十幕:運命之改変者
「わたしだって煥先輩を助けたい」
オレは、ひび割れたコンクリートに膝をついた。
赤ん坊の声が聞こえている。銀髪の男と黒髪の女が倒れ伏している。
女が、赤ん坊を胸にかばっていた。男は、女と赤ん坊とをまとめて抱きかかえていた。二人の体の下に血だまりが広がっていく。
「これが未来か」
オレのそばに、鈴蘭と師央と海牙がいる。黒服の男が二人、オレたちに銃口を向けた。
「き、きさまら、どこから現れた!」
うろたえた顔の正木。隣の世良も、目を見張っている。
正木と世良の向こうに、男が二人、倒れている。背格好でわかる。兄貴と海牙だ。血と硝煙の匂いがする。正木たちと同じ黒服の男が数人、横たわって動かない。
正木と世良が同時に発砲した。オレの障壁が銃弾を焼き焦がす。正木の顔に怯えが走る。
「バカな! なぜ、伊呂波
「何人いようが、オレの勝手だろ。オレは悪魔と呼ばれる男だからな!」
ケンカの基礎はハッタリだ。正木も世良も案外、本気でビビってるじゃねぇか。
鈴蘭と師央が、倒れた男と女に駆け寄った。男の髪の色も、女の横顔も、見覚えがありすぎる。オレと鈴蘭だ。
「パパ、ママ!」
「大丈夫、まだ息があるよ。傷、治せるから」
「でも、痛みを引き受けないといけないでしょう?」
「我慢する」
「一人じゃ無茶です! ぼくも手伝います」
オレは正木たちを正面に見据えて、鈴蘭と師央に背を向けたまま言った。
「鈴蘭、先に自分のほうを治せ。オレは後でいい。師央、障壁を張っておけ。鈴蘭の痛みを、半分、引き受けるんだぞ」
「はい!」
痛みに弱い鈴蘭のことだ。瀕死の傷の痛みを引き受けるなんて、到底できない。師央と二人で分けたとしても、きっと苦しい。でも、やり遂げないと、未来を変えられない。オレたちは、師央のループの要因をすべて、必ず取り除くんだ。
オレと海牙は、目の前の敵と対峙する。
「煥くん、どっちをやりますか?」
「さっきと一緒でいいだろ」
「了解」
オレは正木に、海牙は世良に、正面から突っ込んでいく。
泡を食った銃撃。ピストルなんか無意味だ。海牙がオレの後ろに下がって、オレは障壁で全部の銃弾を防ぐ。
「ぅるぁああっ!」
オレは障壁ごと、正木に殴りかかる。海牙はオレの肩を踏み台に跳躍した。
正木が、ギリギリでオレの拳をかわす。かわした先を、オレは回し蹴りで狙う。落下の勢いに乗った海牙が、世良を蹴る。攻撃を受けた世良が、強引な体勢でダメージをしのぐ。
至近距離での連続攻撃。撃たせない。肉弾戦で仕留める。正木の動きがスムーズじゃない。右脚にケガを負ってる。未来のオレがやったのか? 上出来だ。
肘を叩き込む。かわされる。手刀の反撃が来る。上腕でガードする。オレの膝蹴りが正木の腹に入った。ダメだ。防弾チョッキを着てやがる。ダメージが浅い。正木の拳がオレの頬をかすめた。
「このガキがっ! 白獣珠を寄越せ!」
血走った眼球。狂気を映した瞳。正木は、もう正常じゃない。師央から白獣珠を奪って、奇跡のチカラに中毒を起こしている。
「誰が渡すかよ!」
視線で誘導する。高い軌道のパンチのフェイント。正木がだまされて身構える。足元に隙ができる。
オレのかかとが、正木の軸足をとらえる。あっさりと正木が重心を手放して、オレの胸倉をつかんだ。ニヤリ、と歪んだ笑み。
もんどりうって転ぶ。体勢を入れ替えられる。地面に背中を着けたのは、オレだ。正木がオレに馬乗りになる。
「つかまえたぞ、伊呂波煥」
正木が手のひらをオレにかざす。黒々とした銃弾が凝り固まっていく。
「つかまえたは、こっちのセリフだ」
右の手のひらが熱い。白い光が凝縮する。光の障壁が生じる。
正木が目を見開いた。オレの意図に気付いている。でも、遅い。
オレは、障壁を正木の胸に叩き付けた。純白の正六角形が黒服を焼き焦がす。煙と異臭があがる。正木が絶叫する。
左の手のひらに熱を、白い光を集める。正木の腹を突き上げる。衝撃波が起こった。正木が吹っ飛んだ。
オレは跳ね起きた。仰向けに倒れた正木を見やる。防弾チョッキの胸と腹が破れていた。ヤケドを負った皮膚。呼吸してるのが見て取れる。白目を剥いて気絶している。
パンッ!
銃声が響いた。ハッとして振り返る。
「海牙!」
「まだ無事ですよ!」
逃げ回る海牙に、世良が銃口を向けている。
オレは世良のサイドに回り込んだ。二丁目の銃がオレを狙う。オレは避けない。障壁を繰り出して、まっすぐ突っ込む。
世良が飛びのく。海牙が世良の背後を突こうとする。世良が後ろざまに蹴り上げた。ブーツのかかとから、スパイクが飛び出す。ギリギリでかわす海牙を、世良が軸足を替えて追撃する。海牙が跳び離れる。
入れ違いで、オレが世良に殴りかかる。よけられる。二発、三発。拳を繰り出しても、当たらない。体術だけなら、世良のほうが正木より強い。ムチのようにしなう世良の蹴りをかわす。速い。隙がない。
オレと海牙が、少し離れる。世良が銃を構える。狙撃を回避して、連携して近付く。ダメージを与えられない。オレと海牙にピタリと狙いを定めて、世良がひっそりと笑った。
「KHANにいたころ、阿里くんのことが、ずっと目障りでした。単なるひがみですがね。
憎しみと殺気が世良の全身から噴き出している。海牙が目を細めた。
「それで? ぼくがパーフェクトなイケメンだから、ひがんで、どうしようというんです?」
世良が海牙へと踏み出した。銃口の狙いはブレない。
「私は運がいい。チャンスに恵まれた。憎い相手を二度も殺すチャンスに!」
正面からぶつけられる膨大な殺気に、海牙でさえ息を呑む。一瞬、確かに、海牙は怯んだ。
刹那、空白。
そして、銃声。
世良が目を見開いた。その両手から銃が落ちた。右の太ももを押さえて、よろける。
再び、銃声。
世良の右肩が被弾した。ぐらりと崩れ落ちる。
オレも海牙も唖然として、世良を撃った男を、ただ見つめた。
「まったく。勝手に殺さないでもらいたいですね。ぼくはこのとおり、まだ生きている」
軽やかに憎まれ口を叩くのは、腹這いの体勢で銃を撃った男だ。緩く波打った髪と、緑の目の。
「さすがは阿里海牙ですね。いいところを持っていくんですから」
海牙が、五年後の自分に駆け寄った。
「ぼくも
「へぇ。こういう声としゃべり方なのか。意外と鬱陶しいですね、ぼくって」
二人の海牙が笑い合う。大人のほうの海牙が、玄獣珠を差し出した。
「二つもあったら、オーバーキルするかもね。でも、足りないよりはいいでしょう」
「何をするか、わかってるんですか?」
「この一枝のループを終わらせるんでしょ」
「想像がついてましたか」
「五年前、師央くんを亡くしたときにね」
海牙が、二つ目の玄獣珠を受け取った。首から提げたほうも、服の上に引っ張り出す。
「オーバーキルってことはないでしょう。本当はここで死ぬはずの大ケガです。人の命の質量が懸かってるんですよ。石二つ砕けるくらいで、ちょうどいいはず。鈴蘭さんのチカラは偉大ですよ。こっちもお願いしたいところだけど」
「時間がないんです。生きてるうちに治してください」
海牙は目を閉じた。玄獣珠が、チカリと光る。
「ぼくの声に応えよ、二つの玄獣珠。願いを叶えてほしい。阿里海牙と伊呂波文徳の傷を癒せ。代償は、玄獣珠!」
二つの玄獣珠が粉々になった。その小さな二点から、爆発的なチカラが起こる。吹き散らす光と風を、肌で感じた。
見慣れたほうの海牙が、オレを振り返った。顔いっぱいで微笑んでいる。
「やってやりましたよ。数値がなくなった視界って、ずいぶんシンプルですね。後は……」
海牙の視線に導かれて、オレは、鈴蘭と師央と未来のオレたちに向き直った。赤ん坊は、いつの間にか泣き止んでいる。師央はもう障壁を消している。鈴蘭の全身から、青い光が噴き出している。
「鈴蘭! 師央!」
オレは駆け寄った。一瞬、ギョッとする。銀髪の男が仰向けに寝かされて、目を閉じていた。血に汚れた服の胸の上に赤ん坊がいて、キョトンとオレを見上げている。
銀髪の男はオレで、赤ん坊は師央だ。横たわるオレの唇が、かすかに動いた。鈴蘭と師央の名を呼んでいる。
「鈴蘭、バカか? 自分のほうを先に治せって言っただろ!」
大人の姿の鈴蘭は、目を閉じて動かない。腹に血の染みが広がっている。治療する鈴蘭は、その傷口に右手をかざしたまま、オレの声に顔を上げた。痛みに顔をしかめて、涙で頬が濡れている。唇の色がなくなってるのがわかる。せわしない息をしている。
「あ、煥先輩の、傷のほうが、深かったの。だから、先に」
鈴蘭の声がわなないている。鈴蘭の左手を両手で握った師央も、苦痛の声を漏らしながら顔を伏せている。
横たわる、大人の鈴蘭。力なく目を閉じた顔。胸を殴り付けられたように感じる。悲しい。自分自身が打ち砕かれそうなほど強く、悲しくて悲しくて悲しい。失いたくない。
「バカ。オレなんかより、おまえ……」
「煥先輩、わたしだって煥先輩を助けたい。やっと、力になれたの」
無理して微笑んだ頬に、また涙が落ちる。
「痛かっただろ、オレのぶん。今だって、痛いくせに」
「平気、です。女は、強いんですよ? 赤ちゃん産むとき、絶対、もっともっと、痛いはず、だから。でも、頑張れるんだから!」
気が付いたら、体が動いていた。鈴蘭と師央を抱きしめていた。
――オレの大切な――
家族で、宝物。
痛みが流れ込んでくる。撃たれた腹が、焼け付くように痛い。ろくに呼吸も保てないほど痛い。脳が痛みを拒絶する。意識がブラックアウトしそうだ。
歯を食いしばる。痛みに耐える。
だって、耐えてくれたんだ。鈴蘭も師央も、オレを癒すために。痛くて、苦しかったはずだ。こんな役目を二人に押し付けるなんて、オレは悪魔だな。
「ごめんな、鈴蘭、師央。痛い思いを、させてる」
オレの腕の中で、二人が、そっと笑った。
「煥先輩って、頑固ですね。わたし、大丈夫、って言ってるのに」
「パパは、ぼくを、守ってくれ、たんです。ぼくも、守り、たいんですよ」
涙が出そうなのは痛みのせい? 情けなさのせい? それとも、愛しさのせい?
鈴蘭と師央は、本当は全部わかってんだろ? オレの弱さも、独りよがりなところも。肩肘張ってるくせに、ひとりじゃ生きられなくて、ずっと誰かのぬくもりに飢えていて、支えがほしくて助けがほしくて、愛されたくて。
オレを救ってくれるのは、鈴蘭と師央だ。
鈴蘭と師央を、オレは、ギュッと両腕に抱きしめていた。痛みに耐えながら。痛みを分け合いながら。
オレたちは一緒に生きていく。そのかけがえのない未来を、絶対に失いたくない。決して滅ぼされたくない。必ず手に入れてみせる。
腕の中の、呼吸の音。壊れそうなくらい温かい。人の命の柔らかさと触れ合うことに、ずっと怯えてきた。変わりたい。大切なものを守れる男になりたい。
青い、青い光。
ある瞬間に、ふと、オレの胸の中に青い光が現れた。傷の痛みが引いていく。
鈴蘭がささやいた。
「終わりました。うまく、いきました」
オレは、閉じていた目を開いた。大人の鈴蘭が、静かな寝息をたてていた。
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