第2話 1953年-運命の出会い

スポーツ一家に生まれたケビンは、エイドリアンじいさんとクリスティーナの暖かい愛と比較的、裕福な収入に守られ、すくすく育った13歳になりました。ケビンは早熟でしたので身長が伸びるのがはやく、すでに6フィート(183cm)を越していました。父親のエイドリアンじいさんの家系ではなく、明らかにクリスティーナの家系の影響です。ミドルスクールに通うケビンはもちろんバスケットボール部に所属し、キャプテンにまでなりました。一応、州の13-14歳のリーグではオールスター選抜に選ばれたほどでした。ケビンはチームのキャプテンとしてみんなを引っ張りました。特に周りを見る「目」を持つケビンは要所、要所で注意を与え、さらに、よいプレーには賛美を与え、みんなの人気と信頼を勝ち取っていました。「あのガードはドリブルのときに腰が高いからスティールを狙え」、とか、「あのセンターはリバウンドを取ったあと必ずボールを大きく上下に移動さすからはたいてとれ」。などと、具体的に指示するため、コーチも一目置くようになりました。しかし、ケビンにはひとつ不安がありました。それは自分が早く背が高くなったものの、今では自分より大きな選手が増えたことです。6フィートそこそこではもう、バスケットボールの世界では大きい方ではないのです。彼はパワーフォワードのポジションですのでリバウンドを多く通り、得点も多かったのですが最近はシュートをブロックされることが多くなってきたのです。


バスケットのポジションにはポイントガードと呼ばれるオフェンスをコントロールするポジションがあり、ボールハンドリングが五人のプレーヤーの中で一番上手で、ドリブルが早く、ボールをまわす要になる選手です。シューティングガードもポイントガードと同じ役割ですが3ポイントシュートを打ったりリバウンドを取りにいったりします。スモールフォワードは、オフェンスリバウンドを狙うポジションです。パワーフォワードは、チームの中で身長が高く筋肉の強い選手でオフェンス、ディフェンス両方のリバウンドに強く、またパスも上手でなくてはいけません。ケビンはこのポジションです。最後は、センターで、基点になる選手です。短いシュートを確実に入れる選手です。ケビンは自分が将来的にはポイントガードかシューティングガードにポジション換えしなくてはならないのではと悩んでいる訳です。バスケットボールは高さのスポーツですから身長が重要なのです。


そんなある日の日曜日、午前中の練習が終わって家に帰ってくると、ドアが締まっていました。クリスティーナは教会のポトラックランチ(みんながめいめい食事を持ち寄って話をしながら食べる昼食会)に出かけていて、エイドリアンじいさんは午後のレースのためにアーリントン・パークに行っていました。小さい頃、よくアーリントン・パークには遊びに連れて行ってもらっていましたので、場所はよく判っていましたので、たまには遊びにいこうとアーリントン・パークに出かけました。すぐにエイドリアンじいさんを見つけて、そばによると見事な馬が何頭もいましたし、スモール・マック(エイドリアンじいさんの愛犬)もいました。ただ、そばに二人の男性が立ってエイドリアンじいさんと何か話していました。エイドリアンじいさんはシャムロック・スターのハーネスを握っていました。なんで、シャムロック・スターがここにいるんだろうと、ちょっと不思議でしたが…。


ケビンを見つけてエイドリアンじいさんがケビンのことを呼びました。シャッムロック・スターも「よう、久しぶり」、と、鼻を鳴らしています。「なんだ、来ていたのか?こちらはマルディーニさん、知っているよな」、と、紹介してくれました。「ええ、小さい頃にお会いしていますので覚えています」 「ケビン、こちらの方を知っているかな?」 「いいえ、存じ上げません」、と、なかなか、しっかりとした敬語で答えられました。「おいおい、お前バスケットボールをやっているんだろう?」、と、マルディーニ氏が冷たい目で見ています。そこで、エイドリアンじいさんが助け舟を出しました。「こちらはジョージ・マイカンさんと言ってミネアポリス・レイカーズの大選手だよ。今、シーズンオフで、故郷のシカゴに戻られていて、今日は競馬を楽しむためにおこしになっている。ジョージ・マイカンさんはアーリントンハイツ競馬場のスポンサー契約をされているので『シャムロック・スター』を見たいと仰ってここにお見えになっているんだよ」。


ケビンはこの時ほど目が飛び出るほど驚いたことはありませんでした。ジョージ・マイカン!? やけにでかい人とは思ってましたが…。勿論、知ってますとも。当時、カメラの性能や台数に限りがあったので、ゲームでは遠くからの映像で顔をはっきりテレビでは写せませんでした。その代わり、ケビンはプレーの癖まですべて知っていました。


ジョージ・マイカンは地元のシカゴで育ちジョリエット高校、デポール大学を卒業後、1946年、にNBL(National Basketball League-現在のNBA)のシカゴ・ギアズと契約しました。その後、同チームはPBLA(プロフェッショナル・バスケットボール・リーグ・オブ・アメリカ)に移ったのでした。このリーグが消滅すると、マイカンさんはNBLのミネアポリス・レイカーズへの入団が1947年に認められました。ジョージ・マイカンさんは、その活躍を阻止できずに協会に泣きついた各チームが多かったため、協会がジョージ・マイカン封じのルールを作って導入するという前代未聞の事件が起こったことでも有名です。


(作者注1:ジョージ・マイカンは6フィート10インチ(208cm)の長身で他を圧倒し、しかしながらスピードとテクニックを兼ね備えていました。その時代のリーグでは、驚異的な選手として君臨しました。制限時間以内にシュートを放たなければならないショットクロックルール(24秒ルールとも呼ばれます)の導入や、現在はペイントゾーンとも言われるゴール下の領域の拡大など、ルールそのものが改訂されました。また、シカゴのデポール大学時代にマイカンさんがリングより上のシュートボールをいつもブロックしたために、「ゴールよりも高い位置にあり、なおかつ落下している時にオフェンス側の選手がボールに触れた場合には、ボールがゴールに入っても得点はカウントされないし、ディフェンス側の選手が触れた場合には、シュートボールがゴールに入らなくても得点が認められる」、と、いう「ゴールテンディング」、というルールを導入しました。これらマイカンさんが原因で導入されたルールで、現在でも受け継がれています。作者注2:ミネアポリス・レイカーズは今のロサンジェルスにフランチャイズを移しましたが、もともと、湖(レイク)の多いミネアポリスーミネソタ州のチームという意)


「はじめまして、マイカンさん。ニューヨーク・ニックスとのファイナルを見ました。チャンピオンシップ優勝おめでとうございます。去年と同じ相手でしたが、マイカンさんの活躍はすごかったですね。特に第二試合の3rdクォーターの追い上げはすばらしかったです。マイカンさんの3本たて続けのシュートブロックから始まったといっていいと思います」、と、挨拶代わりに興奮して終わったばかりのミネアポリス・レイカーズの優勝についてケビンは触れました。「ありがとう。去年ほどではなかったが、レーカーズはいいチームだから疲れたよ。でもよく細かなことまでよく知っているね?」。エイドリアンじいさんが「この子もバスケットボールをミドルスクールでやっていますから。キャプテンです。それにインターステーツで代表選手です」、と誇らしげに話しました。「そうですか」、と、エイドリアンじいさんからケビンに向き直って「で、ポジションはどこなの?」、と、聞きました。「はい、今はパワーフォワードです。しかし、最近、みんなが大きくなってきて、もうそんなに強いパワーフォワードではないんです。前は、確実に入っていたミドルや二アレンジのシュートが最近ではブロックされるんです。フェードアウェイするとシューティングポイントが低くなりますし、フェイントでかわしておいてシュートを打つようにしています」。


これを聞いたマイカンさんは、さっき握手したのにまた手を出して再度、握手を催促するんです。「思いっきり僕の手を握ってごらん?」。 相手は、7フィート近い大男で手の幅は30センチ以上あるんです。しかもプロ選手です。勝ってこないと思いましたが思い切り握りました。にこっ、と微笑んでマイカンさんは自分のバッグからバスケットボールを取り出して、舗装されているところまでケビンを引っ張ってドリブルしろって、言うんです。次に「あの、納屋の蹄鉄のマークに当ててごらん。高さはちょうどゴールと同じぐらいだから。1対1をやろう」。こんなところで、いまや、全米一、いや世界一のバスケットボールプレーヤーと1対1をやるとは思いませんでした。しかし、めったにない、というか一生に一度のチャンスです。ケビンは必死になってマイカンさんに挑みました。ケビンはまずマイカンさんがあまりにも大きいので、手も長いので遠いほうの右手でドリブルしました。そして、右に行くと見せかけて今度はボールを左手に移し変えてドリブルし一気にマイカンさんを抜きレイアップシュートを打ちました。シーズンオフとはいえ、あまりにもマイカンさんは簡単に抜かれました。そのとき、蹄鉄の約20センチ手前の空中でマイカンさんの手が出てきてボールをキャッチしました。しかも、はたかれたのではなくキャッチャーミットのような手がボールを掴んでいるのです。初戦はマイカンさんの勝ちです。当たり前でしょうが。


次はマイカンさんのドリブルで始めます。体を低くし長い手でドリブルしています。ケビンにはとても届く距離ではないのですが、必ず、マイカンさんが前に出るときにボールが自分の近くに来ます。しかもケビンの手から地面までの距離と比べるとマイカンさんの手と地面までの距離は違います。大きい人ほど当然ですが長くなります。ケビンはそれを待っていました。そして、マイカンさんが前に出てきた瞬間を狙ってスティールを試みましたが、ヒョイ、と交わされてダンクシュートと同じように蹄鉄にボールをたたきつけました。マイカンさんは笑っています。「OK。最後に君からもう一度はじめよう」、と、ボールを渡されました。そのとき、エイドリアンじいさんが一言言いました。「ケビン、スポーツの一番大切なことを忘れるな!」。一番大切なもの?ケビンは「アッ」、と、気が付きました。さっきは、マイカンさんのからだの大きさに圧倒されて、相手の足を見ながらドリブルしましたが、今度は、マイカンさんの目を見ながらドリブルを始めました。やはり、マイカンさんに遠い右手でドリブルです。しかし、前に出たとき咄嗟に目でフェイントをかけボールを左手のドリブルに換えました。あわてたマイカンさんは、体重を右足の置いたのがはっきり判りました。そのとき、普通はそのままシュートですがケビンはさらにマイカンさんの左足のほうにボールを交差して、レイアップシュートを打ちました。今度は、マイカンさんの手は届かず、蹄鉄のマークまでまっすぐにボールは当たりました。


「すばらしい、ケビン。バスケットボールで大事なのは『目』だよ。確かに、僕は君より遥かに背が高いが逆に、ドリブルや体重移動にハンディキャップを背負っている。リバウンドなどのルーズボールは君には負けないが、ドリブルやすばやい動きは君のほうが有利だ」。マイカンさんは何か思い出したように、「来週の日曜の午後にデポール大学で、シカゴ出身のプロのバスケットボール選手が集まってちょっとしたワークアウトで遊ぼうと思っているんだが、今日、エイドリアンさんにシャムロック・スターを見せてもらったお礼に招待するよ。遊びに来いよ」。ケビンは、「本当ですか?!」、と大はしゃぎでしたが、一応、エイドリアンじいさんの方を見て行ってもいい?と、目で訊きました。「ご迷惑でなければ。ありがとうございます」。もう、あまりその後のことをケビンは覚えていません。確か、マルディーニさんがマイカンさんを貴賓室に連れて行ったのでしょう。明日チームのメンバーや友達になんて言おう?とか、何かにサインをもらっておけばよかったのに、とか、日曜日には何を着ていこう、とか、デポール大学までどうやっていこうとか…。結局その夜は、興奮して眠れませんでした。あのジョージ・マイカンさんと1対1をしたのですから。

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