第11話 人生の選択
そんなある日、エイドリアンじいさんが「今日、アーリントン・パークにこられないか?」、と尋ねました。「勿論、ミミをつれてきてもいいけど、お前の将来のことで話をしたい。夕方、4時ごろに」。正直言ってちょっと威圧的な言い方でした。エイドリアンじいさんは子供に命令するタイプではありませんが、この時はもう決まったことだ、と言わんばかりです。ケビンは少し不安になってミミを誘って行く事にしました。その日の4時に厩舎にエイドリアンじいさんを訪ねると、ここ一週間ぐらいシャムロック・スターが厩舎に来ているのは知っていましたが、シャムロック・スターのところでケビンのことを待っていると、厩舎仲間が教えてくれました。行ってみると厩舎の前でエイドリアンじいさんと獣医らしい人と表で話していました。「お父さん」、と呼びかけると、「おぉ、来たな」、と言わんばかりに無言で手招きしています。ミミの手を引いていくと、エイドリアンじいさんはうなずいて二人の肩に手を置きながら、シャムロック・スターの厩舎の中を見せました。「ケビン、お前には詳しくは言っていなかったが、実はシャムロック・スターが死にかけている。いわゆる老衰だから仕方がないが、今、会っていた獣医さんによると、後、もって1~2日だそうだ」。シャムロック・スターは意外に静かな息遣いで横になっています。三人でシャムロック・スターのそばに座り、みんなで体や顔を撫でてやります。シャムロック・スターは首を少し上げて、撫でてくれているのが誰か確認しています。エイドリアンじいさんのシャムロック・スターを見る目は生まれたての赤子を見る「目」。で見ています。
「ケビン、お前が将来のことで最近、悩んでいるのを知っている。何度も言ったが、お前はいろいろな可能性がある。勉強で進んで好きな職業につくこともできるし、バスケットボールの道にチャレンジすることもできる。大学やプロもある。しかし、お父さんの時は、みんな貧しくて、大学へはほんの一握りの人だけ行けただけだった。動物が好きだったから獣医になりたかったが、大学にいけないから諦めざるをえなかった。そんな時、出会ったのがこのシャムロック・スターだ。父さんの一生はこの一頭の馬との出会いがすべてだった。シャムロック・スターとの出会いは、こいつとの「目」が合ったことからすべてが始まった。そんな人生も悪くはなかった。母さんに出会ってお前ができて、「スモールマック」、という犬もいた。これからも人生の輪が広がっていくだろう。そんなことの連続が人生と言うものだ。ケビン、お前が何を選ぼうが、どんな仕事を将来しようが、父さんはお前の見方だよ。今、お前は好きな道を選べ。お父さんがこの馬との一生を選んだように、おまえの好きなことを優先して選べ。但し言っておくが何が将来起こるか誰にもわからない。そのときに、後悔するな。一番やりたいことを迷わずやることだ。それに、後で、お前も知っている人と会うことになっているから、その人が助けてくれると思う。話をよく聞いてもらえ」 「えっ、誰ですか?」 「後の楽しみにしとこう」、と教えてくれません。しばらく、シャムロック・スターのそばで黙って撫でながら見つめていると、急に暗くなって、表を見ると逆光でよく見えませんでしたが大きな人が立っていました。ミミが立ち上がってそばに行きケビンの所に戻ってきました。「マクドナルドさん、ケビン、マイカンさんがいらしています」。
マイカンさんは、シャムロック・スターが危篤だと聞いて来てくれたのです。ちょうど、ミネアポリス・レイカーズを引退した直後でした。「マクドナルドさん、もしよかったらシャムロック・スターに最後のお別れを言わせてもらえないか」、と、言ってきたのでした。「マイカンさ、お電話でお話しましたように、どうぞ、心置きなく。ケビン、ミミ、われわれは遠慮しよう」。三人が厩舎を出ると、マイカンさんは会釈しただけで厩舎に入っていきました。5分位してから、マイカンさんが出てきました、目にいっぱい涙をためて。マイカンさんは、「いやぁ、失礼しました。マクドナルドさんありがとう。私は6歳か7歳のころにシャムロック・スターの熱狂的なファンでした。あのころは大恐慌のころで、人の心が荒み(すさみ)、暗い話ばかりで何の楽しみもなかった頃でした。僕は「ビッグマック」、と呼ばれていたマクドナルドさんとシャムロック・スターが勝ち続ける姿に感動しました。アーリントン・パークは家から近かったので親近感があったのは事実ですが、大人がみんなあんなに興奮しているのを見て、プロのスポーツ選手という職業にあこがれたのです。だから、今日は最後のお別れをシャムロック・スターにしたくて参りました。『ありがとうシャムロック・スター』を言いに」。これを聞いたエイドリアンじいさんはやはり涙しながら、「マイカンさん、シャムロック・スターもマイカンさんにきっとありがとうと言っていますよ。私にとっても今のマイカンさんの言葉で自分のやってきたことが正しかったと言えます。こいつと二人三脚でがんばってきて、『つくづくよかった』と、思います」。二人は固く握手しています。
1954年のチャンピオンシップの後、マイカンさんは一度退団し不動産関係の法律の勉強をしていましたが、55-56年のマイカンさんのいないミネアポリス・レイカーズは惨敗に次ぐ惨敗で我慢できず一度、復帰しています。しかし、必死になってプレーしたマイカンさんの努力もむなしく最悪の敗戦記録となり、ついに永久にシューズを履くことをやめました。その後、ミネアポリス・レイカーズのヘッドコーチになりましたが9勝30敗の記録で途中交代しました。その直後にシャムロック・スターの事を聞きつけてやって来てくれたのです。「それでは、マクドナルドさん、少し、ケビンと話をさせて下さい」 「はい、お願いします。ケビンは将来のことで悩んでいるので、助かります」、と、今度はケビンとミミの方に向かって、「しっかり話を聞いてもらえ。私は、シャムロック・スターのそばにいてやるから。今日、明日はたぶん、厩舎で泊まるから、クリスティーナにもそう伝えておいてくれ」 「はい、お父さん」。そういうと、マイカンさんの方に振り返って、「マイカンさん、紹介が遅れましたが、ミミと言います。母以外で、私の一番大切な女性です。一緒にお話をさせてもらっていいですか?」 「恋人なのだね。よろしく、ミミ。あぁ、君がサトの妹さんだね」 「はいそうです。よろしくお願いいたします。でも、どうして兄のことをご存知なのですか?」 「そりゃ、僕はケビンのビッグファンだからね。(笑)プロの選手の間でもあの試合は放送局に頼んで見せてもらったし、新聞ぐらいは読むからね」。ミミはこんな国民的英雄に知ってもらっている、と言うだけで驚きだったようです。
三人は、厩舎の奥にあるオフィスの応接室に部屋を借りて話し始めました。いまや、アーリントン・パークの厩舎の責任者のエイドリアンじいさんの子供であるあの人気者のケビンとマイカンさんがそろって部屋を貸してくれと言うと、誰もが一番いい部屋を貸してくれるでしょう。ケビンが口火を切りました。「マイカンさん、僕は将来のことで最近、悩んでいます。贅沢ですが、いろいろな将来の道があって、どれが一番なのかで悩んでいます。勉強で進んで好きな職業につくこともできますし、バスケットボールの道で大学へ行くことやプロに直接行く道もあるのです。幸い、プロも大学もいくつか『来ないか』と、誘ってくれています」。マイカンさんはカウチに深々と座って、(というか、深々と座らないと2mを超えている人にとっては、浅く座ると前のテーブルまでのスペースがなくなってしまいます。)両手を組んでうなずいています。おもむろに、彼の意見を言ってくれました。「ケビン、私には君の人生の選択を決めることはできない。それはケビン、自分で決めることだ。でも、今日は僕が同じように悩んで決めたころの話と、プロバスケットボールの世界の話をしよう。さっき、お父さんにも話したようにシャムロック・スターと「ビッグマック」。に感動して、同じように自分にできる『人を感動させる』ことを大きくなったらやろうと子供のときから決めていた。僕は、スポーツが好きだったし、スポーツってどんなスポーツでも感動するだろう。人に勇気を与えられるのがスポーツなんだ。お父さんがしてくれたように。僕はあのときの感動を一生忘れられないだろう。それが、僕にはバスケットボールだったんだ。背が伸びてバスケットボールでは有利だったからね。決してジョッキーには向いてないからね。(笑)」ケビンとミミはこのジョークにクスッと笑いました。2mのジョッキーがいたら、と想像したのです。「それでバスケットボールを今のケビンと同じように一生懸命やった。それで、ケビンと同じように大学かプロの選択の時には同じように悩んだものだ。でも、大学に行ってもバスケットボールはできる。但し、プロでの生命は短くなる。粋の良い内にプロになる考えもあって良いと思う。しかし、あの時、僕は法律にも興味あったし、家族のそばにもいられる選択をしたんだ。それでシカゴのデポール大学に行った。そのときに思ったんだ、もしプロのバスケットボールプレーヤーになることが最終目的だったら、ケビンは今すぐにプロになることだ。しかし、ただ、バスケットボールが好きでその先にプロがあるんだったら、大学でバスケットボールをすればいい。いいか、大学はバスケットボールにも人生にも役に立つ知識を吸収する所だ。遊びに行くところではない。練習に疲れて眠そうな目で試験に立ち向かう勇気がいる。甘くはない。その代わり、絶対にケビンに役に立つ科目があるはずだ」。ケビンはただ聞いていましたが、プロのバスケットボールの世界を知っておく必要があると思いました。
マイカンさんはそれを察して、「ケビン、今度はプロバスケットボールの世界を話しておこう。アマチュアとプロの世界はお金を出すか、お金をもらうかの違いだ。アマチュアは好きなときに好きな連中とやればいい。楽しいものだ。本当にバスケットボールが好きならそのほうがいいのかもしれない。しかしプロは楽しみでやれないことが多い。膨大なお金が入ってくる。そのために、言われるがまま我慢していいプレーをしなくてはならない。つらく、惨めなことも多い。しかし、ファンが勇気を与えてくれるし、彼らのために頑張れる。それにレベルの高いプレーを競い合えると言うチャレンジがなんともいえない魅力だ。バスケットボールをやっているものが最高のチャレンジがプロのバスケットボールプレーヤーならケビン、いつかは絶対チャレンジすべきだ。君にはその素質がある。しかし、今だから言うけど、チャンピオンシップのプレーオフの前には酒や麻薬におぼれて消えていった選手が何人もいる。有能なアスリートだったのに。精神的にも肉体的にもぼろぼろにされることがいっぱいある。それに、怪我を心配しなくてはならない。ある日突然の事故やラフプレーで怪我をしたらそれで一巻の終わり。そうなってもいくらでもチャレンジすることはあるが、そのときはこの世の終わりに思えるものだ。同じチームメートでも自分が登るために、チームメートを蹴落とそうとする。それがプロだ。僕は9年の現役生活で得たものはファンの熱い応援と勇気だけだよ。確かにお金はもらった。でも、それはどうでもよくて、心のよりどころはファンだけだった。だから、勇気をもらったシャムロック・スターには特別の感情があるし、ミネソタのファンにはいつでも最大の努力ができる。お金のためではなくてファンのためにプレーするのがプロってことかな。これくらいで、プロの話は良いだろう。しかし、君が大学に行くにしても、プロにいくにしても言ってくれ。力になるよ。それでは、約束があるので…」 「ありがとうございます。よくわかりました。決めたらご連絡します」、と言って三人は握手をして分かれました。硬い握手でした。
ケビンは、ミミを送って行き、家に帰ってからもう一度、シャムロック・スターとエイドリアンじいさんの傍にいることにしました。マイカンさんの言ったことを考えると「何か父のやってきたことがものすごく偉大である」、と、感じて自分も今日はシャムロック・スターとエイドリアンじいさんの傍にいたくなったのです。その話をクリスティーナに話すと、クリスティーナも涙を拭くこともせず夕食を持って厩舎に駆けつけました。家族全員でシャムロック・スターと一緒に過ごしました。シャムロック・スターは次の朝早く、みんなに看取られて息を引き取りました。1958年の夏でケビンは18歳になるころでした。さようならシャムロック・スター。
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