで育ててくれた父親の愛に報いるためです。学校からの推薦や、大学やプロからの誘いを整理して、断るところにはその理由も話すのが筋ですから、整理する時間がほしかったのです。翌週のある朝、エイドリアンじいさんが朝食後にコーヒーを飲みながらくつろいでいるときに、「今がチャンス」、とばかりに話しかけました。「お父さん、僕は大学に行くことにしました。バスケットボールで一生送れることを望んではいるのですが、プロのお金には今は興味ありません。それに、大学でやりたいこともあるので、勉強をしながらバスケットボールをします。大学は、オハイオ州立大学で医学部を受けようと思います。医学部の中でスポーツ医学のコースができたので、スポーツと一生、付き合えるように勉強したいのです。お父さんが若いころ獣医になりたかったと言っていましたが、同じような理由からです。奨学金も出るし、バスケットボール部からの誘いもあります。チームはあまり強くはないのですが、逆にチャレンジして、ビッグテン(イリノイ、インディアナ、アイオア、ミシガン、ミシガン州立、ミネソタ、ノースウェスタン、オハイオ、ペンステート、パデュー、ウィスコンシンの11校-もともと7校でスタートしペンシルベニア州立大学が11校目に参加したが、10校の時代が40年も続いていたのでいまだにBig Ten Conferenceと呼ばれている。)で優勝できるようにがんばります。オハイオ州立大学は伝統もあるし、教授陣も充実していると聞いています。ハミルトンコーチもベストチョイスと言ってくれました。シカゴからオハイオ州コロンバスまで約300マイル(500Km)ですから、7-8時間であれば車で帰ってこられます。ミミとは手紙をお互いに送りますし、たまに電話します。特待生扱いですし奨学金とあわせば、お金は何とかなると思います。行かせてください」。エイドリアンじいさんは、「それがお前のチャレンジでやりたいのなら勿論応援するよ。しかし、クリスティーナがきっと寂しがるからコレクトで良いから電話をするんだぞ。で、いつ出発するんだ?」 「8月の中ごろです。ハイスクールの卒業とちょっとしたアルバイトをしてから行きます」。


ケビンは試験も通り、晴れてオハイオ州立大学に入りました。言うに及びませんがバスケットボール部のコーチやドミ通り(宿舎)にいる連中がよくしてくれたので、すんなり大学生活に入れしました。勉強は練習の後で体力的にきついのですが、だんだん慣れて平気になりました。成績もほとんどがA+またはAで優秀でした。すぐに始まったバスケットボールのシーズンでは、Junior (freshmen=一年生, sophomore=2年生, Junior=3年生, Senior=4年生)の先輩のサブのフレッシュマンとしてベンチスタートでしたが、ポイントガードのポジションは狭き門でしたがケビンが圧倒的なプレーでレギュラーを勝ち取るのに時間はかかりませんでした。ほかのポイントガードはケビンの過去の戦歴を十分知っていましたのでシューティングガードへの転向を希望し、みんなが3ポイントシュートを練習し始めました。オハイオの州の木はセイヨウトチノキでオハイオ州立大学の愛称もこの木の名前をもらってBUCKEYES(バッカイズ)と呼ばれていました。勿論、バスケットボールチームもバッカイズと呼ばれています。テレビやラジオでも「オハイオ州立大学のバスケットボールチーム…」、とは呼ばず、「バッカイズ」の一言です。


バッカイズはそれまで弱輩チームでした。全米代表級のポイントガードのケビンはずば抜けていましたが、ほかの選手にはオハイオ州立大学以外で大きく取り上げられる選手はいませんでした。しかし、徐々に、実力がついてきて、常勝とはいきませんが常に大敗してきたチームとは格段の差でした。オハイオ州立大学があるコロンバスでは、急に大学バスケットボールの人気が急上昇し、地元メディアはこぞってバッカイズのバスケットボールを取り上げるようになりました。勿論、ケビンがチームのレベルを上げているのですが、ケビンに必死になってついてくるチームメートが徐々に認知され始めたのです。バスケットボールは通常、4,5人のコーチ陣と10,11人の選手(5人のスターターと残りのベンチスターター)で試合を行いますが、ケビンは最近ではスターターとして活躍するようになりました。ヘッドコーチのチャールズ・オズボーンとケビンはゲームのストラテジーについてよく話し合いました。司令塔の役を担うポイントガードのケビンとオズボーンヘッドコーチがゲームの運び方について話し合うのは当たり前ですが、二人は選手の特性や気性、特技や苦手なプレーなど細かいことまで記録されている情報を元に戦略を立て、後はゲーム中のその場の判断を取り入れて試合をこなしていました。ゲーム中の細かな修正はケビンが試合中の選手をケビンがそれぞれの選手の「目」。を見て判断します。集中力、疲労度、意気、さらに汗、息遣いなどを「目」。で判断できるのです。ケビンの身体能力や技、勝負強さなどは周知の事実でしたが、こういったチームメートや敵チーム選手の状況を把握できる能力はあまり知られてはいませんでした。オズボーンヘッドコーチもケビンのこの能力を、コーチ、選手に機密扱いにさせました。相手チームに悟られないためです。オズボーンヘッドコーチもケビンもスポーツすべてに言えることですが、こういった心理戦がことのほか重要なのはよく理解していました。ケビンは今までの経験と大学のスポーツ医学で習うことも大いに参考にしながら、アスレーツの肉体の状況と心理的な面の相互的な影響を理解してゆきました。これこそ、ケビンが突き止めたかった究極のスポーツ学だと信じていました。ケビンはなにも、自分が出場しているゲームのみならず、あらゆるスポーツ観戦を通して、この知識を深めてゆきました。エイドリアンじいさんと電話でも「昨日、それまで好投を続けていたxx選手が、一個のフォアボールをきっかけに崩れ、大量得点につながったのはアドレナリンと言う副腎髄質より分泌されるホルモンのおかげで、ヤンキーズは逆転できたんだよ。運動器官への血液供給増大を引き起こす反応としては 心拍の上昇、血管拡張、皮膚などの血管収縮、消化管機能低下を起こす...」 「ケビン、ケビン。そんな講釈はお父さんにはいらない。ピッチャーが急に乱れてヤンキースが打ち勝った、と言うだけで十分だ」、と怒られる始末です。勿論、エイドリアンじいさんはケビンがそんな立派なことをいえるだけ、成長したことに喜びを感じていました。クリスティーナもそんな会話を、目を細めながら微笑んでいました。

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