第一章-2 『忍び寄る影』

 意識は暗闇の中。点滅する黒と赤のコントラスト。見えない何かに心臓を掴まれているかのような感覚。


 ーーーそして、目の前で血を流して倒れゆく仲間の姿。


 収束した邪念は脳内を駆け巡り、絶望を振りまいた後に発散して無へと帰す。

 現実へと引き戻されるーーーー


「はあっ、はあっ......」


 悪夢にライアは目を醒ました。とても酷い夢を見ていた気がする。これは、失った記憶の残滓だろうか?


 時刻は未だに夜、リリィはまだ帰っていないようだ。随分早く起きてしまったらしい。


「それにしても、リリィはこんな夜遅くに一体何をしてるんだ?」


 そんなことを考えていると、屋敷の外から何かが光ったのが見えた。外に出て見ると、小さな光の球が宙に浮いていた。球体はライアの周りを一回転すると、そのまま森の中へ去って行く。

 ーーーまるでライアを呼んでいるかのように。


 ここで屋敷を抜け出したら、後でリリィに叱られるかもしれない。だが、あの球体の動きに何らかの意味があるのだとしたら?


 ライアは迷わず球体を追いかけて行った。


 ***

《カペラーヌ街道》


 リリィは多めの荷物を抱えて森へと向かっていた。普段なら荷物の量はもっと少ないのだが、今はライアもいるのでその分だけ量も増える。風魔法を使えば楽に荷物を運べるが、あまり目立ちたくないので使わないでいた。


 しばらく歩いて、街道から森に差し掛かる。

 突如、リリィは足を止めた。


「さっきから何のつもりかしら? 人の後をつけるなんて良い趣味じゃないわよ?」


「ふん、流石に気づいていたか。だがな、俺様は人の後をつけたんじゃあない。魔女・・の後をつけたんだ。勘違いするなよ、“大罪の落とし子ギルティディセンド”?」


 影から姿を現したのは痩せた男だった。野盗というには小綺麗な服装に身を包んだ男は挑発的な態度でリリィを見据える。


「その呼び方は止めてくれるかしら。不愉快よ」


「おっと失礼、もしかしたらその渾名、気に入ってるのかと思ってな」


 薄笑いを浮かべながら男は近づいてくる。


「一体何の用? 私は今忙しいの。また今度にしてくれるかしら?」


「つれないなぁ、魔女サンよぉ。それにしても、その荷物は一体何に使うんだ? テメェは見かけによらず大食い女ってか! ハハッ!」


 下品な笑いに愛想を尽かしたリリィは無言で立ち去ろうとする。しかし、男はリリィの腕を掴んで強引に引き寄せた。持っていた荷物がバラバラと地面に落ちる。


「オイオイ、無視すんじゃねぇぞクソアマが! テメェ、この間の話はちゃんと考えたんだろうな?」


「ええ、考えたわよ? 丁重にお断り・・・・・・するわ」


「あぁ? テメェあんまり舐めた口きいてるとぶち殺すぞ!?」


「はぁ、貴方みたいな雑魚って大抵口が悪いのよね。少しはそこから気をつけたらどうかしら。それに、ここで貴方が強硬手段に出たなら、後々困るのはマクファーレンあのクズ野郎じゃないの?」


「マクファーレン様を馬鹿にするとはよぉ、テメェ本当にここで死にたいらしいな」


「私が貴方に手出しできないと思ったら大間違いよ? 貴方に致命傷を負わせずに拘束するのが容易なことくらい分かるでしょう? 実力の差を考えなさい、サイラス・アディンセル」


 リリィはぴしゃりと言い放つ。

 この男もといサイラスはつい1ヶ月前にもリリィの屋敷を訪れていた。

 サイラスは会話のマクファーレンと言う男の部下であり、この前も無礼な要求をリリィに突きつけておいて帰っていった。

 マクファーレンは過去にリリィと深い因縁のある相手であり、リリィが要求を呑むはずも無かったのだが。

 

「随分と強気じゃねぇか、魔女サンよぉ、確かに純粋な魔法勝負ならテメェが上だ。だがな、その頃にはテメェのパートナーはどうなってるかなァ!?」


 その言葉にリリィの表情が引き攣る。奴の狙いはライアだ。どこかで情報が漏れたのだろう。おそらくもう1人がライアを狙って屋敷に向かっているはずだ。

 

 サイラスの顔がより一層醜悪に染まる。

 

 リリィの実力を持ってすればサイラスを瞬殺することは容易いが、拘束するにはそれなりの時間が必要だ。

 急がなければライアが危ない。

 奴らは裏でいろいろなコネを持っているため、記憶喪失の少年1人を殺した所でそれを揉み消すくらいは容易なはず。


 そんな、数秒にも満たないリリィの逡巡をサイラスは見逃さなかった。


 リリィの後ろから邪悪な魔力の糸、闇魔法『マリシャスウェイブ』が襲いかかる。

 普段のリリィなら空気中のマナの流れを読んで容易に回避できた筈の技だが、非常事態の焦りがその反応を鈍くした。

 リリィの全身に黒い糸が絡みつき、動きを止める。

 マリシャスウェイブは当てた対象の詠唱速度を数秒の間だけ遅くする効果がある。

 

 その一瞬は、致命的だった。

 急接近してきたサイラスの拳がリリィの鳩尾にめり込む。


「ぐっ、ああっ......けほっ、けほっ......」


 肺から一気に空気が吐き出されて意識が飛びかけた。

 糸を受けながらも詠唱を行っていたが、呼吸の急速な乱れによってそれも止まってしまう。


「ハハハッ! 笑っちまうなぁ、オイ!? まだ、テメェん家には誰も行ってねぇよ。引っかかったなこの馬鹿が!! 今から、テメェを縛ってた奴が行くってわけだ。どんな気持ちだ? 魔女サンよぉ?」


 魔力の糸が消えて、リリィは力なく崩れ落ちる。

 早くライアの所に向かわなければならないのに体が言うことを聞かない。

 

 ーーー完全に、油断した。


 魔法を詠唱してサイラスを倒そうとするが、呼吸が乱れてうまく行かない。

 サイラスは詠唱を封じるために何度もリリィを殴り続け、しばらくするとリリィには抵抗する気力も無くなっていた。


「ご......めんね......ライ......ア......]


リリィの意識は、そこで途切れた。


 ***

《魔女の森》


 ライアは走っていた。

 さっき森の奥から聞こえた男の笑い声。

 リリィに何かあったのかと心配になり、その方向へ真っ直ぐ向かっていた。

 気づけば、先程見た光の球が目の前に現れる。

 球はライアに近づくと、Uターンして奥へと進んでいった。


 ーーーこの光は俺を呼んでいるのか?


 ライアはそのまま光を追って森を進んでいった。

 

 しばらくして、森の出口が近づいてくる。

 そこには1人の男が立ちはだかっていた。


「誰だ、あんたは?」


「ほう、こいつが例の男か。悪いが貴様には大人しくついて来てもらうぞ!!」


 男は詠唱を開始した。

 ライアが身構えると数秒後、男の手から黒い糸が放たれる。

 だが、正面からの攻撃をライアは眼前で回避し、体制を立て直した。


「......ッッ!? 何のつもりだ?」


「言っただろう? 大人しくついて来て貰うと。抵抗しなければ私は・・危害を加えんよ。それに、助けが来ると思ったら無駄だ。あの魔女は今頃酷い目に遭わされてるだろうからな!!」


 ーーー今、何と言った?

 ーーー俺が今狙われてる事を考えたら、魔女ってのはリリィのことか?

 

 ライアの頭に血が上る。

 奴は魔女が酷い目に遭わされていると言った。

 もしそれが、リリィの事なら。

 

 もう一刻も、猶予は無い。


 その時、男の放った黒い糸が再びライアに迫る。

 意識が、弾けた。


 ***

《魔女の森~入り口付近~》


 微かに意識が戻る。

 リリィの首には首輪のような拘束具が付けられていた。

 これは『マギア・ジャミング・リストリクター』、略してMJRと言う魔導具だ。

 魔法はその機構上、体内で循環したマナを詠唱によって放出する。

 当たり前だが、人体で発声機構があるのは口だけであるし、思考回路の根幹は脳でしかない。

 つまり、MJRを付けられて首の地点でマナの輸送が滞ると、その上の器官とのマナの融通が利かなくなり、結果として殆どの魔法が機能不全となるのだ。

 本来ならこの道具は、この世界の警察的役割を担っている魔導騎士連盟が、ライセンスを持った正魔導騎士に犯罪者の拘束を目的とした場合のみ使わせるような代物であるのだが......。


「なんで、貴方がそれを......」


「ああ、ちょっと借りてきたんだよ。テメェと同じく馬鹿な奴からなァ! 魔女の相手をするならこれぐらい使っても構わねぇだろ?」


「くっ......」


 これで、リリィの勝ち目は完全に無くなってしまった。

 後はこの男の横暴を黙って見ているしかない。

 自分の無力さに胸が締め付けられそうになる。


 ーーーこんなことになるなら、最初から全て話しておくべきだった。


 おそらく、ライアは糸魔法の男に口封じも兼ねて殺されてしまう可能性が高い。

 リリィも、この先にまともな待遇が待っているはずが無い。

 

 後悔しても、もう遅かった。


 最初から自分の事を、過去にあった事を全て話していれば、ライアはそのままここを去っていただろう。

 そうしておけばライアが危険に晒される事など無かったのだ。

 

 それでもリリィは、ずっと我慢していた欲望を、少しだけ解放してしまった。

 

 ーーー自分のことを一切知らず、対等に接してくれる、心を許せる人が欲しい。


 そんな小さな欲望は歪な理論へと変貌する。


 ーーー何も知らないライアを、あの森に閉じ込めておけば。

 ーーーこのまま時間が過ぎて行けば。


 結局、真っ当な願いも、歪んだ願いさえも、叶うことはなかった。

 “魔女”の血統は、どこまでも邪悪を引きつける。

 逃れられる術など無い。


 そのはずだった。


「おい、あんたはそこで何してる?」


 予想外の声にサイラスは眉をひそめる。


「テメェ、どうやってここに来た? シリルは何してやがる!?」


「あんたのお仲間ならそこで寝てるぜ?」


 後ろには地面に倒れ伏す男の姿があった。


「ハハハッ!! あの馬鹿が!! 油断してこんなガキにボコられるなんてよぉ!? 笑っちまうぜ!!」


「あんたも人の事を言える程大人には見えないけどな」


「言うじゃねぇか。俺様にそんな口をきける奴はそうはいねぇぜ。いや、そこの魔女も随分と生意気な口をきいてたっけなァ!?」


 リリィは岩陰に力なくもたれかかっていた。

 服はボロボロで所々血が滲んでおり、顔も殴られた痕が腫れ上がって痛々しい様相を呈している。

 

「......ライア? どうしてここに?」


 ライアの怒りが頂点に達する。


「これはあんたがやったのか?」


「他に誰がやったと思う? ハハハッ!! いい鳴き声だったぜぇ!!」


 何かが切れる音がした。


「ーーー覚悟しろよ、クソ野郎がぁぁぁっっっ!!!」


 火蓋は、切って落とされた。



 ******

《魔法図鑑-2》

『マリシャスウェイブ』

 闇属性/RANK:3

 射程/直線上・中距離

 分類/攻撃・バインド

 コスト指数/90

 威力指数/35

 ディレイ/長

 特殊効果/対象の詠唱速度を一時的に低下

 

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る