第一章-3 『深淵の契約』

 夜の森に殺気が漲る。

 対峙するは2人の男。

 うち1人は魔導士、もう1人は魔法の素人だ。

 決着は最初からついているように思われた。


 無論サイラスも勝利を確信していた。

 この数日間、今日の突入に備えて何回か森に入って調査をしてきた。

 森には魔女リリィの結界型探知魔法『ディテクトレイズ』が張ってあったが、所詮は広範囲魔法、精度は完全では無く、同じ魔導士が隠密魔法を使えば隠れることなど容易い。

 魔女の森に見知らぬ男が居たことは驚きだが、彼は見る限り魔法に関しては初心者もいいところで、マナの扱いも素人だった。

 これはむしろチャンスだ。

 あいつを人質に取れば魔女の動きを封じることが出来るかもしれない。

 万全の情報と作戦の上で、サイラスは動いたのだ。


 ここまでは全て順調。

 唯一の懸念材料だった魔女との対峙は、人質の脅しが予想外に効果を生み、魔法すら使わずに事足りた。

 このまま魔女と、ついでにあの少年をマクファーレンに引き渡せば、彼の部下の中でのサイラスの立ち位置は大きく躍進するだろう。

 

 あとは、適当に魔法を使ってあの少年の戦意を折ってしまえばそれで終わり。

 仮に殺してしまっても、リリィに罪を被せてしまえば問題ないだろう。

 世間は魔女の味方をしない。

 それどころか、サイラスは人殺しの魔女を拘束したと評価されるまである。

 

 ーーーなら、殺しちまっても構わねぇか。


 受けた命令は、魔女の捕獲のみ。


 ーーー格の違いを思い知らせてやるよ。


 サイラスは余裕の嘲笑を浮かべたまま、地属性魔法『マッドストライク』を放つ。


 いや、放つ直前。


 サイラスは少年が視界にいないことに気づく。


 ーーー逃げやがったのか?


 そんな事を考えた瞬間、強烈な右の拳が横顎に突き刺さる。

 鈍い音が脳内に響き渡った。

 痛みを感じる前に、体は地面へと伏していた。


「立てよ、クソ野郎。あんたには聞きたいことが山ほどある」


 ライアは倒れた男を睨み付ける。

 記憶は失っていたが、長年鍛えた技は残っていた。

 半分無自覚とはいえ、それは的確に急所の一部を穿つ。

 完全に制圧するほどの一撃ではないが、戦意を折るには十分だろう。


「ぐぁっ......テメェ!! 何しやがった!!」


 男は激高して起き上がり、魔法も使わずに殴りかかってくる。

 こいつも、魔導士でありながらも本質的には格闘家、否、この程度なら喧嘩屋の気質なのだろう。

 中途半端な拳はいくら振るおうとライアには当たらない。

 何発ものパンチが空を切る。


 ーーー所詮こいつは半端者だ。抵抗出来ない女の子を殴りつける程度の力しかない!!


 空を切ったパンチにライアのカウンターが合わさる。

 今度は下顎に的確に命中、男はそのまま崩れるように膝をついた。


「クソガキがあぁぁっっ!! 舐めやがって!!」


「人を散々殴っておいて、殴られるのは嫌いか? それじゃあ筋が通らないだろ?」


「人だァ? テメェは本当にアレが真っ当な人間だと思ってんのかァ!?」


「......どういうことだ」


「本当に知らねぇらしいなァ!? おい、何か言ってやれよ魔女サンよぉ!?」


 話を振られたリリィは悲壮な表情を浮かべて押し黙る。

 ライアが無事だった事は素直に嬉しいし、今もサイラスと戦っているライアの強さに驚きつつも心配で仕方ない。

 だが、結果がどうあれ、リリィの隠していた事は暴かれてしまうだろう。

 砂上の楼閣が崩れ去るのはあまりにも早かった。

 ライアが死ぬか、ライアに愛想を尽かされるかの二択。

 

 こうなる事は最初から分かっていた。

 なのに、中途半端に期待をした結果、ライアを危険に晒してしまっている。

 今はただ、ライアの無事を祈ることしか出来なかった。


「ふん、都合が悪くなったらだんまりかァ!? どいつもこいつも舐めやがって!!」


 サイラスは怒りのままに立ち上がり、少年を睨みつけた。


「俺様をここまで愚弄したことをせいぜい後悔するんだな!!」


 サイラスの周りに闇の瘴気が漂い始めた。

 闇魔法のように見えるが、威圧感がまるで違う。

 

 ライアは思わず身構える。

 一体何が起ころうとしているのか?


「俺様にこれを使わせるんだ、認めてやるよ、テメェの実力を。俺様の名はサイラス・アディンセル。テメェの名前は?」


「ライア・グレーサーだ」


「上等だ!! 叩き潰してやるよ!!」


 瘴気はますます強くなり、サイラスを覆い隠した。

 後ろで見ていたリリィも動揺を隠せない。

 

 ーーーこれは、禁術!? どうしてそんなものまで!?


 もしこれが禁術なら、相対した者の命は非常に危ういと言える。

 ライアのような魔法の素人なら尚更だ。

 恐怖の予感はリリィを凍り付かせた。


「ライアっっっ!!! 逃げて!!! 殺されちゃう!!!」


 リリィは力を振り絞って叫ぶ。

 事態は過去だの何だのと言っている場合では無くなった。

 今すぐにライアを助けなければならないのに、MJRが邪魔をして魔法が使えない。

 リリィは近くにあった石を拾って首の拘束具に打ち付ける。

 

 しかし、これは魔導騎士が犯罪者拘束に使う専門器具なのだ。

 いくら石で叩いたところで傷一つ付かない。

 それでもリリィは拘束具を叩き続ける。

 ただ純粋に、ライアを助けたい。

 それしか考えていなかった。


 だが、無情にも詠唱は完了の時を迎えた。

 闇の瘴気が倒れていたシリルとかいう男へ向けて放たれる。


「大いなる魔術よ!! 贄の魂魄を喰らいて摂理に背き、崇高なる邪念を纏いて我に無限の力をもたらせ!! 『ネクレイオン』!!!」


 放たれた瘴気が消えた後に、生贄の姿は無い。

 そして、サイラスを包んでいた瘴気が渦をまいて発散され、中から異形の生命体が現れる。


「グォォォォッッッッ!!!!」


 雄叫びが森に木霊する。

 魔人が、解き放たれた。

 常軌を逸した変貌は見る者全てを戦慄させる。


 平均的な背格好だったサイラスの姿は見る影も無く、今は2メートル近い巨体となって全身が黒い鱗に覆われたような姿となっている。

 そこから放たれる威圧感は先ほどの小物ぶりを感じさせない程であった。


 ライアは再び構えをとる。

 本能的に危険を察して、全身の毛が逆立つような感覚。

 

「まったく、とんだ化け物が出てきたな。魔導士ってのは皆こんな見た目になるのか?」


 そう言って軽口を叩くが、ライアの神経は一点に集中していた。

 おそらく、一撃でも貰えば致命傷になりかねない相手だ。

 それ故、受けの構えでカウンターを狙う。

 

 次の瞬間、サイラス、いや、もう魔人と呼ぶべきであろうその巨躯はライア目掛けて突進した。

 魔人の瞬発力で飛び出す攻撃はそれ自体が凶器と言える。

 

 ライアはこれをギリギリまで引きつけて、右腕で払うように受け流して左方に回避する。

 右腕には予想以上の反動を受けて、吹き飛ばされるように着地するがこれは好都合だ。

 魔法を使われない限りはリーチ外にいれば突進攻撃しか受けない。

 それを利用して、二度目の突進は早めに軌道を読んで回避し、振り向きざまに魔人の顎に右のアッパーを打ち込んだ。


 だがーーー


 先ほどは明らかに効果があった顎への攻撃に対して魔人は涼しい顔をしている。

 そして、打ったライアの拳は赤黒く内出血を起こしていた。

 骨が折れていないのは幸いだが、これでは打つ手が無い。


 なおも魔人は攻撃を続ける。

 大振りにも程があるその攻撃はライアの反射神経を持ってすれば回避は容易い。

 しかし、このまま続けばいつかは当たってしまうことは免れない。

 それに、時々躱しきれずに受け流す際についた傷でライアの腕には血が滲んでいた。


 このままでは埒が開かないどころか、殺されるのがオチだろう。

 奴の弱点を探すのにも時間が足りなさすぎる。

 いったん退却するのが最適案だろうが、ライア1人ならともかく、リリィを連れて逃げるのは不可能に近い。

 一体どうすれば......。


 そんな攻防をしばらく続けていたが、魔人は悠長な時間稼ぎを許さなかった。

 ライアも遅れて魔人の狙いに気づくが、もう遅い。


 気づけばライアはリリィと魔人を結ぶ直線上に立たされていた。

 魔人は自らの攻撃でなぎ倒していた木を軽々と拾い上げて投擲の構えをとる。

 これは所謂田楽刺しの状態だ。

 リリィを背にしたライアがこれを避けられない事を計算した上で、魔人はこの状態を作り上げた。

 魔人となった今は半ば暴走状態にあるとはいえ、生来の計算高さは変わらない。

 その顔は笑っているかのように歪んでいた。


 ライアはすぐさま魔人の腕に飛びかかって投擲の軌道をずらす。

 しかし、それは同時に魔人の前で無防備を晒す事でもある。

 急いで受けの構えを取り直したが、魔人の豪腕はそれごとライアの身体を吹き飛ばした。

 強烈な衝撃のまま受け身も取れず、ライアは地面に叩き付けられて意識が混濁する。


「嫌ぁぁっっ!! ライアっっ!! 返事してよぉっ!!」


 薄れ行く意識の中で、聞こえるのは悲痛なリリィの叫び声。

 前にもこんなことがあったような気がする。

 確か、あの時は......。

 

 思い出せない。

 でも、一つだけわかっているのは、前にもこうして自分の無力で仲間を失ったこと。

 忘却の彼方で、悪夢が警鐘を鳴らす。


 ーーー俺はまた、何も守れないのか?


 仕方ないさ、魔法の世界で己の拳一つで闘うこと自体がナンセンスなのだから。


 ーーー俺はまた、全てを失うのか?


 何を勘違いしているんだ。

 今回はこれで全てが終わりだ。

 助けなんて来ない。


 ーーー俺はまた、敵に屈するしかないのか?


 実力が足りないのだから仕方が無い。

 リリィを捨てて逃げ出せば、自分は助かっていただろうに。


 

 ライアの精神は暗闇に閉ざされていた。

 

 ーーー繰り返しても、結果は同じ。

 ーーーどんな世界でも、力の無い者は淘汰される。

 ーーー至極当然の話だ。

 ーーー無茶を言わないでくれよ。

 ーーー俺の拳術は人外を相手にするための技じゃ無いんだよ。

 ーーーこうなったのも当然の帰結さ。

 ーーー結局俺は、何一つ掴めなかった。

 ーーー笑えねぇ話だ。


 絶望が渦巻いた。

 

 だがーーー。


 不意に、暗闇の中に一閃の光が差した。

 どこかで見たことのあるような、柔らかい光が。

 不思議な声が響いてくる。

 

「貴方は、憎悪を是としますか?」


 ーーーもう散々憎んだよ。


「貴方は、憤怒を是としますか?」


 ーーー憤って解決するなら苦労はしないさ。


「貴方は、怨恨を是としますか?」


 ーーー当たり前だろ。どれだけ恨んだと思ってるんだ。


「ならば問いましょう。これら3つの激情を受け入れし貴方は何を欲しますか?」


 ーーー誰かを護る力が欲しい。それだけだ。それ以上は要らない。


「貴方に、深淵を覗く覚悟はありますか?」


 ーーーそれで誰かを護れるなら、喜んで。


「いいでしょう。契約は結ばれました。願わくば、貴方が罪禍の救済を成せるように」


『深淵の淵から、祈っています』



 意識が現実へ回帰する。

 だが、身体は動かず、宙に浮くような不思議な感覚。

 

 ふと、柔らかな感触が肌を包む。

 ライアはリリィに抱きしめられていた。

 目の前には魔人の脅威が迫っている。


「大丈夫だよ、ライア。私が必ず守ってあげるからね」


 リリィはそう囁いて魔人を睨み付けた。

 魔法が使えない今、リリィに勝ち目はない。

 石で拘束具を叩き続けたせいで綺麗だった手は皮が剥けて赤く染まっている。

 

 ーーーどうせ殺されるのなら、ライアを守って死にたいかな。

 ーーーそれに、私を殺したら困るのは貴方もでしょう?

 ーーーその姿じゃ、それにも気づかないでしょうけど。


 リリィはライアを抱き寄せ、唇にそっとキスをした。


「大好きだよ、ライア」


 まだ出会って間もない少年にそう告げる。

 これがおそらく最期の会話、

 それも、少年の耳には入っていなかっただろう。

 

 それでも構わない。

 この1週間は、今まで生きてきた中で一番幸せな日々だった。

 魔女の呪縛から、一瞬でも逃れられたのだから。

 それだけでもう、十分だった。


 ライアを岩影に置いて魔人の前に立ちふさがる。


 魔人の拳が振り下ろされる。


 全てが無に帰す。


 刹那。


 契約はーーー


 履行の時を迎える。


 疾風が空を裂く。


 魔人の拳はリリィの目前で動きを止めた。


 否、止められた。


 もう1つの拳によって。


 少年の。


 ライアの拳によって。


「覚悟しろ。あんたに深淵・・を見せてやるよ」


 狼煙は、上げられた。



 ******

《魔法図鑑-3》

『ネクレイオン』

 闇属性/RANK:EX

 射程/術者自身

 分類/強化・アポカリプス

 コスト指数/1000

 威力指数/-

 効果時間/極長

 能力/血統強化


『ディテクトレイズ』

 幻属性/RANK4

 射程/広範囲・拠点中心

 分類/結界・ホロウ

 コスト指数/200

 威力指数/-

 効果時間/長

 能力/探知・索敵


『マッドストライク』

 地属性/RANK2

 射程/前方・短距離

 分類/攻撃・ブラスト

 コスト指数/80

 威力指数/80

 ディレイ/短

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