第6話 サトの為に
ファイナルゲームは午後1時のティップオフで始まります。11時ごろに軽い食事をして、12時ごろにボストン・ガーデンに到着しました。全員が、あのセルティックスのロッカールームで着替え、テレビで見るアリーナのコートでウォームアップをしました。シュート練習もいつもより念入りにやる選手がほとんどです。床の感触やストップの時に出る「キュッ」、となる音を楽しんでいるようでした。天井に掲げられたチャンピオンフラッグを眺めたり、ぞろぞろ入ってくる観客の多さに集中できない選手もいたりしました。カリフォルニア州ベアーズもウォームアップ中です。相手は均整の取れた選手が多く、カリフォルニアのチームらしく原色の派手なユニフォームがライトに映えています。
選手は、有頂天でした。サトのことを知るケビンとハミルトンコーチ以外は。それにケビンには捻挫と言う大きな問題がありました。直前までアイシングしていた足首をテーピングしてから、硬く包帯で固定しシューズを少し緩めにして履いてきました。今は、痛みはあまり感じませんが、俊敏な動きができるかどうかわかりません。トレーナーも首を横に振って「お手上げだ」、というだけです。それに、練習で無理をすることが怖かったせいもありましたが、練習に身が入りませんでした。試合前に全員がロッカールームに戻り作戦や相手の選手について最終確認しているときもケビンは集中出来ない状態でした。その、ケビンの目を見たハミルトンコーチはみんなの前でケビンをしかりました。初めてのことです。「ケビン、そんなことじゃサトにすまないと思わないか!あいつは今、ベッドの上で生きるか死ぬかのプレーをしているんだぞ。捻挫が痛いのならベンチからでも戦える。サトだって立派に戦っているんだ!」。ガツーンと殴られたようでした。ケビンは顔を上げました。「目」。はみるみるうちに、輝いていきました。「すいませんでした。自分勝手で利己的な哀れみでした。キャプテンとして、みんなに一言、言うことがあります。いいですか」。ハミルトンコーチは何も言わずにうなずきました。「おい、みんな、聞いてくれ。サトが緊急入院した。容態は非常に危険だ。妹のミミと約束した。状況が許せば今日の試合をサトがラジオで聞いていてくれる。俺たちと一緒に戦うために。一緒に戦うこれが最後のゲームになると思う。俺はみんなも知っての通り捻挫している。早く走れないかもしれない。パスも乱れるかもしれない。シュートも入らないかもしれない。でも、サトのために戦うつもりだ。みんなも一緒にあいつとやろうじゃないか」。ケビンは泣いています。しかし涙は拭きません。みんなも泣いていますが、彼らの「目」がアッいう間に臨戦態勢になりました。いつもの試合前のお祈りも自分たちがサトと一緒にゲームできることの感謝と、サトが頑張れるように守ってください、と言うお祈りに変わりました。ハミルトンコーチのいすの横にはサトのユニフォームが飾られています。時間になりました。ケビンは静かに十字をきりました。
アリーナは満員でした。家族連れや自分たちと同じ年代の少年たち、バスケットボールファンや他校のコーチ陣、さらにはスカウトや警備員… みんながティップオッフを待っていました。チーム紹介の後、スターターの選手がコートに呼ばれます。ケビンもスターターでした。10人の選手と3人のレフェリー、及びオフィシャルスタッフが並び、星条旗に向かって国歌の斉唱が始まりました。国歌が終わるといよいよゲーム開始です。ケビンはもう一度みんなを集め円陣を組んで静かに言いました。「For Sato and his last game!」。
カリフォルニア州を代表しているベアーズは非常に洗練されたチームでした。特にバスケットボールが盛んで強豪揃いの州の代表ですから当たり前かもしれませんが、スピードも技も、そして高さを兼ね備えているチームです。しかし、サンダーにはサトの魂が一緒です。きょうは勝利に最も意味がある試合になります。ケビンは祈りました、サト、聞いていてくれよ!と。選手が予め決めておいたポジションに移動します。主審の持つボールがスローモーションでトスされました。センターラインに立つ長身の二人がジャンプしました。ゲーム開始です。
ベアーズは噂通りのチームでした。高さを生かした速いパス回しはすばらしいし、シュートも正確でした。こちらもサトがついていますのでみんなもすばらしいプレーをしています。一進一退のゲームです。相手が得点すればこちらが追いつき、こちらがリードすると必ず追いついてきます。ケビンは努めて捻挫を隠し、平静を保ちました。足が痛い、とばれたら絶対に狙われるからです。しかし、ポイントガードは走り回るポジションです。ケビンはパスを受け取るとフェードアウェイ(ジャンプして後ろに仰け反りながら打つジャンプショット)多用しました。特に3ポイントを多く打ちました。それでもスコアはイーブンです。お互いに白熱していましたのでファールの多い試合となりフリースローが多く、成功率で少しだけ勝るサンダーが2点のリードで前半が終わりました。
実はケビンの足は限界でした。相手に悟られないようにまっすぐ歩いてロッカールームに戻りましたが、顔は歪んでいました。ハミルトンコーチはアリーナドクターを要請し、ケビンの足を見てもらいました。検診をしながらドクターはケビンの足のいろいろな部分を指で押さえました。「骨に異常はなさそうだが、捻挫の部分に相当量の「水」。がたまっている。プレーを続けるのは無理だな」、と、宣告しました。ケビンは受け入れられませんでした。何が何でもプレーを続けなくては…。ケビンは決心しました。まず、注射器で「水」。を抜きます。それでも晴れ上がった踝(くるぶし)に麻酔を打つのです。プロのバスケットボールプレーヤーでは時々こうした応急処理をします。ドクターは目を丸くし、「君きみ、冗談じゃない。アマチュアの少年にそんなことはできない」、と言いましたが、ケビンも真剣です。ドクターの両腕を掴み、ドクターの「目」をしっかり見据えて懇願しました。ドクターはあきれた顔をしてハミルトンコーチに助け船を求めましたが、ケビンは譲りませんでした。「判ったから、手を離したまえ。本当にいいんだな」 「はい、思いっきりやってください。お願いします」。ドクターは黒のカバンから大きな注射器を取り出し、針の先端を消毒しました。次にタオルをケビンにかませ針を患部に刺しました。「うぅー」、と低い声でケビンはうなりました。耐え難い痛さに違いありません。針の先から吸い込まれたどろどろの液体はゆっくり注射器に流れ込んできました。しかも、大量に。ケビンはあまりに歯を食いしばったため、奥歯が少し欠けました。失神寸前でしたが何とか堪えました。その後の麻酔の注射は小さい注射器で痛さもなく平気でした。その後、新しいテーピングをし、包帯で固定しました。徐々に、痛さが遠ざかり楽になってきました。最後にドクターは、「こんなことをする子供は初めてだ。ただし、これだけは言っておくが、あまり無理をすると一生後悔するぞ」、と、言い放って出て行きました。
痛みがなくなった代わりに、何も感じなくなった違和感がありました。力がはいらないのです。ケビンはハーフタイム中の練習で3ポイントを練習しましたが、ジャンプするときと着地するときに捻挫した右足だけ何も感じないのです。局部麻酔ですから脹脛(くるぶし)より上は問題ないのですが脹脛より下はつま先まで神経は、完璧に麻痺はしていませんが、鈍い感じでした。しかし、左足でできる限りコントロールするようにしました。ゲームは依然として膠着状態で追いつ追われつ、の展開です。第三クォーターが終わり、点差は1点で今度はベアーズのリードです。ケビンは足に青筋が走り、一歩も動けなくなる直前だと悟りました。ベンチに座りハミルトンコーチと話して、ベンチでシューズを脱ぎアイシングをベアーズベンチに見つからないようにしました。アイスを乗せてその上からタオルをかけて隠しました。第四クオーターの始まりです。サンダースの選手は明らかに疲れています。乳酸があふれんばかりに溜まっているのです。ベアーズの選手も同じです。両チームとも急に得点できなくなりました。疲れのためシュートの精度が落ちているのです。後、残り2分のところでスコアはサンダース86ポイント、ベアーズが87ポイントです。ベアーズがタイムアウトをとったため、ベンチに帰ってきた選手を勇気付けます。しかし、サトとケビンが抜けたため、代わりにはいったサブの2選手は疲れきっていましたし、試合慣れしていないこともあり、もう限界でした。
ハミルトンコーチはケビンへ振り返って、足の状態を無言で確認しています。ケビンは決めました。サトが生死をかけて戦っている勇気と比べたらこの試合で残りの二分戦う勇気なんてちっぽけなものだと決めました。「コーチ出ます」 「大丈夫か。よしケビン入れ。おい、みんな聞いてくれ。ベアーズもうちも疲れてシュートが決まらない。お互いあと、2プレーずつだろう。次はベアーズの攻撃で、いま、一点のビハインドだからまず、次の攻撃を止めてこちらの攻撃には確実に入れる。後一回しかタイムアウトはない。いいな!それからファールを抑えろ。フリースローを与えるな。いいな」。全員が「はい」、と言う。ケビンがみんなに向かって、そして「目」を見据えて、「いいか、サトが一緒に戦っていることを忘れるな」。
試合再開です。ベアーズのスローインです。相手はドリブルの上手な選手を入れてきました。明らかに時間をいっぱいまで使って、あわよくばファールをもらう作戦です。結局、サンダースはミドルレンジのシュートが決まり2点を追加しました。現時点で3点差です。残り時間は約1分半です。エンドラインからスローインしたボールをチームメートが運びます。ケビンはできるだけ早く攻めて後2回の得点チャンスを得ようとしました。パスをもらいエンドゾーンにいるパワーフォワードへパスするかのようなフェイクを入れて、シュートを打つ体制に入りました。ケビンをガードしている選手はブロックのために飛び上がりました。しかしこのシュートがフェイクだったのです。飛び上がっている相手の選手の横をアンダースローでさっき、フェイクを入れたパワーフォワードにアリュープパスを送りました。このパワーフォワードはケビンがシュートを打つと思い込みリバウンドのためにリングに向かっていたので、飛んできたケビンからのパスに驚きましたがスムーズにアリュープシュートができました。これで1点差です。残り時間は1分ほどです。ベアーズのボールです。やはり、時間をかけたプレーをしてきました。残り時間が54、53、52、51…と減っていきます。ここで、ベアーズは勝負に出てきました。思い切って3ポイントを打ってきたのです。そして、リングに吸い込まれてしまいました。一気に4点差となりました。
ベアーズはこれで勝ちを確信したでしょう。残りは40秒ほどしか残っていません。次はサンダースの攻撃ですが、ここで、20秒のショトクロックルールのため一回ずつの攻撃になり追いつけません。サンダースは短時間で得点し、もう2回の攻撃権を得ない限り逆転は無理です。速いパス回しで残り30秒の時点でシューターがファウルをもらいました。フリースローですサンダースのシューターは落ち着いてこれを決めました。これで2点差となりました。ハミルトンはコーチはここで最後のタイムアウトを取りました。この試合最後の指示となります。「相手は時間を目いっぱい使ってくる。すると残りは多分5秒ほどしか残らない。ひとつは次の敵の攻撃を0点に抑え、二つ目はこちらが得点するしかない。みんな、これが最後だ。サトのために!」。
もちろん、オールコートプレス(マンツーマン・ディフェンス)です。しかし、ケビンが足の悪いことがばれたようでケビンには痛い右足が踏ん張れない方向、つまりケビンに対して右側は簡単に抜けることを知っていました。ケビンも弱みを突いてくる選手に必死に対抗しました。急な動きをすると右足全体に痛みが走ります。麻酔が聞いているはずなのですが... その度に顔が歪みます。しかし何とか頑張りました。そして、ショットクロックバイオレーションとなるぎりぎりのところで相手はシュートを打ちました。ブロックに飛んだのはケビンでした。そのとき、ケビンの目は血走っていました。痛みのために血走っているのではありません。負けたくないのです。ケビンは渾身の力でジャンプしました。相手はシュートしてきましたが、ケビンの指にほんの少しだけ触れました。ボールはリングの少し上を通過してゆきました。バイオレーションです。つまり攻撃を0点で防いだのです。ここで、ベアーズが最後のタイムアウトを通りました。残りは8秒です。ハミルトンコーチは2点を取って同点にするか、一気に3ポイントを狙って勝ちに向かうかで、悩んでいました。ここでケビンは言いました。「コーチ、僕に3ポイントを打たせてください。相手は僕の足のことをすでに知っています。ドリブルなど急な動きで相手を抜けない選手のディフェンスは簡単ですから。だから僕に対するディフェンスが甘くなります。そこで敵との距離が生まれますから3ポイントが打ちやすいと思うのです。お願いします」。ハミルトンコーチはみんなを見ています。みんなは頷いています。これで決まりです。
ケビンはまず、「僕は足が痛いから、ボールを運ぶのは人に任せるよ」、と、言わんばかりにハーフウェーにぽつんと立っています。スローインする味方の選手は関係のない選手へのフェイクを2,3度入れて一気に動き出したケビンのパスを通しました。ディフェンダーは驚いてついてきましたが、今度はボールを持ったケビンが反転してそのディフェンダーを抜き去りました。そしてセンターラインを越したところでドリブルをしながら立ち止まりました。時間は6,5,4…となくなってきました。戻ってきたディフェンダーはまだセンターライン付近ですからシュートを打つなんて予想もしていません。2度ほど、パスをするフェイクを入れました。これでディフェンダーは少し後ろに下がりました。3、2、1…。0になる前に、おもむろに、ジャンプしました。そしてケビンは全身の神経を集中してボールをシュートしました。もうすでに試合終了のブザーが鳴っています。このシュートがはいれば勝ちで、はいらなければ負けです。アリーナはこの一瞬すべての音がなくなり、すべてがスローモーションとなりました。高く放たれたこのシュートはゆっくりとバケッ通りングの方向に飛んで行きます。ボールはリングのど真ん中に落ちていきました。
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