第9話 スーパースター誕生

ケビンはハイスクールでポイントガードのポジションを確固たるものにしました。イリノイ州はもちろん全米でもほとんどのバスケットボールのコーチや関係者はケビンことを知っていました。まず、ドリブルが異常に早くて正確、パスは切れがよくてほとんどインターセプトできない、足が速くて非常にディフェンスしにくい、シュートが正確でどこからでも打ってくる、きっと頭の後ろにも目がある、などとコーチ陣のメモには記されていました。実はミドルスクールのハミルトンコーチは全国優勝の功績を認められ、今ではハイスクールのコーチ兼イリノイ州のハイスクールの代表コーチでもありました。ハミルトンコーチはよくケビンのおかげで出世できたと噂されていましたが人望が厚く、バスケットボールの理念にはとても詳しく、よくコーチ講習会や審判講習会では講演を頼まれていました。ケビンにはバスケットボールに関しては一番信頼が置けるコーチで、イリノイ州を代表するのが当然で、全米屈指のコーチだと信じていました。何よりもケビンは「楽しくなければスポーツではない!」、というハミルトンコーチの口癖が好きでした。実際、体力的にはつらい練習も「楽しい」練習で、選手もよく笑い転げていることがありました。決して他のプレーヤーの失敗を馬鹿にした笑いではなく、よいプレーに対してはコーチ、選手、自ら握手を求め、失敗すると全員でかばいあいます。ハミルトンコーチが真剣に怒るときはプレーヤーが真剣にプレーをしないときです。真剣に楽しんでいなきゃ、真の楽しみは生まれない、と怒るのです。他校のコーチには、いわゆる管理型のコーチがいますが、「やらされている」 「怒られるからやっている」、さらに、「バスケットボールは好きだけど自分の大学の奨学金やプロへの推薦のために我慢している」などの理由で楽しんでいない選手も多いのです。こんな選手とコーチでは決してプレーヤーの個々の潜在的能力の成長につながりませんし、小さくまとまってしまうだけです。幸いケビンにはハミルトンコーチというよきコーチのもと、すばらしい選手に成長してゆきました。


ケビンやハミルトンコーチはよくサンダースのプレーの質の高さを自慢します。これだけすばらしいプレーヤーがひとつのハイスクールに集まるのが珍しいのです。この当時、ハイスクールでは全国のミドルスクールの優秀選手をスカウトすることは行われてはいません。つまり、地元出身の選手で構成されているチームなのです。俗っぽい言い方をすると、このときのシカゴは優秀で粒がそろっていて選手が豊作だったのです。サンダースは意外にシカゴ内のリーグ戦ではいろいろな選手を試すため接戦の試合が多いものの、イリノイ州内では無敵でした。全米では、ケビンが劇的な勝利で終わった全国大会の出場選手がそのままハイスクールでも活躍していますので、大体の競合分布図はできていました。しかし、カリフォルニア州やニューヨーク州、テキサス州、ペンシルベニア州、ワシントン州などは全国の常連チームを排出した地域でした。全国大会は年に一度ですが、イリノイ州の大会、中西部地区大会など、数々の公式試合があり、ケビンは毎日、試合に向けて練習に明け暮れていました。チームのみんなは勿論、試合会場の観客からも「ビッグマック」、と呼ばれて親しまれていました。エイドリアンじいさんの場合、ジョッキーという職業の割には背が高すぎることから「ビッグ」、という形容詞がついたのですが、ケビンの場合は逆で、バスケットボールの中では、選びぬかれた周りの選手がみんなケビンより大きく、逆に「ビッグ」。のあだ名がつけられたのです。それに、チームを統率するポイントガードのポジションから「チームの司令塔」、として「ビッグ」、という意味もこめて呼ばれていました。


ケビンはどんなに忙しくてもミミと食事をよく一緒にしました。レストランでの外食はお金がかかるので、もっぱらエイドリアンじいさん家かハナムラ家で食事をしました。食後、ケビンはミミとの会話を楽しみました。ケビンの自宅でエイドリアンじいさんやクリスティーナも一緒にスポーツの話をするのが好きでした。むしろ、ミミは時にはケビンやエイドリアンじいさんより情報通でした。彼女は、雑誌、新聞を切り抜きファイルしていました。彼女はラジオやテレビで得た情報とともに膨大な情報を持っていました。エイドリアンじいさんとクリスティーナとの会話では主にベースボールの話になると、選手の平均打率や本塁打数、打点数、盗塁数、防御率、勝利数、セーブ数、奪三振数などの資料を見ながら会話ができるため話をリードすることもありました。


たとえば、当時、ヤンキースで活躍していたミッキー・マントルがホームランを打つとエイドリアンじいさんとクリスティーナに向かって「ミッキー・マントルはオクラホマ州出身で1951年にニューヨーク・ヤンキースに入団以降、ヤンキース一筋でメジャー史上最高のスイッチヒッターとして人気があり、打点と通算安打数は現役最高記録で、本塁打もスイッチヒッターとしては今のところ最多です」。ミミは続けます。「特に有名なのは、本塁打の飛距離は驚異的で、170mの柵越えを打っています。1953年4月17日にワシントン・セネタース戦ではグリフィス・スタジアムで放った打球は、フェンスを越えて遥か彼方の場外に運び、後で飛距離を計測した結果、なんと約172メートルも飛んでいたことが分かりました。今日現在の最長記録です」、と、いった調子です。いかにミミが家族の中で会話に溶け込んでいたがよくわかります。いつしか、あだ名が「ビッグミミ」、となっていました。ミミの知識が「ビッグ」だったのです。


ミミは、もちろんケビンのことは試合の成績や、パス、シュー通りバウンドなどの詳細な記録をとっていました。ハミルトンコーチは彼女を正式スコアラーとして手伝ってくれないか、と頼んだくらいです。ミミは正直な話、「ビッグマック」のことにしか熱心になれなくて断りましたが、チーム中が認める情報通でした。ミミはあらゆる角度からデータを取っていましたが、変わったものでは、「試合中、ケビンが叫ぶ最も多い言葉の一つに『Eye contact』(目での合図)で、この前の、ジョンソン高校戦では8回あったわ」、と、いった調子です。確かに、チームメートにはケビンの目を見れば彼が次にどのようなプレーを要求するか理解できたといいます。また、逆にケビンはチームが次にどう動くかを目で判断できました。こんなミミがチームの人気者になったことはいうまでもありません。もともと、サトの妹としてみんな知っていましたし、ケビンと付き合うようになってからは「ケビンの恋人」。ならびに「われわれのチームの情報源」、としてみんな仲良くしていました。

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